美談を拒絶する談志の演出で「利他」を読み解く

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思いがけず利他

『思いがけず利他』

著者
中島岳志 [著]
出版社
ミシマ社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784909394590
発売日
2021/10/25
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

美談を拒絶する談志の演出で「利他」を読み解く

[レビュアー] 立川談四楼(落語家)

 私が知っているのは利他の反対が利己というぐらいです。「はじめに」に「コロナ危機によって『利他』への関心が高まっています」とあったので、コロナ禍でのあれこれが書かれているのだろうと早合点したのですが、本文に入り、いきなり落語の『文七元結』が出てきたのには意表を突かれました。

 博打で身を持ち崩した左官の長兵衛、見かねた娘のお久が吉原へ身を売って拵えた五十両、長兵衛はたまたま身投げをしようとしていた文七にそのカネをやってしまう――。

 著者はこのカネをやってしまうシーンに焦点を絞り、志ん朝、談志の演出を紹介。その論考は50ページに及び、中程、後半にも『文七元結』は出てくるので、なぜカネをやってしまうのかは「利他」の中核を成すと言っていいでしょう。

 五十両ないと主人に顔向けできないから死ぬと文七は言います。長兵衛は来年の大晦日までに五十両返さないと娘のお久が客を取らされます。まさに究極の選択ですが、長兵衛は己がここを通りかかった身の不運と文七に五十両をぶつけ、名も告げずに霧の吾妻橋を去って行きます。

 それが談志の演出ですが、著者は「談志は、長兵衛の贈与を『美談』とすることを拒絶します。長兵衛が文七に共感し、青年を助けたいという良心を起こして五十両を差し出すという解釈を退けます。談志は一体、長兵衛の行為をどう捉えているのか。ここに私は贈与を考える重要なポイントがあると思っています」と記し、ジワリと利他の本質に迫ってゆきます。

 つまり著者は、利他のほぼ真ん中に『文七元結』を演ずる談志を置き、論を展開するのです。著者の専門は南アジア地域研究、近代日本政治思想にありますが、まさか本書において落語を、折しも没後10年の談志を軸に据えたのは驚きであり、弟子としての大きな喜びです。偶然の読書ですが、本書において偶然もまたキーワードとなっているのです。

新潮社 週刊新潮
2021年11月11日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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