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ここは現か幻か 朧げに浮かび上がる偏愛と美意識の酔い心地
[レビュアー] 石井千湖(書評家)
『須永朝彦小説選』は歌人から出発して、在野の国文学研究者、アンソロジストとしても活躍した著者の小説を二十五編収める作品集だ。原本の旧仮名遣いはそのまま。須永朝彦の本で最初に読むならこれ、と自信を持ってすすめられる。
特徴として際立つのは美青年に対する偏愛だろう。例えば「森の彼方の地」。田舎町の大学の講師になり、ハンサムな主人が営むレストランに通うことが唯一の愉しみの〈私〉は、ある日、長身痩躯で長靴が似合う冷やかな眼差しの若者に出会う。自分の官能を掻きむしる若者を〈私〉は〈爵〉と名付け一緒に暮らす。ところが、森の彼方の地にいる死霊とレストランの関係を嗅ぎ回る男があらわれて……。醜い人間の世界から美しい死霊の世界へ、密やかな旅立ちの物語だ。
爵という美青年は次の「天使I」にも出てくる。語り手の〈私〉は小説家。爵を愛するようになったことがきっかけで〈男は、時として突然一切の地の呪縛を絶ち切つて天使となりうることの證左のために〉プルタークの『英雄伝』にも匹敵するような『天使列伝』を書き継いでゆこうと決意する。「天使II」は美大生のベッドの上に突然天使が出現する話。金髪碧眼、背中には金色の翼が生え、〈ルンルンルン〉という声音を発し、生肉と生野菜以外は食べない天使との奇妙な同居生活が描かれる。
美青年は登場しないが遊び心があって楽しいのは、掉尾を飾る「青い箱と銀色のお化け」。江戸川乱歩と谷崎潤一郎と佐藤春夫が死後に座談会をするという趣向だ。化け物屋敷に住んでいたことがある佐藤春夫の虚実ないまぜの怪異小品集『たそがれの人間』(平凡社ライブラリー)を読めば、なぜこのメンツが集められたのかわかるはず。「青い箱と銀色のお化け」で重要な役割を果たす稲垣足穂の『一千一秒物語』(新潮文庫)は、たくさんの星が煌めくプラネタリウムのような作品集。中でも「A感覚とV感覚」のユニークなおしり哲学は忘れがたい。
いずれも潔いほど作家が好きなものだけを追いかけた幻想文学の逸品だ。