立川志の輔・立川キウイ・対談 没後10年、談志を語る

対談・鼎談

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談志のはなし

『談志のはなし』

著者
立川, キウイ
出版社
新潮社
ISBN
9784106109263
価格
836円(税込)

書籍情報:openBD

没後10年、談志を語る

[文] 新潮社

昨年、没後10年となった、落語界のレジェンド立川談志。16年半もの前座生活を経て、弟子の中で最も長く時間をともにした立川キウイさんが、高座やテレビではうかがい知れない「普段の談志師匠」のエピソードを綴った書籍『談志のはなし』を出版。本作の刊行を記念して、立川志の輔さんとキウイさんが談志師匠との思い出や意外な素顔、その偉大さについて語り合った。

立川志の輔・立川キウイ・対談「没後10年、談志を語る」

志の輔 30年以上、同じ一門にいるけど、キウイとこうして差し向かいで、じっくり話し合うなんて初めてじゃないか?

キウイ はい。一門でも、座談はあるかもしれませんが、弟子同士で対談というのは珍しいかと思います。

志の輔 しかし早いもんだよな。師匠が逝って、もう10年か。

キウイ そうですね、あっという間の10年でした。今回の本は、ページをめくった時に、師匠に会ったことがある人や、師匠のことを知っている人には「久しぶりですね、談志師匠」と思って頂きたい、逆に師匠のことを知らない方には「談志師匠ってこういう人なんだ」と思いながら読み進めて欲しい、そんな気持ちで書きました。

志の輔 読ませてもらったけど、本当にそういう内容になっているよ。それと、これはキウイじゃないと書けないだろうとも思ったよ。

キウイ いやいや、志の輔師匠はじめ、一門の皆様の、いや、何といっても師匠のおかげです。

志の輔 この前、やっぱり師匠の没後10年ということで、ある取材を受けてね。「この10年、談志師匠がいなくなってからの喪失感はどんな感じですか」と。今のコロナ禍を談志だったらどういう言葉で表現するだろう、世の中の異変をどうとらえるだろう、と考えることもあるけど、喪失感なんてないんだな。なぜかというと、師匠はものすごい数の本を書いたし、DVDもあるし、音源もある。とにかく資料が豊富にあるから、それらに目を通したり聴いたりしているうちに、あっという間に10年経っちゃった、という感じなんだよ。

キウイ はい。私も同感です。

志の輔 でも、遺された多くの資料は全て“師匠発”なんだよね。高座はもちろん、書籍も。しかし、この本は師匠ではなく、脇にいた、それも弟子の中で最も長く脇にいたキウイが書いたところがいいんだよ。

キウイ なんといっても前座生活16年半ですから。

志の輔 それだけじゃない。師匠がもっとも大事にしていた場所、銀座のバー「美弥」で、バーテンダーを任されていたな。この本の中にも何度か出てくるけれど。

キウイ はい。美弥で師匠とお話ししたり、師匠のお客様とのやり取りを聞かせて頂いたりしたことも大きいです。おかげで他の弟子よりは数倍、師匠の言葉を聞いているのではないかと。

志の輔 なるほど、これだけのエピソードがあるのも頷けるよ。この本も、やっぱり師匠の没後10年ということでお話を頂いたのか?

キウイ いえ。最初は私が2009年に出した『万年前座 僕と師匠・談志の16年』から10年の節目に、改めて何か書いてみませんか、と声をかけて頂きまして。

志の輔 確か、最初に出したその本が師匠に認められて、真打になったんだよな。

キウイ はい。ただ、当時の日記にも書いてありますが、本を読んで頂いた師匠の第一声が「お前、字が書けるんだな」で。

志の輔 うん、それで(笑)。

キウイ 師匠は続けて「よく書けている。偉ぇ。真打になっていい」と。ちょっと複雑でしたけど。

志の輔 それは師匠独特の言い方と判断だよ。俺も入門して来年で40年、この頃つくづく思うんだけど、この世界、年季だけじゃ分からないところがあるじゃないか。

キウイ と、言いますと?

