城の石垣を作る石工を描いた物語! 『塞王の楯』刊行 今村翔吾インタビュー

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塞王の楯

『塞王の楯』

著者
今村, 翔吾, 1984-
出版社
集英社
ISBN
9784087717310
価格
2,200円(税込)

書籍情報:openBD

城の石垣を作る石工を描いた物語! 『塞王の楯』刊行 今村翔吾インタビュー

[文] 吉田大助(ライター)

戦う勇気よりも終わらせる勇気に、人間の強さを感じるんです。

今村翔吾
今村翔吾

『八本目の槍』で第四一回吉川英治文学新人賞を受賞し『じんかん』で第一一回山田風太郎賞を受賞、二〇一七年のデビュー作から始まる「羽州ぼろ鳶組」シリーズが第六回吉川英治文庫賞を受賞するなど、新たな歴史時代小説の書き手として注目を浴びる今村翔吾さん。最新作『塞王の楯』は安土桃山時代末期を舞台に、城の石垣などを作る「穴太衆(あのうしゆう)」の石工(いしく)を主人公に据えた物語だ。とにかく、べらぼうに熱い。

今村翔吾
今村翔吾

―― 「小説すばる」二〇一九年八月号で『塞王の楯』の連載が始まった時のことはよく覚えています。舞台は豊臣の世となり戦争の火が消えた、安土桃山時代の末期。なおかつ主人公は石垣を作る職人、「穴太衆」の石工です。静か動かで言えば静、地味か派手かでいうと、地味ですよね。ところが、全編読み終えた今はまったく異なる感情を抱いています。活劇としてもべらぼうに熱い、ある意味でど真ん中の「戦国小説」だったんです。まずはどのように新連載を立ち上げていったのか、詳しくお伺いできたらと思います。

 ここ数年の間に僕が書き始めた小説は、大きく二つのテーマに絞っています。一つは日本というものを見る枠をぐっと広げて、「世界の中の日本」をテーマにした作品。倭寇(わこう)と長宗我部元親(ちようそかべもとちか)を描く『海鬼(かいらぎ)の国』(「STORY BOX」二〇二〇年一月号~)や、元寇(げんこう)を題材にした『海を破る者』(「別冊文藝春秋」二〇二〇年三月号~)がそうです。もう一つが、日本の歴史の細部にギュッと寄っていったところに現れるものを書く作品。要は「引くか、寄るか」の二パターンですね。集英社では「寄り」でやってみようと思ったのが、『塞王の楯』の出発点でした。つまり、普通の戦国小説であれば完全に脇役というか、風景をなす一要素でしかない石工にギュッと寄ってみる。ただ、普通に石を積んで終わりでは、僕らしい躍動感が出せません。合戦が描け、その中で躍動する石工たちの姿を描けるとしたらどこだろうとなった時に、大津(おおつ)城の戦いのことがパッと思い浮かんだんです。

―― 近江国(おうみのくに)大津城を巡って行われた、関ヶ原の戦いの前哨戦としても知られる、史実に残る戦いですね。物語の後半部を占めています。

 僕は京都出身で、今は滋賀、かつて近江国と呼ばれていた地域に住んでいます。近江国って、不思議なんですよ。当時、甲賀(こうが)みたいな諜報の技術を売りにする人々もいれば、国友(くにとも)衆という鉄砲の技術の研鑽を積む集団もいて、穴太衆という石工の集団もいた。いわば「技術大国・近江」だったんです。そして国友衆と穴太衆が直接激突したのが、大津城の戦いだった。ここを舞台にすれば、職人がメインの戦いを描けるぞ、と。大津城城主で蛍(ほたる)大名とも呼ばれ戦国時代の「愚将」の代表格である京極高次(きようごくたかつぐ)と、「四国無双」と名高い立花宗茂(たちばなむねしげ)の顔合わせも非常に面白いんですけどね。でも、言ってみればこの作品は職人が主人公で、武将が脇役なんです。

―― 石垣の構造や石工という職業についての詳しい記述が出てきますが、もともと知識はおありだったんでしょうか?

