「何もしない」ことは恐怖か。情報過多社会を生きる思索の書

レビュー

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何もしない

『何もしない』

著者
Odell, Jenny竹内, 要江, 1979-
出版社
早川書房
ISBN
9784152100542
価格
2,530円(税込)

書籍情報:openBD

「何もしない」ことは恐怖か。情報過多社会を生きる思索の書

[レビュアー] 鴻巣友季子(翻訳家、エッセイスト)

 twitterなどのソーシャル・メディア(SNS)は、私たちがじっくり考えようとする時間を奪いあう。SNSの誘惑に抵抗し、距離を置こう。そう提言するのが本書だ。軽いエッセイ集ではないが、思想書、哲学書というほど堅くもない。古今東西の抵抗する人たちが紹介される。

 たとえば、あるとき、大手会計事務所のマーケティング部に、奇妙な研修生が現れた。皆が忙しく働くなか、彼女はひたすら空を見つめ、働こうとしない。この何もしない人物は社内に動揺と脅威をもたらした。

 彼女の行動はあるアーティストによる〈研修生〉というパフォーマンス作品だったと後でわかるのだが、現代人は何もしないこと、何も生産性をもたないことに、恐怖にも似た感覚を覚えるようだ。

 それに拍車をかけているのがSNSなのだ。生産性を高めよと追い立てながら人の思考と時間を空費させ、クリックごとに企業にお金を流す。そのために賛同者の数が可視化され、リプライがあれば即通知が届き、「話題のトピック」がつねに表示される。ユーザーは何か見逃したのではないかというFOMO(fear of missing out=取り残され恐怖)に襲われた挙句、「他人の現実」を生きるようになる。一度入ったら出られないという意味で、「ホテル・カリフォルニア効果」と呼ぶ哲学者もいる。

 シリコンバレーで働く両親のもとに育った著者は、反テクノロジー派や強硬なナチュラリストではない。SNSの魔の手から離れることで得られるのは、一つはセルフメンテナンスであり、もう一つは他者の視点をもつこと。きわめて真っ当な話だ。

 作者が引く文献は多岐にわたる。良心に基づく市民的不服従を唱えたソロー、『人間の条件』で全体主義に対抗したアーレント、古代の抵抗アーティストとも言うべきディオゲネス、歴史に瓦礫の山を見たベンヤミン。著者が最後に行き着くのは……。ぜひ本書で確かめていただきたい。

新潮社 週刊新潮
2021年11月11日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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