新型コロナは「自然界からのリベンジ」生物学者が語る〈レイチェル・カーソンの遺産から学ぶ〉特別対談 上遠恵子×福岡伸一

対談・鼎談

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センス・オブ・ワンダー

『センス・オブ・ワンダー』

著者
Carson, Rachel, 1907-1964上遠, 恵子, 1929-
出版社
新潮社
ISBN
9784102074022
価格
649円(税込)

書籍情報:openBD

新型コロナは「自然界からのリベンジ」生物学者が語る〈レイチェル・カーソンの遺産から学ぶ〉特別対談 上遠恵子×福岡伸一

[文] 新潮社

新型コロナウイルス禍は、自然界には人知が及ばない世界が存在することを人類に知らしめた。鳥インフルエンザなど、度重なるウイルス禍の背景には自然への過干渉、乱開発がある可能性は否定できない。そんななか「奇跡の農薬」と呼ばれたDDTの危険性をいちはやく告発したことで知られ、環境保護活動の源流として知られるアメリカの生物学者レイチェル・カーソンにふたたび注目が集まっている。レイチェル・カーソン日本協会理事長の上遠恵子氏と、カーソンの著書を愛読してきた生物学者の福岡伸一氏が語り合った。

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『センス・オブ・ワンダー』『沈黙の春』などのロングセラーで知られるアメリカの生物学者レイチェル・カーソン(写真提供:アメリカ合衆国魚類野生生物局。”Rachel Carson” by USFWS Headquarters is licensed with CC BY 2.0.)

福岡 上遠さんとレイチェル・カーソンとの出会いはどういうところにあったのでしょうか。

上遠 最初にカーソンの書いたものに接したのは、『われらをめぐる海』が1951年にアメリカで出て、翌年に日高孝次先生が『海 その科学とロマンス』というタイトルで翻訳なさった時です。その次が1962年にアメリカで『沈黙の春』が出た時。私の父親が農水省に勤める昆虫学者だったので、「これは絶対に読め」と言われたのです。でも私は「アメリカは戦争に勝ち食糧難もないから、こんな農薬の害のことが言えるのだ」という思いも持っていました。

福岡 というと?

上遠 日本は戦争が終わった後、ものすごい食糧難で、みんな腹ぺこでしたから、DDTの登場は劇的なことだったのです。イネの害虫などを駆除してくれて、食糧増産に大きく寄与する、素晴らしいものだと思われていましたから。でも私の考えは誠に近視眼的で、のちに反省することになるのですけれども。その次が1970年でしょうか、アメリカで「Since Silent Spring」という本が出版され、私が勤めていた大学の教授が翻訳することになり、私も少しだけお手伝いしました。この本は、『サイレント・スプリングの行くえ』(同文書院)という題名で出版されました。その本にはレイチェルのライフヒストリーが書いてあり、とても親近感を持ったのです。彼女は亡くなったお姉さんの娘2人を引き取り、お母さんと一緒に育てているのです。私もちょうど母親を失った姪と甥と一緒に住んでいましたから、「ああ、なんだか似ているなあ」と思いまして……。それから理系女子でありながら、文章が書けるということにも憧れました。

福岡 レイチェル・カーソンは我々生物学者にとっても、あるいは環境問題を身近に感じてこられた方にとってもアイコン的な存在だと思います。『沈黙の春』や『センス・オブ・ワンダー』が書かれてからもう60年も経っているわけですが、いまだに何度も引用されているし、このように読みつがれているわけです。最近、レベッカ・ソルニットさんという人の『それを、真の名で呼ぶならば』という本を読んで、そこにもカーソンへのリスペクトがあることに気づきました。ソルニットはレイチェル・カーソンが教えてくれたこととして、「この世界というものは互いにつながっている、些細なことであっても、すべてつながりあっている」ということを述べているんですね。

上遠 まさにカーソンの語っていることですね。

福岡 カーソンが語ったことが、現代の批評家のいうことに息づいているわけです。しかし、環境問題に関して言えば、レイチェル・カーソンは非常に目障りな人物として批判されることもあります。

コロナ禍は自然界からのリベンジである

上遠 最初に『サイレント・スプリングの行くえ』を訳した時も、「まだレイチェルなの?」と言われたことがありました。「古いじゃない」と。でも彼女が言っていることは今も新しい。しかしカーソンをバッシングするという一派は、相変わらずおりますけれど。

福岡 カーソンのウィキペディアの記述が何度も書き換えられて、それをまたカーソンの擁護者が書き直すという「いたちごっこ」が起きています。カーソンがDDTの使用に反対したことによって、マラリアを撲滅するチャンスが失われ、そのことによって多くの人が死んだと主張する人々がいるのです。でもそれは端的に間違っていて、カーソンはマラリア予防の目的でDDTを壁に塗るという使用方法には反対していなかったし、『沈黙の春』が出た時にはもうDDTに耐性をもつ蚊が現れており、マラリアとDDTの禁止というのは直接には結びつかないことだったのです。カーソンを貶めることによって環境問題に対する懐疑論を盛り上げようという、一種の陰謀論です。

