『総合商社 特命班』
書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます
小特集 波多野聖
[レビュアー] 細谷正充(文芸評論家)
総合商社と言うと、あなたは何を思い浮かべるだろうか?「ラーメンからミサイルまで」この世のありとあらゆる商品を扱いながら世界を駆け回るイメージの総合商社は、昔も今も人気の就職先だ。しかし、スマートで華やかに見える商社の世界を支えているのは、泥臭い仕事や人間関係の中で懸命にもがく商社マンたち。
今回はそんな日本の経済の屋台骨を支えてきた商社マンたちの、血と汗が滲んだ人間ドラマを紹介したい。
***
近代史を背景にした全十巻の大河ロマン『銭の戦争』を筆頭に、波多野聖は、金融や経済を題材とした作品を書き続けている。国内外の金融機関に勤務し、日本株運用のファンドマネージャーとして活躍したという経歴を知れば、それも納得だ。総合商社を舞台にした書き下ろし長篇の本書も、もちろん経済が題材となっている。
本書の主人公は二人いる。日本第三位の総合商社・永福商事の同期社員の、青山仁と池畑大樹だ。物語は二人が仕事で大失敗をし、自殺しようかとまで追い詰められている場面から始まる。いったい何があったんだと、読者の興味を惹きつけて、作者は二人の入社時点まで時間を巻き戻す。
岡山の農家の次男坊に生まれた青山仁は、生き物としての自分の成り立ちを知りたいという思いを切っかけに、国立大学の農学部畜産学科に入学。その後、大学院に進んで生物学者になるつもりだったが、同棲していた後輩の美雪から妊娠を告げられ就職を決意。面接で語った、自身の「愛の遍歴」が大受けして採用された。アメリカでの困難な取引も無事にクリアした仁は、フィリピンでメーカーの経営に携わり、己の求める商社マンの道に気づいていく。
一方の池畑大樹は、サラリーマンの家に生まれる。東帝大学法学部を卒業して、永福商事に入社。面接時に仁の「愛の遍歴」を聞き、彼に興味を覚えた。高校時代に父親からいわれた「俺はエリートが嫌いなんだ」という言葉に影響を受け、自分はアンチエリートでありたいと思っている。しかし妻の真由美にいわせれば、そんなことを考えている時点でエリートだ。繊維機械部の一員として大阪やアメリカで苦闘した後、フィリピンで仁と再会。だがそれにより、とんでもない事態に巻き込まれてしまうのだった。
という仁と大樹の商社マンとしての軌跡を描いて、ストーリーは冒頭に戻る。俗に『ラーメンからミサイルまで』といわれ、多岐にわたる商品を扱う総合商社の表と裏を、作者は二人の主人公を通じて巧みに描き出す。読んでいて商社マンは、こんなことまでするのかと感心してしまった。また、二人が徐々に知ることになる、永福商事の伝説の社員・カミカゼ・のことも気になってならないのだ。
仁と大樹が追い込まれた騒動とは何か。それを書くことは控えたい。ただ、騒動がクライマックスではないとだけいっておこう。それどころか、武漢から始まったコロナ禍を巧みに織り込み、ストーリーは意外な方向に加速していくのだ。和久井貞雄と稲山綾子という、仁や大樹に負けず劣らずの、癖のある人物も登場。「カミカゼ」の正体も明らかになると同時に、本書のテーマが露わになっていくのだ。それは現代における総合商社の在り方である。
恥ずかしながら本書で初めて知ったのだが、今、海外に総合商社はなく、日本固有のものになっているそうだ。しかも日本の総合商社も、大きな問題を抱えている。ならば、世界経済が激しく変化する現代における総合商社は、どうあるべきなのか。ここで生きてくるのが、仁と大樹の商社マンとしての軌跡だ。幾つもの面白いエピソードを通じて、作者は総合商社の限界と、その先にある可能性を示している。だから終盤の展開を理解し、応援したくなるのだ。経済のエキスパートである作者は、総合商社のあるべき未来像を、痛快に表現してのけたのである。
なお、仁と大樹だけでなく、彼らの妻である美雪と真由美も、魅力的なキャラクターだ。彼女たちは夫と対等な存在として、時に支え、時に叱咤激励する。作者はすべての登場人物を、性別や立場に関係なく、血肉の通った人間として描いているのだ。総合商社の未来を巡る商社マンのドラマだけでなく、夫婦のドラマも堪能できる。複数の読みどころを持った作品なのだ。