<東北の本棚>際立つ宣教師の存在感

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<東北の本棚>際立つ宣教師の存在感

[レビュアー] 河北新報

 仙台藩祖伊達政宗の命で、1613年に太平洋を渡り、メキシコを経てスペイン国王やローマ教皇と謁見(えっけん)した慶長遣欧使節。広く知られるのは使節の副使だった家臣支倉常長だが、本書では、正使として一行を導いたフランシスコ会宣教師ルイス・ソテロの存在感が際立つ。

 ソテロとは何者か。スペイン・セビリアの有力な一族出身で、03年に来日し、京都や大阪、江戸などでキリスト教の布教に従事していた。渡航は果たせなかったが、開府間もない江戸幕府の大使にも任命されていた。

 仙台領内でのキリスト教布教容認を条件にメキシコとの直接交易を求める交渉で、ソテロは政宗、徳川家康、布教、貿易という四つのカードを操り、策士ぶりを遺憾なく発揮した。

 政宗と家康はどちらも南蛮貿易に意欲的だったが、布教を容認する政宗に対し、禁教への姿勢を強めていく家康。ソテロは交渉に際し、家康の大使でもある点を強調し、メキシコとの交易が実現すれば、家康の態度にも変化が生じる可能性を覚書で唱えている。熱がこもるソテロには日本司教になる野心があった。

 日本の様相は変化していく。16年に家康が亡くなり、2代将軍秀忠はキリシタンを一層厳しく取り締まる。政宗も20年、幕府への恭順を示すかのように領内に禁教令を発する。使命を達成できず常長ら使節が帰国した直後だった。使節は全て失敗だったのか。著者は使節船の派遣などで、政宗が当初の思惑通り、南蛮貿易を敢行していた点を重視。このように成功した部分もあり、従来と違う評価の糸口を見いだす。史料の多様な解釈を踏まえ、実相に迫る誠実さが伝わる。

 著者は1974年青森市生まれ。仙台市博物館学芸員。2013年の慶長遣欧使節出帆400年などを担当した。(志)
   ◇
 吉川弘文館03(3813)9151=1980円。

河北新報
2021年11月15日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

河北新報社

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