 子供の頃から歴史が好きだったので、城やなんかを見に行って「この石垣は野面積(のづらづ)みやな」とか「あの石の積み方は珍しい」とか、よくやっていましたね。戦国から江戸期まで通じ石積みの大半は穴太衆が関わっている、ということも知識としてはありました。ただ、実際に石を積む石工さん達についての知識というか情報は、ほぼ持っていなかった。資料も読みつつ集英社にお願いして、穴太衆の末裔の職人さんのところへ取材に行かせてもらいました。滋賀にある株式会社粟田建設の社長の、粟田純徳(すみのり)さん。二〇一六年の震災で崩れた熊本城の石垣の、再建作業に当たっている方です。

―― 取材で得たものとは? 

 いっぱいありましたよ。例えば、職人さん達の手が異様に綺麗だったんですが、その理由は塩で手を洗うことで、手の感覚を研ぎ澄ましているからだとおっしゃっていました。石垣を作る時にはまず最初に、「栗石(ぐりいし)」と呼ばれる拳大の石を敷き詰めて地固めをするんですが、その作業ができるようになるまで一五年は修業が必要、とか。石積みは軍事機密だから資料を残すことができず、口伝(くちづ)てで技術が受け継がれているというのも面白かった。その話を聞いて、剣術みたいな、論理よりも感覚を重要視する分野の「師匠と弟子」の関係に近いなと思ったんです。この作品が「師匠と弟子」の物語として始まり、「時代を超えて受け継いでいくもの」を描くことになったのは、取材させてもらったおかげです。

戦場に立つ石工の視線から
戦争のリアルを描く

―― 物語の主人公は、匡介(きようすけ)。序章では戦国時代ゆえの残酷な情景が現れ、彼は家族を失います。そんな少年の前に現れたのが、飛田源斎(とびたげんさい)。穴太衆千年の歴史の中でも「天才」との呼び声が高く、当代随一を意味する「塞王(さいおう)」の異名を持つ人物です。源斎は焦土のただ中で、匡介を穴太衆にスカウトする。匡介の言動から、「石の声を聞く」という異能の持ち主であることを見抜いたんですよね。今、つい異能と表現してしまいましたが、石積み職人にとってこの感覚はもしかしてあり得ないことではない? 

 穴太衆の粟田さんは、「石の声が聞こえるようになって一人前だ」とおっしゃっていました。だって、ただ石を積んでいくだけで、堅牢な壁を作ってしまうわけですからね。実験によると、現代の科学で作ったコンクリートよりも、石積みで作った石垣の方が強度は高かったそうです。特に、粟田さんのおじいさまがものすごかったらしいんですよ。どの位置にどの石を置けばいいか、無数の石をパッと見るだけで全部ピタッと言い当てられたそうなんです。石にまつわる超能力のようなものを持っていた方が現実にいたんだからと、小説の中でもそのあたりは自信を持って書いていきましたね。

―― 本編では二二年後に時間がジャンプし、三〇歳になった匡介が登場します。飛田源斎により後継者に指名され、穴太衆随一の技能で知られる「飛田組」の副頭として働く姿がいきいきと綴られていく。その過程で、匡介は源斎に向かって強烈な一言を浴びせます。「俺はあんたを必ず超える。塞王になってみせる! 」と。実は、『ONE PIECE』のルフィ(「“海賊王”に!!!おれはなるっ!!!!」)をちょっと思い出してしまいました。

 僕も思いましたよ、そのセリフを書いた時。ああいった自分の思いをさらけ出すようなセリフって、僕が言わせているというよりは、匡介が勝手に言っているんです。ちょっとルフィみたいだと思ったけど、匡介の言葉だからと思ってそのまま載せました(笑)。

