政治史の書き方、読み方、使い方――『日本政治史――現代日本を形作るもの』(有斐閣ストゥディア)の場合

対談・鼎談

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日本政治史

『日本政治史』

著者
清水 唯一朗 [著]/瀧井 一博 [著]/村井 良太 [著]
出版社
有斐閣
ジャンル
社会科学/政治-含む国防軍事
ISBN
9784641150706
発売日
2020/01/28
価格
2,310円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

政治史の書き方、読み方、使い方――『日本政治史――現代日本を形作るもの』(有斐閣ストゥディア)の場合

[文] 有斐閣

私たちが暮らすこの日本は,どのように形作られてきたのでしょうか。幕末・維新期以来の日本政治の歩みをたどりながら,現代日本の来歴を学び、史実を学ぶことはもちろん、歴史的リテラシーを高めるための一冊、『日本政治史』。

その著者である清水唯一朗・慶應義塾大学教授、瀧井一博・国際日本文化研究センター教授、村井良太・駒澤大学教授、さらに牧原出・東京大学先端科学技術研究センター教授にお越しいただき、本書について語り合っていただきました。

 ***

牧原 日本政治史の教科書として、大変重厚な仕上がりの作品を読ませていただきました。近代の最初、すなわちペリー来航前夜から始まり、江戸幕府の崩壊から明治初期の部分にかけて細やかに描かれているなと思います。そこから始まって、第2部あたりからホップ・ステップ・ジャンプで言うと、ステップに入ってきて、あとは縦横無尽にジャンプしながら、最後はだいたい岸内閣の終わりまでいきます。終わり方もユニークだと思いました。

 おそらく大学での講義を前提に置かれていると思います。なんと言いますか、不熱心な人に読ませようというよりは、勉強熱心な人にちゃんと読んでもらいたいという意気込みをあちこちで感じました。そういうわけで、とても寝転んで読むわけにはいかない、きちんと机に向かって読ませていただきました。

「現代日本」とは?

牧原 これから、いくつかおうかがいしていきたいと思います。まずこの本の副題に関してです。この『日本政治史』は、現代日本から遠く離れた歴史をしっかりと扱うような構成に見えます。しかし、副題は「現代日本を形作るもの」です。

 これはどういう意味を持っているのかと考えてみると、問いは2つあって、一つは「現代日本」とは何なのか、ということです。いつぐらいの日本を指して「現代日本」と言うのでしょうか。本書の英文タイトルにはModern Japanという単語が出てきます。これは、近代日本でもあると思うんですが、この意味の広がりが鍵なのかなと思います。

 もう一つは、「形作る」ということの意味も、よくよく考えるとどういうことなのか。基層にある、あるいはそれにかかわってくるというイメージだと思いますが、全編を貫く問題意識だと思うので、最初におうかがいしたいと思いました。

村井 ありがとうございます。「現代日本とは何か」というのは重要な視点です。「先の戦争」と言ったときに、今の学生は湾岸戦争をイメージするという話ともかかわってくると思いますが、私自身はあまり深く考えていませんでした。ただ、鎌倉時代や江戸時代を考えるような歴史の学びとしてではなく、今と地続きの存在として考えてほしいというのがもともとの趣旨です。あとは、この本は、教科書としてつくりましたので、誰か先生が教壇に立っている状態を想定しながら、その先生にさらに若い世代との橋渡しをお願いしているような面はあるのかなという気がしています。

清水 同じように質問に答えていこうと思います。

 「現代日本を形作るもの」という副題は、3人で議論したかと思います。そのときに苅谷剛彦さんがされていた「新しい近代」という観点は視野に入れたいとお話ししました。先ほど牧原さんがModern Japanを近代日本とおっしゃいましたが、そこが日本が持っている非常に面白い時代性なのだと思います。戦前を「近代」と言い、戦後を「現代」という言い方で分けてとらえますよね。