志の輔 キウイの芸も俺の芸も、大元のところはずっと変わっていない。もちろん、経験と共に変化していくところはあるけれども、師匠が「うん、こいつは」と思って弟子にするのは、その人が持っている“落語の良さ”の部分はここだと決めたということでもある。この大元の部分は何年経っても変わらないと思うんだ。

キウイ そういえば、私も師匠から「お前は今のままでいい。そのままで落語をやれ」とよく言われました。

志の輔 うん、そうだろう。

キウイ 「ただし、人前ではやるな」とも言われましたけど(笑)。

志の輔 それも師匠らしいよ(笑)。まあ、本が出たタイミングで真打にするなんて、いかにもウチの師匠だけど、ちゃんと師匠なりの考えと判断があればこそなんだよ。話が逸れちゃったけど、今回の本を出すきっかけがその『万年前座』から10年という節目でということだったんだな。

キウイ あ、はい。しかも、当初の出版予定だった2020年は、私が落語家になって30年でもあったので、それに合わせてと執筆を始めたのですが、あれこれありまして、結果的に師匠の没後10年に合わせて出版させて頂くことになりました。

志の輔 きっと師匠が「お前じゃねえ。俺の10年目に合わせろ」と言ったんだろう。生前も没後も、なんか全て師匠の“域”で俺たち色々と動いている気がするよ。

キウイ はい、その通りだと思います。

「キウイの日記」

志の輔 改めて今回の本についてだけど、いやしかし、凄い記憶力だな。

キウイ やはりこれは、普段から日記を書いていたのが大きいですね。

志の輔 ああ、キウイ得意のアレな。

キウイ 私がまだ前座の頃、左談次師匠(2018年没)の会の打ち上げで、前座が一発芸を披露することになって。それで、当時つけていた日記をもとに、(談志)師匠の行動を日記風にまとめて朗読する、というネタをやったんですね。

志の輔 あれは大ウケだったよ。山藤(章二)先生とか、みなさん大喜びだったな。「キウイの朗読日記」。

キウイ 志らく兄さんには「キウイが面白いんじゃなくて、師匠が面白いんだよ」と言われましたけど。

志の輔 その日記の積み重ねが、この本に結実しているわけだな。

キウイ 読み返してみると、師匠が何度も志の輔師匠のことを話していたんだな、ということが分かります。

志の輔 俺は直接、師匠から聞いたことはないけど。というか、師匠はいつも本人がいないところで色々と言うよね。それが回り回って本人の耳に入るだろうという計算の上で。

キウイ そうですね。あと、酔うと人を褒めることが多かったです。

志の輔 日記で思い出したわけじゃないけど、師匠の直筆の原稿があるじゃない。最初は何て書いてあるのか、まったくわからない。

キウイ 味のある字ですよね。一目では読めない字ですから。

志の輔 でも俺たちはメモの段階で鍛えられているから解読できるんだよ。自動炙り出し機みたいに。

キウイ あ、大蒜って書いてある! みたいな。

志の輔 直筆というのは、本人の性格とか色々なものが出る。お前も次は日記をそのまま公開したらどうだ?

キウイ いえ、それはダメです。人間関係が壊れるかもしれませんし、何かと問題がありまして。

志の輔 でもこの本を読んで、師匠が立川流を作った時に言っていたことと、キウイたちの時代になってから言っていたことの違いも分かったし、師匠が何を考えていたのかもよく分かった。何より、キウイが言った通り、久しぶりに家元に会えた気になったよ。

キウイ 立川流一番弟子の志の輔師匠にそう言って頂けるのは本当に嬉しいです!

志の輔 俺が師匠に入門したのは1983年だけど、入門して半年後に師匠は落語協会を脱退、今の立川流を立ち上げた。まさか協会を脱退するなんて思ってもいないし、師匠が一晩で家元になるなんて考えもしなかったからな。

キウイ 志の輔師匠は「寄席を知らない弟子第一号」とよく言われますけど、立川流創設後の一番弟子なんですよね。

志の輔 つまり、俺より下の弟子たちは、落語立川流を作ってからの師匠に憧れて入門したわけだよ。もちろん、俺も師匠に惚れて入門しているわけだけど、俺の前と後の入門では、惚れ方が違うというのかな。

