悲劇はくりかえされる。 忘却されてはいけない記憶がある。

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魂を撮ろう ユージン・スミスとアイリーンの水俣

『魂を撮ろう ユージン・スミスとアイリーンの水俣』

著者
石井 妙子 [著]
出版社
文藝春秋
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784163914190
発売日
2021/09/10
価格
2,090円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

悲劇はくりかえされる。 忘却されてはいけない記憶がある。

[レビュアー] 角幡唯介(探検家・ノンフィクション作家)

 何度か目頭が熱くなった。一企業と国がグルになっておこなった非道を、また今の私たちが、この非道により命と生の尊厳を奪われた幾多の人々の礎のうえになりたっている歴史的事実を、本書を読んであらためてかみしめたいと思う。

 徹底した隠蔽工作と責任回避。チッソの幹部は、裁判で悪事が白日の下にさらされても顔色ひとつ変えなかった。それは彼らがチッソという「法人」のなかに逃げこめるからだ、との指摘が、本書にあった。なるほどと思う。有毒な汚染水も海に拡散させたら無毒化されると彼らは主張したが、同じように、殺しの個人的責任も法人の網をとおして無毒化できる、と思ったのだろうか。こんな厚顔がまかりとおったことに、憤りを超えて不可思議な気持ちになったが、でもちょっと考えただけで、同じ精神構造が今もこの国の根深いところに巣食っていることに思いいたり、虚しくなるのである。

 水俣で三年間暮らしたユージン・スミスと妻アイリーンは、その実態を世界に知らしめるために結婚したような夫婦だった。ジャーナリストは客観に逃げこむのではなく、自分の主観に責任をもたなければならない、とのユージンの言葉が心に響く。

 目で見る。耳で聞く。そこで起きていることを心に刻みつける。そこからしか真実には到達できない。ユージンは自分の目を、心の感慨だけを信じて写真を作品化した。だが、それはジャーナリストだけではなく、すべての人にあてはまる普遍の原則ではないだろうか。生きていく以上、周囲に流されるのではなく、自らの感覚を働かせ、主体的に考えなければならない。そうしないと悲劇はまたくりかえされるし、実際くりかえされているのだから。

 忘却されてはいけない記憶がある。ユージンはそれを記録した。彼のように行動することはたしかにむずかしいが、事実を知り、思いをいだくことは誰にでもできるはずだ。

新潮社 週刊新潮
2021年10月28日菊見月増大号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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