 そうすると、やはり第一次世界大戦を経て1945年に第二次世界大戦が終わって戦後体制ができるところまでの位置づけが非常に難しくて、面白い。それを「占領史」という言い方をして別枠で扱う方法もありますが、政治史のテキストとして、そこのところの連続性をどのようにしてとらえていくのかということが課題でした。それが1952年で終えることにしないで、1955年までつなげることにしたことの大きな理由です。一九五五年まで描いてゆけば、「現代」との接続がよりよく見えてくるだろうということです。そうした「近現代」という意味でのModernという言葉にはめられるように、というのが私たちの意識としてあったと思います。

「戦争」をどう扱うか

牧原 それから、よく読むと、この本は戦争の過程がかなり細かく描かれているなと感じました。私は、むしろ終わってからのほうが問題だと思っていて、私のほうの教科書(『日本政治史講義』)はその発想で書いているのですが、戦争プロセスを丁寧に描くことの意義をどうお考えでしょうか。戦争の悲惨さとか戦争責任とか、大学生に対する教育面での配慮もあるのではないかと思います。この点については、いかがでしょうか。

清水 そのお話は非常に面白いですね。

 今回、牧原さんたちの『日本政治史講義』と比べて、私たちの『日本政治史』は日本史に対する意識が強く働いていることをあらためて感じています。加藤陽子さんの『それでも、日本人は戦争を選んだ』(朝日出版社、2009年。のち、新潮文庫、2016年)に近い、戦争が画期になったという意識は日本史学と共通して私も強く持っています。他方、政治体制や政治機構の変動について詳述しているところは、日本史学との大きな違いになってくるところだろうと思います。

 これは、日露戦争や第一次世界大戦の位置づけにもかかわってきます。二つの戦争を経て総力戦体制への準備が進められ、それが政治機構と政治参加と行政機構に大きな影響を与えていきます。総力戦体制の話は、日本史や歴史学、グローバル・ヒストリーの中でよく出てくるものですが、そうしたニーズに対応するかたちで政治体制や政治機構、政治参加の変容を描きたいという意識が私たち著者の側にあって、その部分を詳細に論じるかたちになったよう思います。

村井 私も、戦争の部分が多くなっているというのは、それほど意識した話ではありませんでした。もともと教科書の話をいただいたの40歳前後の頃で、自分のキャリアとしても若干早くないかなとも思ったのですが、その前にハーバード大学に在外研究に行っていました。そこには、いろいろな日本の官僚の人や、優良企業の人、お医者さんなど文系理系を超えていわば俊英が海を越えて集まっていたのですが、皆さん、日本政治史の通説的な理解や機微をあまり知らないんです。関心は持っているので、結局マサチューセッツ工科大学の先生はこう言っていたという話で議論するのですが、日本史の知識は中学生や高校生までで止まっているような感じがしました。そこで、明治期以降の日本政治はこういう事実として展開してきましたということを知ってもらうことは、現代の問題を考えるうえでも非常に重要かなと考えながら書きました。

本書全体を見渡してみて

牧原 全体の構成に関連するところでは、この本は、第1部から第4部まであります。第1部の表題は「近代国家・国際関係の形成」、第2部は「近代国家・国際関係の運用と改良」となっていて、国家の内政と外交、すなわち国内政治と対外関係の中で国家の存立形態が構築されて変容していくということが示されていますよね。

 ところが、第3部、第4部の表題はトーンが違います。第3部は「現代世界の誕生」、第4部が「焦土の中の日本と再編」となっています。20世紀を扱うとなると、19世紀とは違ってくるということなのでしょうか。これは、いったいどういうふうに読めばいいのか。ぜひ書き手の皆さんにお聞きしてみたいところです。

 第3部ではヴェルサイユ体制が崩壊し、日本が戦時体制に向かっていく時代です。そして第4部は世界とのかかわりが大事になりますが、高校で言えば世界史と日本史とが混ざるところでもあるわけですね。ここをどう描いているのかという意図をお聞きしてみたいですね。