キウイ 師弟関係って複雑ですよね。

志の輔 俺が自分の弟子に必ず言っていることがあるんだ。「青写真だけ描いてくれ」とね。これは10年経ったら二つ目になりたいとか、何年目で真打になりたいとかじゃない。自分の落語で人生を、落語界をこういう風にしたい、ということなんだ。

キウイ 落語家人生そのものを描く青写真ということですね。

志の輔 そう。それでその青写真が少しでも俺に見えたら、先が明るくなるように、ペンライトの光でもいいから照らしてあげて、少しでも前に出やすくしてあげることはできるんじゃないかと。

キウイ 志の輔門下は、青写真を描けない奴はダメだ、ということですね。

志の輔 うん。家元だって、何でもかんでも手取り足取り教えてくれなかっただろ。どの弟子も、最後は自分で考えて動かないといけないよな。これはどこの一門でも同じだと思うけど。

キウイ 立川流創設直後の頃って、志の輔師匠は大変でしたか?

志の輔 入門する時はさ、憧れの師匠のようになりたいと思って入るじゃない。でも、いざ入ってみると愕然とするんだな。こんな凄い人になれるわけがないと。特に俺はものすごく早くに感じたよ。絶対に談志にはなれないって。その談志が作った立川流とは何かというと、これがまだできたばかりということもあって、師匠が言うには「お前が世間に知らしめろ。とにかく売れてこい!」。だから、がむしゃらに頑張ったよ。立川流一番弟子としてやるしかなかった。

キウイ こんなことを私が言うのは生意気かもしれませんが、師匠が立川流を創設するにあたって、やっぱり青写真を描いていたと思うんですけど、志の輔師匠はその青写真に見事に合致したんじゃないでしょうか。ことあるごとに「俺は志の輔に救われた」と言っていましたから。志の輔師匠は、立川談志にはなれなかったかもしれませんが、確実に、立川流の礎にはなりましたよね。

志の輔 俺が入門した頃、落語は寄席で聴くもので、例外として市町村が「新春寄席」とか「初笑い寄席」なんていうのを劇場やホールで正月にやっていたんだ。でも師匠は、これからの落語は全国どこでも場所を選ばずに広がっていく、落語ファンは拡大していくと確信して立川流を作ったけど、創設から間もなく40年、その通りになっているよね。

キウイ はい。日本中のホールで、演劇やコンサートを開く場所と同じところで落語をやっています。

志の輔 冗談じゃなく、俺が入門した頃には「落語って何ですか?」「落語家って何をする人ですか?」なんて聞く人がいたんだよ。

キウイ 「“するってぇと”って言う人ですよね」とか「すぐにお蕎麦やまんじゅうを食べる人ですよね」みたいな。

志の輔 今はそんなことないだろ。談志が目指したものが見事に結実したんだなと実感しながら生きていられるのは幸せだよ。

キウイ 志の輔師匠が、入門を決意したのは、師匠の『宿屋の仇討』を聴いて衝撃を受けたからですよね。

志の輔 うん。テープで聴いたんだけど、そのテープが片面45分あってな、B面がまるまる漫談。これも聴いてシビレたな。入門する時には、全部、暗記していたくらいだから。漫談が落語みたいに聴こえてくるんだ。

キウイ まさか「これから覚せい剤の打ち方を教える!」とか「注射器の持ち方はこうだ」とか、危ない内容じゃないですよね。

志の輔 そこまで過激じゃない。でも朝鮮半島情勢については話していたかな(笑)。ただ、擦り切れるまでテープを聴いて暗記して、分かったことがあるんだ。師匠が誰かのことを悪く言うとするよね。「アイツはどうしようもねえ」云々と。でも必ず、言うだけ言った後、最後に必ず自分も刺すか貶めるんだよ。「とはいえ、俺もアイツと大して変わらねぇけど」という感じで。人を刺すからには自分も必ず刺す、そういうバランスというのか、収まりをちゃんとつけて次のネタにいくんだ。

キウイ 気を使っているんですよね。ただ喋っているんじゃなくて。

志の輔 毒舌でメチャクチャで型破りに聞こえるけど、凄く緻密に計算された漫談ですよ。

キウイ 師匠の文章も同じことが言えますね。改めて読み返してみると、つくづくそう思います。

志の輔 それで俺が二つ目になるかならないかの頃。美弥にいた時だよ。いきなり師匠から「お前、『宿屋の仇討』覚えたのか?」って。はい、と答えたら「じゃあ、ここでやれ」。美弥のカウンター席の丸椅子に座って、その場でやったよ。