―― 匡介は、少年漫画の主人公のような熱さがありますよね。かといって、熱いだけの人物像ではありません。本作の主人公像は、どのように探っていかれたのでしょうか。

 穴太衆は何をやっているかというと、敵襲から人々を「守る」ための石垣を築くこと。匡介は、少年時代に母や妹たちを「守れなかった」ということを常に傷として抱えています。つまり、自分にはかつて「守れなかった」という悔恨があるからこそ、石垣造りを通して「守るとは何か? 」と考えて考えて、考え続けているんです。ぐだぐだ迷うしいつも悩んでいる匡介は、もしかしたら僕の小説の中で一番、一般人に近い男かもしれません。

―― 匡介が心を許す盟友は、石を運搬する「荷方(にかた)」の頭領の玲次(れいじ)。一方の宿敵は、国友衆始まって以来の鬼才・国友彦九郎(げんくろう)です。石垣という「楯」と、鉄砲という「矛」。世に言う「矛楯」の対決が、前半部で数度にわたって描かれていきます。

 最強の楯と最強の矛が対決したら、どちらかは必ず勝つんです。その勝敗をもとにお互いさらなる研鑽を積んで、最強たらんとする技術を磨き上げていく。職人たちのその様をきちんと見せたい、という思いは強くありました。だから大津城の戦いの前に、何戦かはさせなければならなかった。ただ、石垣の仕組みを生かして表現できるギミックって、限られているんですよ。「石垣でこんなことできるの!?」というエンタメ的にも視覚的にも派手なものはできる限り大津に取っておきたかったので、少ない資源で接戦を演出するのは苦労しました。

―― 合戦の中で躍動する石工たちの姿を象徴しているのが、「懸(かかり)」です。敵が進撃してくる状況において、戦場の真ん中で、全員総出の突貫工事で石垣を修復する行為です。

 そのあたりは僕が考えました。「懸」は造語ですね。穴太衆が戦争中も石垣を修復した史実はあるので、そこから着想を得て、という感じです。これは池波正太郎先生から学んでいることで、池波先生って造語を作るのがめっちゃ得意なんですよ。「それってフィクションじゃん」みたいに断じられるかもしれないですが、「戦地に入る石工の技術者集団」というのを読者に分かりやすく伝えるうえでは、言葉を作る必要がありました。

―― 太平の世が続いているためここ一四年間は、懸の号令が出ていない。しかし、秀吉が亡くなり豊臣家が弱体化し、徳川家康が覇権を握りつつあるなかで、近江国にも徐々に 戦(いくさ)の気配が漂ってくる。懸という字面(じづら)が現れるたびに、緊迫感が増していった気がします。

 一四年前の懸のシーンを書いていて思ったのは、こんな状況で石垣を作るのって本当に怖かったやろな、と。石垣を作る場所は当然、戦の最前線ですから、石工の居場所って足軽(あしがる)と同じなんですよ。例えば目の前に銃弾が飛んでくるという描写って、ありそうであんまりない。それって、足軽視点で戦を書いた小説が少ないからだと思うんです。そこをしっかり描くことで、戦争のリアルを描きたいと思っていました。戦場ではいつ誰がどういうふうに死ぬかも分からない、死神がうろついているような世界を描きたかった。

戦争の歴史とは、
戦争を終わらせてきた歴史でもある

―― 物語の後半部は、大津城の戦いです。切磋琢磨してきた最強の「矛」と「楯」が、自らの力を出し切りますね。

 匡介たちは国友衆の猛攻に対抗し、荒唐無稽な方法ではなく、あくまでも今まであった石垣の積み方であったり工夫の仕方で、大津城を守っていく。それまで出し惜しみしておいたネタを全部、出し切りました(笑)。幸いにもと言うべきか、大津城は廃城となってしまったために城の形や大きさも分からなければ、戦の被害もよく分からないんです。だから、意外と書きやすかったですね。残された数少ない史実に寄りかかりながら、思い切って膨らましていきました。

