どうすれば子どもが自然を愛する人に育つか〈レイチェル・カーソンの遺産から学ぶ〉特別対談 上遠恵子×福岡伸一

対談・鼎談

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センス・オブ・ワンダー

『センス・オブ・ワンダー』

著者
レイチェル・カーソン [著]/上遠 恵子 [訳]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/外国文学、その他
ISBN
9784102074022
発売日
2021/08/30
価格
649円(税込)

書籍情報:openBD

どうすれば子どもが自然を愛する人に育つか〈レイチェル・カーソンの遺産から学ぶ〉特別対談 上遠恵子×福岡伸一

[文] 新潮社

農薬DDTの危険性を訴えた著書『沈黙の春』によって環境問題の発端を切り拓き、現代のSDGs(持続可能な開発目標)や気候変動への警鐘の源流となった生物学者レイチェル・カーソン。そのエッセイ『センス・オブ・ワンダー』は、子どもたちが自然に触れることで得られる恩恵の大切さを語っている。どうすれば子どもたちが自然を愛する人に育つのか。レイチェル・カーソン日本協会理事長の上遠恵子氏と、カーソンの著書を愛読してきた生物学者の福岡伸一氏が語り合った。

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メリーランド州シルバースプリングにある「レイチェル・カーソン・ハウス」にある顕微鏡(”Microscope in bedroom, Rachel Carson House” by eli.pousson is licensed with CC BY-SA 2.0.)

福岡 『センス・オブ・ワンダー』の話になると、「子どもたちにセンス・オブ・ワンダーに気づかせるためにどうしたらいいか」「センス・オブ・ワンダーを育むにはどうしたらいいか」という質問が出ます。それはレイチェル・カーソン自身がこの『センス・オブ・ワンダー』の中に書いています。

「もし、あなた自身は自然への知識をほんのすこししかもっていないと感じていたとしても、親として、たくさんのことを子どもにしてやることができます。たとえば、子どもといっしょに空を見あげてみましょう。そこには夜明けや黄昏の美しさがあり、流れる雲、夜空にまたたく星があります。子どもといっしょに風の音をきくこともできます。それが森を吹き渡るごうごうという声であろうと、家のひさしや、アパートの角でヒューヒューという風のコーラスであろうと」

こう提案しているわけです。私自身の経験から言っても、センス・オブ・ワンダーはやはり子どもたちが自分自身で見つけていくしかないと思います。どんな人にとっても少年少女時代があり、何らかの形でセンス・オブ・ワンダーを見つけたり、ふれあう一瞬があったと思います。多くの人はそれを忘れてしまうこともあるでしょうし、またそれを思い出すこともあるでしょう。ただ、大人がそれをどういうふうに見守ってあげたらいいかは、ちょっと考えなくてはいけないと思います。

上遠 私は親が子どもと一緒に面白がることが大事ではないかと思います。日本人は何でも子どもに教えたがるのですが、そうではなくて「あー、面白いね!」「きれいだね! ちょっと調べてみようか」と言って、一緒に感動してあげればいい。都会の親はすぐに「汚い」「虫に触らないで」とか「こわい」「キャー」などと言うように見えるのですが、親がそうしてしまうと子どもが自然を面白がることはありません。何かを教えようと思う必要はなくて、一緒に楽しんで、一緒に面白がってあげればいい。私が小さい時、母がいろんなことをしてくれました。フクロウを呼んでみようかと指笛で「ホーホー」と音を出したりね。私が生まれた昭和1桁の頃はまだ東京にもフクロウがいましたから、指笛に誘われて庭に来るのです。そういうふうな経験はいまだに覚えています。小さい時の経験は覚えているのですよ。90歳の私がそうなのですから本当です。

福岡 私も学校の先生ですから、生徒が質問してきたらつい答えを教えたくなってしまう。でも答えを教えるとそこで終わってしまうわけです。しかもその答えというのは、ただ言葉によって説明しているだけで、本当の答えになってないことも多いのです。ですから特に小さい子どもに対しては解答を与えすぎない、教えすぎないことが大事ではないかと思います。「なぜ?」と聞いてきたら、「何でだろうね、一緒に考えてみよう」というふうに、同じ立場に立ち、疑問を共有することが大事です。

「科学者にして詩人」レイチェル・カーソンの言葉

上遠 カーソンはこう書いています。

「わたしは、子どもにとっても、どのようにして子どもを教育すべきか頭をなやませている親にとっても、『知る』ことは『感じる』ことの半分も重要ではないと固く信じています。子どもたちがであう事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生みだす種子だとしたら、さまざまな情緒やゆたかな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです」

福岡 レイチェル・カーソンはたぐいまれなる名文家ですが、美しいだけでなくすごく大切なことを言っています。知ることよりも感じることの方が大事だし、感じることの方が先にある。感じることがあれば、おのずと知ることをその後につけ加えていくことができます。彼女の美しい言葉をもうひとつご紹介しましょう。ポール・ブルックスという人の書いた『レイチェル・カーソン』という評伝から。この人はカーソンの友人ですか?