キウイ え、あのグルグル回る椅子ですよね。少しでも体のバランスを崩すと、とんでもないことになりますよね。

志の輔 だから必死になってやったよ。その場で師匠から、「途中の『伊八、伊八ィ~』と言って手を叩くところな、ここはパン、パーンと鳴るようにしなきゃダメだ。ベチャッとするんじゃなくパン、パーン!」と教えてもらったことをよく覚えているよ。

師匠を“伝える”こと

志の輔 一門で、一番膨れ上がった時は弟子が20人は超えていたか。途中で抜けたり、亡くなった人もいるけれど、これだけ幅のある弟子を一人で抱えた師匠は珍しいよな。

キウイ そうですね。志の輔師匠のような方もいれば、私みたいなのもいますし。

志の輔 談志の右と左の幅だとしたら、キウイが一番左で、俺が一番右かもしれない。その幅を師匠はよく理解していたし、分かっていたんだな。自分が弟子を持つ身になるとよく分かるよ。

キウイ 志の輔師匠も、三番弟子の志の春が、4月に真打昇進披露公演を済ませましたね。

志の輔 いや、ありがたいことだよ。でもな、この前、俺の弟子、談志からすると孫弟子だけど、そいつが言うに事欠いて、高座で「立川流には上納金がございまして」なんて言うんだよ(笑)。

キウイ 払ってから言え、って話ですよね(笑)。

志の輔 いや、もう上納金なんてないし、俺も弟子から取ってないし。どうも、この「上納金」という言葉が一人歩きするのも困ったもんだな。

キウイ 私は罰金として3倍取られたことがあります。あの時は、真剣にどこか臓器を買ってくれるところはないかと考えました。師匠の思い出を話すと尽きないですが、志の輔師匠とのからみで思い出したのが、永六輔さんが美弥にいらして師匠と飲んでいた時、「志の輔さんという、いいお弟子さんがいますね」と言ったら、師匠は「何言ってるんだ。志の輔がいい弟子なんじゃない。俺がいい師匠なんだ」って言い返していました。本当は嬉しいんでしょうけど。

志の輔 目の前で「志の輔、いいぞ!」って言うから、あぁ嬉しいなと思っていたら、違う場所では「あんな奴を弟子にした覚えはない」なんて、何度言われたと思う?(笑)

キウイ それが師匠ですよね。褒めておいて、とんでもないことをやらかす。志の輔師匠が盲腸になったこともありましたからね。

志の輔 ああ、忘れもしないよ。

キウイ 師匠が凝っていた強壮剤があって、お前飲んでみろと言われたんですよね。それを飲んだら、盲腸になられて。

志の輔 俺が出るはずだった落語会に出られなくなって、それで師匠は知ったらしいんだ。富山の病院に入院していたんだけど、枕元の電話が鳴って取るとナースステーションでさ。「談志さんという人から電話ですけど」って。それで出たら「あ、俺だ。大丈夫か?」。でもな、そう言いながら言葉の裏には「余計なこと言うんじゃねえぞ」っていうメッセージが大きく響いていたからな(笑)。

キウイ はい。その電話の件も知っています。

志の輔 え、知ってるの?

キウイ だって、電話をしたのが練馬の家で、私たち前座のいる前でかけたんですよ。それで終わったら、「志の輔は恨んでなかった。よかった」って安心してましたから。ほめたり良いことを言ったりした後で、その人を盲腸にするなんて、罪深い人だなと思いましたよ。

志の輔 そんなことばっかりだよ(笑)。でも、こうやって師匠のことを話したり書いたりすることで、師匠について後世に伝えていくことが俺たち弟子には一番大事だと思う。その意味でも改めて、キウイのこの本は多くの人に読んでもらいたいと思うよ。

キウイ ありがとうございます。

志の輔 そういえば、あんまり本の中身を語らなかったな。大丈夫か?

キウイ はい、大丈夫です。師匠のことを語ることが、この本そのものでもありますから。あとは手に取って読んで頂きたいです!

新潮社 波
2021年11月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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