―― 石垣という題材でこんなにも躍動感のある展開を次々生み出せるのか、と驚きました。と同時にこの躍動感は、カメラワークによるところもあるのではないかと感じたんです。戦場を俯瞰(ふかん)したロングショット(引き)と、戦場に立つ者どもの細部を高解像で見つめるクローズアップ(寄り)のスイッチングが絶妙で、エモーションを搔き立てられます。

 僕の小説は「映像的」ってよく言われるんですけど、実際その通りで、僕は頭の中にはっきり映像があるんです。そして、確かに僕はカメラをよく動かす(笑)。例えば、匡介がめっちゃしんどそうに地面にへばりつているってなったら、その姿全体を引きで見せるよりも、匡介の口元を見せるほうが格好いいやろうなって思うんですよね。グッと寄っていってぜえぜえした息で砂がふーっと舞い上がるところを、僕は見てみたい。そのカットを思い浮かべて、それに見合った描写を書くという感じかもしれません。その逆に、あえてぼやかすというか細かく書き過ぎないことで、読者に自由に想像してもらうこともあります。常に考えているのは、読者の想像力を最大限引き出すような文章を書くことなんです。

―― 合戦描写は本当に大興奮でした。しかも、史実にもある通り、大津城の戦いは戦国時代にとどめを刺す「最後の戦」です。なぜ戦争が起こるのか、どうしたら戦争を止められるのか? 武器があるから戦争は始まるのか、武器があるから止められるのか? そうしたテーマ系が、戦の最中において一気に噴出していく。匡介たちの複雑な内面描写もまた、本作の大きな魅力だと思います。

 日本は今、一応の平和を謳歌していますが、七六年前は戦争をしていたわけですよね。アフガニスタンをはじめ世界中の至るところでたった今、戦争は実際に起きています。関ヶ原の戦いで戦国は終わったと言っても過言ではないですが、その道筋を決定付けた大津城の戦いを描くことによって、何かを考えるきっかけになるのではないかと思いました。戦争の歴史は、戦争を終わらせてきた歴史でもあるわけですよ。戦う勇気よりも終わらせる勇気に、人間の強さみたいなものを僕は感じるんです。戦争と言わずとも、例えば学校のクラスでの小さな争いでもいいんです。人間が生きていて、ダメだと分かっているのに絶対に起こる争いというものを、どうやったら止められるのか。僕自身は、この問題に答えはないと思っています。ただ、考えること自体を放棄している世の中にはなってはいけないということだけは分かるんですよね。僕も考えます、みんなも一緒に考えましょうよというメッセージを、この小説には込めたつもりなんです。

―― 間違いなく、今まで誰も読んだことのない「戦国小説」になっていると思います。

 僕は結構な量の歴史時代小説を読んできたほうだと思うんですが、司馬遼太郎先生が全盛であった時代、その前の海音寺潮五郎先生や吉川英治先生の時代、さらにその前……と過去から現代に続く流れを見ていったなかで、「いまだないものって何だろう? 」と。誰もやっていないことをやりたい、というのは大前提としてあるんです。『塞王の楯』に着手した時から、これはうまいこといけば類例がない小説になるだろうとは思っていました。目標としては穴太衆の石垣のように二百年後、三百年後も読まれているものになっていたら嬉しいです。今後もそこは挑戦し続けたいですね。

今村翔吾
いまむら・しょうご●作家。
1984年京都府生まれ。2017年『火喰鳥 羽州ぼろ鳶組』でデビューし、同作で第7回歴史時代作家クラブ賞・文庫書き下ろし新人賞を受賞。18年「童神」(刊行時『童の神』に改題)で第10回角川春樹小説賞を受賞、『八本目の槍』で第41回吉川英治文学新人賞を受賞。20年『じんかん』で第11回山田風太郎賞を受賞。21年「羽州ぼろ鳶組」シリーズで第6回吉川英治文庫賞を受賞。他の文庫書き下ろしシリーズに「くらまし屋稼業」がある。

聞き手・構成=吉田大助/撮影=山口真由子

青春と読書
2021年11月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

集英社

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