上遠 愚かしいことですね。

福岡 現在我々はさまざまな形で、自然界からの「リベンジ」を受けています。コロナウイルスもそういう見方ができます。ウイルスというものは自然のどこかに隠れていて、宿主の中で大人しくしているのが、人間が熱帯雨林を伐採して耕作地にするなどして自然を改変し、人間の住まう世界に紛れこんでくるものです。しかも現代では人間がグローバリズムによって世界中を高速移動しています。それでウイルスが瞬く間に拡がることに手を貸している。まさに自然がつながっているということを如実に教えてくれるのが、新型コロナウイルスの問題なのです。レイチェル・カーソンの警告はまったく古びていません。

上遠 『沈黙の春』の最後に「べつの道」という章があって、「私たちは、いまや分れ道にいる。(中略)長いあいだ旅をしてきた道は、すばらしい高速道路で、すごいスピードに酔うこともできるが、私たちは騙されているのだ。その行きつく先は、禍いであり、破滅だ。もう一つの道は、あまり《人も行かない》が、この分れ道を行くときにこそ、私たちの住んでいるこの地球の安全を守れる、最後の、唯一のチャンスがあるといえよう」と書かれています。私たちはもっと豊かに、もっと便利にと言って科学技術を振りかざしますが、もう60年も前に彼女が、ものすごい高速道路を突っ走っている人間のあり方を批判しているというのは、本当にすばらしい洞察眼なのです。いのちに軸足を置いている人は、こう考えるのです。

福岡 「いのちに軸足を置いて考える」というのは至言だと思います。ウイルスそのものは生命を持つものではありませんが、別に好き好んで人間に戦いを仕掛けているわけではない。宇宙からやってきて地球侵略をもくろむエイリアンみたいに言われていますが、ウイルスは単に存在しているだけで、自分で飛んでいく能力はないし、自分で泳いでいく能力もない。たまたま近くにやってきた宿主に感染し、増えたり減ったり、変異するだけです。いま新型コロナウイルスの感染者は急激に減っていますが、それもまた、ウイルスが「自然」だからです。おそらくウイルス自身のある種の「動的平衡」が変わることによって、感染者が減ってきたと考えるべきなのです。ウイルス感染を減らしたいのであれば、ウイルスのありように軸足をおいて考えないといけません。生物は「弱肉強食」といって優勝劣敗みたいに捉えられがちですが、すべての生物は自分自身のことだけを考えているわけではなくて、非常に利他的に振る舞っています。自分の分を守っているし、できるだけ他者を侵さないようにしているのです。ウイルスもおそらくなんらかの存在意義があって、地球上に存在しているわけです。人間もまた地球環境の一部として存在している以上、利他性の原理を守りながら共存を考えていかないといけません。人間が地球環境を全部自分のものだと考えて、地球の支配者として収奪した結果、そのリベンジがこのように現れて、いま右往左往している、というふうに捉えられますね。

試される「科学立国?」日本

上遠 医学をはじめとする日本の科学技術はもっと立派なものだと思っていたのですが、蓋をあけてみると、すごくお粗末になっていたという感じがしています。そのことが今度のコロナ禍で浮き彫りになって、私は少し怒っています。

福岡 科学的なエビデンスに基づいた政策や行動がなされないといけないところなのに、その時々の短兵急な政策で右往左往して、今日に至っていますね。日本は世界に誇る科学立国で、ノーベル賞も毎年のように出ているわけですけれども、ワクチンや治療薬を開発することに関しては全然そういう蓄積がなくて、アメリカやヨーロッパで作られたワクチンを購入してくるしかないという脚力のなさを露呈しました。科学を基盤にして世界を見るという、これもまたカーソンが教えてくれていることですけれども、そのことを改めて突きつけられています。今年ノーベル物理学賞を取った真鍋淑郎さんも若い頃に地球温暖化を予言するような気象モデルを作って警鐘を鳴らしたわけですが、当時は地球温暖化など信じる人がいなかったそうです。それが今日のように広く問題意識として共有されるようになり、カーボンニュートラルとかSDGsというふうな形で、ようやく「自分事」の問題として捉えられるようになってきました。

上遠 それにしてもノーベル賞をもらっている方たちは皆さんご高齢ですね。今の若い科学者たちがノーベル賞をもらえるような仕事ができる環境にあるのだろうかとちょっと心配になります。福岡先生には、文科系であっても理系であっても、自然科学のセンスを持てということを、ぜひ若い人たちに伝えていただきたいと思います。

(編集協力:レイチェル・カーソン日本協会)

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福岡伸一
1959(昭和34)年、東京生れ。米ハーバード大学医学部フェロー、京都大学助教授などを経て青山学院大学教授。生物学者。サントリー学芸賞を受賞した『生物と無生物のあいだ』、『動的平衡』ほか、「生命とは何か」をわかりやすく解説した著作多数。他の著書に『フェルメール 光の王国』『迷走生活の方法』、訳書に『ドリトル先生航海記』『ガラパゴス』などがある。読書の復興・啓発を目指し、2015年より「知恵の学校」を設立、校長をつとめている。

上遠恵子
1929年生れ。エッセイスト、レイチェル・カーソン日本協会理事長。東京薬科大学卒。1974年、ポール・ブルックス『生命の棲家』(後に『レイチェル・カーソン』と改題)を訳出。以来カーソン研究をライフワークにする。訳書にカーソン『センス・オブ・ワンダー』『海辺』『潮風の下で』などがある。

新潮社
2021年11月15日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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