 第3部は、政党政治が始まってそれが崩壊していくプロセスです。軍部が台頭して二・二六事件になるという、日本政治史研究の華の時代であり、いろんな意味で血湧き肉躍る時代です。他方、第四部はどういう軸で考えればいいのかと思ったときに、近衛文麿と吉田茂という二人のリーダーが重要な役割を演じるのだと思います。そういう軸でもっと読みたい感じもしたし、でもまだ他に書きたいことがある感じもします。

 これは、どういう盛り方というか、あるいは全体の構成をお考えなのかなというのは、興味があります。

 そして、さらに全体を見渡したときに、「日本政治史」のオーソドックスな問いである、「政党は何か」とか、「政党政治の条件は何か」、といった問いが、各時代に分散しているような感じがします。初期村井政治史学と言っていいのでしょうが、村井さんにとっては重要な問いだと思うのですが、これをどうみればいいのか。

 それから、その反対で、国家ですね。国家が第1部、第2部で形成され、それが運用と改良を重ねた後、第3部、第4部で、どうなっていくのでしょうか。これは、大事な問いであって、清水さんが真剣に取り組んでおられる問いなのかなと思いますし、瀧井さんの明治期のご研究はそうした射程をお持ちではないかと思います。

 こうした国家の変質を考えていくと、当然のごとく、官僚制はどうなのかという問いになるわけですね。

村井 ご質問に答えられるところから、答えていきたいと思いますが、第1部、第2部と第3部、第4部という話については、第一次世界大戦後という今につながる現代、でもそれはその時点でパッとできたわけではなくて、非常に重要な江戸末期からの流れがあるということの中で、こうなったのかなと思っています。

 「政党とは何か」、「政党政治の条件は何か」という問いについては、私も、研究の中で考え続けてきました。これは、牧原さんが御厨貴先生と出されたご本(『日本政治史講義』)ともかかわると思いますが、その本と比べて、私たちの本は、高校の教科書をグレードアップしたような本として大学生が使うものなんですよね。牧原さんは最初に、この本は大学生の非常に関心がある子が読むものとおっしゃってくださいました。いろんな関心の中で読んでも、一応網羅はできているというものになっている。

 他方で、たぶん『日本政治史講義』は、ちょっと言い方が変かもしれませんが、大学院生が考えることを大学生向けにダウングレードしたようなものになっていると思いました。『日本政治史』は下から上に向かって押し上げる教科書であり、『日本政治史講義』は上から引っ張り上げる教科書であるというような違いがあると感じました。そういう意味では、『日本政治史』はある程度網羅的です。

時代の区切り方について

牧原 次に、本書は、日本の再出発、日米安保条約で終わります。なぜここで終わるのか。そこに込められた問題意識を、やはりお聞きしたいところです。

 これは池田勇人内閣のような経済至上主義的な政治というのは、この教科書の射程ではないということなのでしょうか。私は、高度成長も加えて、石油危機で終わりとするほうが、切り方としてはいいのではないかと思っています。と言いますのも、石油危機の後からこそ戦後らしい政治になっていく感じがするからです。戦前では、殖産興業から始まって第一次世界大戦期の経済の好況からその後は不況の時代になるという流れがありました。この経済、とりわけ国際経済とのかかわりを、戦後に投影するとどうなるのでしょうか。

村井 もともと最初にこの本のお話をいただいたときに、日本政治史の教科書って放送大学のもの以外はなかったわけですよね。

 そうした中で、どういうふうに日本政治史の教科書をつくるかというときに、一つは日本史との差別化を考えました。有斐閣さんからの希望としては、戦後は戦後でつくるので、近代日本で一冊ほしいということでした。最初は1945年が一つの区切りになるかと考えましたが、占領が終わる1952年までは必要だろうと。さらに52年で終わるのもちょっとということで、戦後のいろいろな仕組みが生まれてくるような時期というと、岸政権期なんですよね。ある意味で言えば、おっしゃっていただいたような150年間を俯瞰したうえで区切りは「石油危機だ」という判断ではなく、今の時代において、「戦争に負けました、新しい日本を頑張りましょう」というところで切れるような教科書にしたくなかったんです。そうではなくて、実際に戦後の制度も、明治時代の制度なり経験なりを通してどう形作られていくのかがわかるような時期ということで、1960年前夜を区切りにしました。