上遠 『沈黙の春』を書いた時の編集者です。友人でもあって、カーソンが亡くなった後、彼女が養子として育てた甥のロジャーを引き取って育てた人です。

福岡 そのブルックスが、モナークチョウ――日本語ではオオカバマダラと呼ばれる褐色のチョウについて書いています。アメリカの人ってチョウに興味がある人が少ないのですが、このモナークチョウだけはレイチェル・カーソンが書いていることもあって、環境問題の象徴のようになっています。このチョウはアメリカの東海岸、ニューヨークからマサチューセッツ州、メイン州あたりにいると、夏の終わり頃に北にいたチョウが南に向かって旅をすることに気がつきます。「渡り鳥」ならぬ「渡りチョウ」ですね。春先からずっと北上してきて、それぞれの土地で卵を産みます。鳥と違って、同じ個体が行って戻るのではありません。それぞれの場所で卵を産んで、幼虫が育ち、チョウになり、世代を繰り返してオオカバマダラはまた冬越しをするために南に帰って行くのです。そのチョウの飛び方が非常に可憐で、風に舞うようにひらひらと飛んでいくのですが、レイチェル・カーソンはそれを「まるで見えない糸に引かれるように飛んでいる」と書いているのです。彼女がそのモナークチョウが飛んでいる様子をドロシー・フリーマンという人に書いた手紙が残っていて、この手紙の一節がとてもきれいです。ちょっと読みましょう。

「すべての情景のうちで最も印象的だったのは、羽の小さなモナーク蝶で、彼らは一匹また一匹とただようようにゆっくりと飛んで行きました。それはあたかも、何か見えない力に引かれて行くようでした。私たちは、彼らの生活史について少しばかり話をかわしました。彼らは帰ってきたかですって? 私たちは、そうは思いませんでした。彼らの多くのものにとって、それは生命の終りへの旅だちであったのでしょう。」

この時すでにカーソンは、自分がガンに侵されたことを知っていて、モナークチョウが死への旅に出ることについて、自分を重ねて見ていたわけです。しかしそのことについて、レイチェル・カーソンは悲しみを感じたわけではないというふうに書いています。

「モナーク蝶の一生は、数カ月という一定のひろがりを持っています。私たち自身について言えば、それは別の尺度で測られ、私たちはその長さを知ることが出来ません。しかし考え方は同じです。このような測ることの出来ない一生を終えることも、自然であり、決して不幸なことではありません。きらきらとはばたく小さな生命が、今朝の私に教えてくれたものは以上の通りです。私はその中に深い幸せを見出しました――あなたもそうであるよう祈っています。私は、この朝に感謝しなければなりません。」

この頃のカーソンの手紙というのは、年をとるにつれて味わい深いものとして読むことができます。

生物にとって死とは何か

上遠 その文章を翻訳したのは30年も前ですけれども、いま92歳になって、本当に一日刻みで老化していくということがわかる年齢になってみると、「測ることの出来ない一生を終えることも、自然であり、決して不幸なことではありません」という言葉が、惻々として迫ってきて、私もそういうふうに最後を迎えたいなあ、それもまた利他かなぁと思います。死ぬときに何が起きるのか、ちょっと興味があります。面白そうだなってね。死ぬまで意識があるとしても記録に残すことはできないけれど。「こうだよ」って伝えて死ねればいいんですけどね。だからそれは心に秘めてそのまま天国に持っていくことでしょう。

福岡 ぜひ何か語っていただきたいところですが――今「死ぬことも利他」とおっしゃいました。生物はみな個体としては有限の時間の中を生きています。生物はエントロピー増大の法則に抗って戦っていくわけですけれども、勝ちきることはできず、少しずつエントロピー増大の法則に押されながら、なんとかそれを盛り返しています。しかし、それは常に、徐々に徐々に退却しながらなのです。最後はエントロピー増大の法則に打ち負かされてしまうというのが、個体の死なわけです。でも個体の死は、実は新しい個体に自分のニッチをバトンタッチするということです。生きていた空間、時間、あるいはどういう餌を食べていたか、どういう空間を占めていたか。死ぬことによってそれを新しい命に場所を手渡しているわけです。だから死はある意味、最大の利他性であって、それが絶えず繰り返されているし、同時に起きているから、地球環境は保たれているわけです。食う、食われるも弱肉強食ではなくて、共存の一つの方法であり、同じ空間を共有するために、食う、食われるという関係が成り立っており、それは互いに他をコントロールしているわけです。どちらかが増えすぎないようにコントロールしている。自然や生命に軸足を置いてものを考えると、「生まれること」あるいは「病になること」「死ぬこと」、そういったことも自然なものとして受け入れられるようになるのではないか。これもまたレイチェル・カーソンが教えてくれている大事なことです。

(編集協力:レイチェル・カーソン日本協会)

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福岡伸一
1959(昭和34)年、東京生れ。米ハーバード大学医学部フェロー、京都大学助教授などを経て青山学院大学教授。生物学者。サントリー学芸賞を受賞した『生物と無生物のあいだ』、『動的平衡』ほか、「生命とは何か」をわかりやすく解説した著作多数。他の著書に『フェルメール 光の王国』『迷走生活の方法』、訳書に『ドリトル先生航海記』『ガラパゴス』などがある。読書の復興・啓発を目指し、2015年より「知恵の学校」を設立、校長をつとめている。

上遠恵子
1929年生れ。エッセイスト、レイチェル・カーソン日本協会理事長。東京薬科大学卒。1974年、ポール・ブルックス『生命の棲家』(後に『レイチェル・カーソン』と改題)を訳出。以来カーソン研究をライフワークにする。訳書にカーソン『センス・オブ・ワンダー』『海辺』『潮風の下で』などがある。

新潮社
2021年11月15日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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