「いじめ当事者の身近にいる人々に、この物語が届くことを強く願っています」作家・小林由香が新作へ込めた想い

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チグリジアの雨

『チグリジアの雨』

著者
小林 由香 [著]
出版社
角川春樹事務所
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784758413954
発売日
2021/10/15
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

小特集 小林由香 新刊『チグリジアの雨』刊行記念

[文] 角川春樹事務所


小林由香

度々凄惨な事件が報じられ、常に社会問題とされていながらも無くならない「いじめ」。その本質に迫った迫真の物語『チグリジアの雨』(‎角川春樹事務所 刊)を上梓した、小説家・小林由香さんのいじめに対する問題意識、そして作品への想いをうかがった。

『チグリジアの雨』というタイトルに込められた想いについて

――この小説を執筆なさることになったきっかけを教えて下さい。

小林由香(以下、小林) 十三年前、映画のシナリオコンクールで最終選考候補作に選出されましたが、入選には至らなかった作品がありました。長い歳月が流れ、もう一度、その作品に向き合いたいという気持ちが強くなりました。昨今のいじめの状況が、その作品に似ていたからです。スマホの普及など、アイテムは新しいものに進化していくのに、未だに十代の自死を防ぐことは難しい。歳を重ねた今、大切な想いを抱え、当時とは違う結末に向かって物語を修正し、創り上げたいという気持ちが芽生えました。

――「チグリジア」という花にはたくさんの色があり、中心に虎や豹のような模様があることから「虎百合」や「タイガーリリー」などとも呼ばれているんですね。チグリジアのことをこの小説で初めて知りました。小林さんは元々この花のことはご存じだったのでしょうか? そして、この花の名前をタイトルに付けた理由も併せて教えて下さい。

小林 怪我をして出血していれば、すぐに相手の痛みに気づくことができます。けれど、心の苦しみに気づくことは、非常に難しい。難しいなら、何か簡単に気づけるアイテムがあればいいのに、そう思うことがあります。どうせなら美しいものがいい。そのようなことを考え、『私を助けてください』という意味が含まれる花言葉はないか調べているとき、チグリジアの花にたどり着きました。この物語を最後まで読んでいただけたら、きっと咲真という少年の想いが伝わるだろうと考え、『チグリジアの雨』というタイトルにしました。

――デビュー作『ジャッジメント』では復讐、『救いの森』では児童虐待、そして今回の『チグリジアの雨』ではいじめをテーマにされていますが、物語の題材はどのように決められているのでしょうか?

小林 小学生の頃、「どんな人が好き」と尋ねられたクラスメイトの大半が「優しい人」と答えていました。当時、「本当に優しい人」がどういう人物なのかわからなかった私は、自分なりの答えにたどり着けるまで、優しい人について考え続けるような面倒な子どもでした。今まで題材にしてきたテーマは、大人になっても答えを導きだせなかった難問です。私にとって小説を書くということは、登場人物の気持ちを理解することです。相手の気持ちが見えたとき、探していた答えに近づける気がして、小説を書きたくなります。

思わず目をそらしたくなる現実。生と死の間に存在する選択肢

――今作でいちばん悩まれたポイントはどこですか?

小林 今作を書いている途中、咲真の気持ちがわからなくなるときがありました。彼の言動は矛盾だらけで、これまで書いてきた登場人物の中でもいちばん難解でした。悩んでいる最中、編集者さんから「なぜ紫色の雨なの」など、いくつか咲真について質問され、初めて彼の苦悩に気づきました。現実の問題も同じなのかもしれません。ひとりでは理解できないことでも、誰かと一緒に考えれば、相手の抱えている問題に気づき、解決策が見えてくることもあるでしょう。咲真について悩む中で、この作品を通して仲間の大切さを描きたいと思うようになりました。

――小説の主人公となる航基と咲真。一見すると性格が正反対な二人の関係性がとても魅力的で、物語を深くしていると思いますが、小林さんがこの二人を描くに際し、込められた想いを教えて下さい。

小林 健康な人間には、生と死の間に無数の選択肢が存在しています。一方で、重篤な病に冒された人間の選択肢はとても少ない。残酷ですが、その現実から目をそらさずに物語を書き上げようと考えたとき、航基と咲真という対照的な少年たちが浮かび上がってきました。誰かの『栄養素』になりたくないと思っていた咲真が、航基に託した想いは非常に貴重なものだったと思います。哀しい物語ですが、暗闇の世界を描くことでしか、見えない希望があると信じています。

――物語の中でもたびたび出てくるSNSは、人間関係を広げる武器にもなれば、人を傷つける凶器にもなる可能性があります。その点について小林さんの考えをお聞かせ下さい。

小林 とても難しい問題ですが、理不尽な書き込みをされた場合、画像を保存して証拠を残し、戦うのもひとつの手段なのかもしれません。けれど、当事者でない人間が、誰かを批判するときは慎重になったほうがいいと思っています。真実は、関係者全員の視点に立たなければ見えてこないからです。間違ってしまった人を許せないと思う当事者がいてもいい。対照的に、許せるという人たちがいてもいい。けれど、ネット上に暴言を書き込む必要はない。そう思える世の中になることを望んでいます。

――物語のテーマは「いじめ」という重厚なものですが、カバーイラストからは「青春小説」という印象も受けました。出来上がったカバーを見た小林さんの感想を教えて下さい。

小林 夕焼け空、ふたりの少年―。絵の魅力は文章とは違い、見る者の胸にダイレクトに飛び込んでくるところです。カバーイラストのふたりの姿を目にした瞬間、胸が熱くなるのと同時に強い責任を感じました。原稿の中には彼らの魂があり、生きているんだと思うと、物語に真摯に向き合わなくてはいけないと改めて考えさせられました。自転車で走っているとき、きっと彼らは楽しかったんだろうな―。

――この本はどのような方に読んでもらいたいですか? またこの物語を通して、読者に伝えたい(訴えたい)ことはなんですか?

小林 個人的には、小説で人の命は救えないと思っています。けれど、心に小さな変化を生じさせる力はあると信じています。実際に救いの手を差し伸べられるのは、苦しんでいる人の身近にいる方々だけです。そのような人々に、この物語が届くことを強く願っています。

――次に描きたい、チャレンジしてみたいと思うテーマを可能な範囲で結構ですので教えて下さい。

小林 「もしも心を矯正できる病院が存在したら、人は幸せになれるのか」、「加害者と被害者のロードノベル」など、描きたい作品がたくさんあります。どれも難しい題材ですが、焦らずに登場人物の気持ちに寄り添いながら描いていきたいです。

協力:角川春樹事務所

角川春樹事務所 ランティエ
2021年12月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

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