政治学の概念を入れることの効用

牧原 特に、この教科書を読んでいて非常に面白く、かつチャレンジングなのは、現代政治理論の概念が登場したりすることです。ガバナンスとか、憲法改革、ポピュリズム、あるいは行政国家などです。行政国家というのは、いわゆる現代政治学や行政学で用いるとすると1930年代以降なのですが、本書ではもっと早い時期を扱う章で出てきます。これは、概念の用法としては説明がいるのではないでしょうか。実際の講義では、説明することになると思いますが。

 この点が、この教科書のフレンドリーな部分であり、難しい部分であるかもしれません。けれども、逆に、こうした用語を入れることで、近代日本が現代に近づいて見えてくるかもしれません。この点については、どういうふうにお考えでしょうか。

 ちなみに、誰がどの章の担当って一応あるんですよね。たとえば第1部は瀧井さんだと思っているのですが、あと第2部は清水さんですか。

村井 それはときどき聞かれるんですけれど、もともと最初にこの本をつくるときに、よく日本史の教科書で見られるような、ここは誰々さん、この時期は誰々さんというような分割方式はとらないでおこうと話していました。章ごとに、その章の担当者(最終的な取りまとめ役)は決めるのですが、第一次草稿では私が明治の前のところも一部書いたり、ということにしました。

 少しご紹介しますと、「はじめに」は私が下書きをして、全員で手を入れています。第1~4章は瀧井さんが章全体の担当。その中で第2・3・4章は瀧井さんがお一人で書かれたのですが、第1章は私が書いた部分と清水さんが書いた部分が入っています。第5~9章は清水さんが章の責任者で、そこでも瀧井さんや私が書いたものが入っていますし、私が主担当であった第10~13章でも同様です。ですから、瀧井さんが明治憲法と日本国憲法の両方を書かれたりしています(コラムは1、2、4が瀧井さん、3、6、7が清水さんで、5、8が私)。

 また、作り方という点で、単純に三分割しなかっただけでなく、「はじめに」で書いたように、外部査読者の先生方に読んでいただいたことは、ありがたいことに個々の事実や解釈の妥当性を糺すだけでなく、政治史教育の全体像を考えるうえでもとても実り多いものでした。

牧原 ありがとうございます。

清水 先ほどの牧原さんのお話は、政党や国家、官僚制の定義を厳密にしていないということですよね。今、村井さんから説明があった通り、本書は3人で各章を入れ子にして書いています。これは、私が言い出したことで、入れ子にして書いて、必ずすべてのものを二人以上の人が見る。実質的には3人でお互いの書いたものを見て、それを章として整えていくということにしたのです。

 そうすると、村井さんだと政党と政治参加が中心、私だと行政が中心、瀧井さんだと憲法が中心というように、それぞれの持つ研究関心がうまく混ぜ合わさって面白くなると考えました。その分、政治学的な定義が見えにくくなっている部分はあるだろうと思います。「定義をつけたほうがいいかな」という話も出ました。しかし、法学部で学生の皆さんが講義を受ける順番を考えると、「政治学」の講義を受けて、その次に「日本政治史」の講義を受けるでしょうから、そこは教室で教える先生にお任せするのがよいのではないかと考えました。

 昨年度の私のクラスでは「講義の前にこの章を読んでおいてくださいね」というかたちで、事前文献として用いていました。事前に論点を2つ提示しておいて、各自がディスカッション・ペーパーを作り、持ち寄って、それをもとにみんなで議論をします。そして、講義後に、講義とディスカッションをふまえてアフター・リマークというかたちで各自がまとめるという流れをとっていました。そうすると、やっぱり、先ほど牧原さんがおっしゃったように「行政国家って、この段階では早すぎるんじゃないの」というような話が学生から出てきます。そういう意味では、本書はそこの議論が面白くできる議論型の教科書という意味があると感じています。

牧原 そうですね。現代政治学に近い概念が、逆に議論を誘発するのはその通りだと思いますね。

瀧井 私のほうからのリプライですけれども、私はこの企画のお誘いを受けたとき、実は少し躊躇するものがありました。というのも、そもそも私は政治学や政治史を専門分野にしているとは必ずしも言えません。今は政治史と分類されているかもしれませんが、本来は法制史を専門としています。そういうことで、私の書いている部分については、ちょっと浮き上がっているところがあるかもしれません。明治前半のあたりが、どうしても法制史っぽくなって、政治の動態という部分が弱いかもしれないと思っています。

牧原 そんなことはないです。面白いですよ。特に明治前半期の政治家たちは思想的なもの、すなわち西洋近代に対するそれぞれの考えをかなり明確に持っているので、そういうものがしっかり描かれていると思います。だから、国家が形成されるということですよね。チャンチャンバラバラしてできあがるのではなく、理念をもった政治家たちの相克の中で明治国家が形成されるという瀧井さんのお考えが非常にはっきり出ていて、私はそういう明治史に敬意を払います。

瀧井 ありがとうございます。

 私は、この本で講義とかをしたことがないので、今の学生さんがこの内容でついてこれるのかなと思っていました。いま、清水さんのお話をうかがっていて、この本は、ある種のアメリカ的なゼミ形式の授業で、もっと突っ込んだかたちで高度な内容を教える場合の教材として利用されているのかなと思いました。言ってみれば、私たちが受けていたようなマスプロ型の大講義室での授業で、この教科書を使うのは、今の学生さんにはしんどいかもしれません。

 あと、私の専門である法制史の世界では「法科風法制史」か「文科風法制史」かという議論がかつてありました。つまり、法学部の法制史と文学部の法制史の観点の違いです。文学部の法制史は実証、つまり事実を確定することが重視されます。法学部の法制史は、もっと「実定法学の婢」みたいな感じで、現在の実定法の理解を基準にして考えるところがあります。やはり、所有権などの概念が歴史のそれぞれの部分でどのように定義・観念されていたかを考えます。そういった概念中心の歴史記述という特徴があります。

 考えてみれば、私が政治史を習ったのは西洋政治史が野田宣雄先生で、日本政治外交史が伊藤之雄先生でした。お二人とも文学部のご出身で、のちに法学部に来られた方です。そういう意味では私は「文科風政治史」の薫陶を受けつつ、他方で、法学部で法制史を学びました。このように方法論的にまぜこぜの来歴なので、「行政国家」なんていう言葉が不用意に出た部分があるのかもしれません。

 ただ、その点については、教科書としては、学生たちを誘惑するという意味では許されることでないかなと思います。「ガバナンス」だとか「リーダーシップ」だとか「行政国家」だとか、そういった言葉を歴史叙述の中にちょっとスパイスのように取り入れることによって、ある種のハッとする効果みたいなものを抱かせて、そこから考える導きみたいなものを取り出すことができたらいいなと思います。そうしたことは、まさに清水さんが言われたように実際に講義していただく先生たちに委ねる部分があるのかなと思いました。

村井 今、瀧井さんがおっしゃったような話ともかかわって、清水さんがおっしゃったカリキュラムの中の位置づけがあって、政治学の基礎を学んでいる人がこれに進んでくれるというのは一つあるのかなと思います。

 ちなみに、私はこの本をつくっているときには、誤字脱字がないかとか、このエピソードが入ってないかとか、この出来事がどうだとかといったことばかりを考えていましたが、刊行してから、昨年度、授業で使ったときにあらためて思ったのは、共著というのはいいものだなということです。

 ある分野で学問をしていると教科書を書いてみたいという欲求が出てくると思うんです。けど、今は学問の高度化、売り上げの問題も含めて一人ではなかなか書けないわけです。そういう意味で共著が多くなるというのはあるんですが、このできあがった教科書を見て、今後20年間、もし個人で研鑽を積んだとしても、これ以上の本は書けなかっただろうなという共著の価値を思いました。

 また、できあがりを見たときに、さっき瀧井さんがご自身の書かれた部分が浮き上がっているのではないかとおっしゃいましたが、清水さんも私も結構浮き上がっていると思います。3人とも通史を書いているんだけれども、それぞれが面白いことを書き込んでいて、そういう部分がところどころで読めて、ニヤッとしてしまうところがあります。それは、3人で作った共著のよさじゃないかなと思いました。

授業での使われ方

瀧井 先ほど清水さんからはご自身の授業での実践のことを少し話してくださいましたが、村井さんは、いかがでしょうか。共著者に質問するのも変ですが、私自身が今、授業をする機会がないので、この『日本政治史』を授業で使われて、どんな手応えだったのかを、村井さんにもおうかがいしてみたいです。

村井 私は今年度在外研究なので授業がなく、昨年、この本を使って授業をしました。でも、オンラインだったんですよね。それも準備されたオンラインではなくて、コロナ禍で年度の初めに急にそうなるという。そうしたときに、教科書があるということのよさを感じました。日本政治史の授業の難しさって、先生がすべて支配しているというか、次に何の話をするかも全部先生次第というところだと思います。そこが面白いところでもあるのですが、それに対して教科書が一冊あると、それだけで学生さんの道標になります。あとはもう、どこを面白いと思うかは学生さん個々の自由です。

 昨年度の私の授業では、出欠代わりにプチクイズを出したりしましたが、そこでの反応をみてみると、学生さんごとに瀧井さんが担当されたような文明の香りがするような時期が大好きな人もいれば、ガチャガチャと国と国とが競い合うような時期が好きな学生もいました。こういう教科書が一冊、日本政治史で、ある種のスタンダードとして刊行できたこと自体の意味は大きかったのかなと思います。高校まで歴史が好きでしたという人が急に大学に来て、日本政治史に取り組もうとするときの見取り図となったのかなというのが、私の一年目の印象でした。

清水 私も、先ほどの話に追加して、もう少し。

 昨年度のオンライン講義では、ベルギー、中国、台湾、韓国で日本研究に取り組んでいる大学院生が12人、リモートで参加してくれました。この学生さんたちにも事前に読んでもらうかたちにして講義を行うと、事前に基本的な知識が入っているので、今度は彼らの視点からディスカッションができ、進み方が大きく違いました。今までの日本近代史のテキストだと、事実が数多く並んでいるんだけれども、そこからディスカッションを行うことは難しい。どうしても知識勝負になってしまうところがありました。しかし、この本を事前に読んできてもらって、政治学のことを勉強してきた学生さんとそれ以外のバックグラウンドを持つ学生さんが混ざっている中で講義をしてみると、ディスカッションの可能性が大きく開けました。

 この本を書いているときに、反転授業に使えるようなものをということを考えていました。それが今回オンライン講義になって、大学によってはオンデマンドの講義を行うときに、「事前にこの本を読んでおいてね」と伝えておくと、オンデマンドの講義を録画しておかなくても、オンライン講義のときにブレイクアウトルームを使ったグループ・ディスカッションがスムーズに、そして深くできる。そういう意味では、クラスの事前の材料としていいものができたと思っています。

牧原 この本はかなり詳しく書かれていると最初に言いましたが、学生同士のディスカッションとか、教員と学生の対話を充実させるためには、教科書にはある程度の密度が不可欠だというのは、私も教壇に立ったことがあるので、よくわかります。ある程度の説明が教科書にないと、授業で補足して説明しなければなりませんから。そうなると、この教科書を、ある深みで読んでほしいというメッセージとともに、ディスカッションをするために、タテ、ヨコ、ナナメに読んでほしいというメッセージもあるわけですね。ですので、この本を深みまで読んでいくと、日本政治史が非常に立体的に、しっかりと見えてきます。繰り返し読んでほしい重厚でスタンダードな教科書なんだとあらためて思いました。

(2021年8月5日収録)

有斐閣 書斎の窓
2021年11月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

有斐閣

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