『インド残酷物語 世界一たくましい民』池亀彩 本書への思いとは「生活の哲学を集めて」

エッセイ

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インド残酷物語 : 世界一たくましい民

『インド残酷物語 : 世界一たくましい民』

著者
池亀, 彩, 1969-
出版社
集英社
ISBN
9784087211917
価格
968円(税込)

書籍情報:openBD

『インド残酷物語 世界一たくましい民』池亀彩 本書への思いとは「生活の哲学を集めて」

[レビュアー] 池亀彩(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科准教授)

生活の哲学を集めて

 普通の人が何気なく呟(つぶや)いた一言に、その人が暮らす社会の本質が突然露(あら)わになる瞬間がある。その一言のために、人類学者は現地の人たちと延々とお茶を飲み、杯(さかずき)を交わし、とにかく長い時間を過ごそうとする。他の人から見れば、暇つぶしに見えるようなことでも、私たちはその一言を耳をそばだててじっと待つ。
 そういう一言は、アンケート調査では表れてこない。もちろん調査票を配って、あらかじめこちらが設定した質問に答えてもらうというやり方が有効な調査・研究はたくさんあるだろう。だが人類学者が知りたいのは、60%の人がこう答えました、というような科学的で客観的な(ように見える)データではなく、人々が自らの人生を生きる中で、少しずつ形成される生活の哲学のようなものだ。その哲学は意識して出てくるものではなく、何気ないおしゃべりの中にふっと顔を出す。その瞬間を根気強く待ち、そして逃(のが)さない。たぶんそれが人類学者の仕事の核である。
 だがダラダラと現地の人々とおしゃべりしているだけの時間の余裕が私たちに常にあるわけでもないし、現地の人々も仕事や生活があるので、そうそう外国からきた人類学者などと付き合う暇はない。だから限られた時間の中で、どうにかして相手にリラックスしてもらい、あの一言、私たちの偏見を打ち砕いてくれるような、あの普通でいて深淵(しんえん)な一言を、そうと悟られないよう取り繕いながら、砂漠で水を求めるように渇望するのだ。そして幸いにもその一言が聞けた時には、小躍りしたくなる気持ちをグッと抑え、やはりニコニコと何事もなかったようにその場を去り、大急ぎで今聞いたことをフィールドノートに書き込む。速く書くことも人類学者に必要な能力だ。
 私たちが切望しているのは本音ともちょっと違う。本音は「いや実は本当のところはね」などと囁(ささや)かれ、それはそれで人類学者にとっておいしい情報ではある。だが本音は本音という文脈ですでに整えられている言葉だ。生活の哲学の言葉は少し違う。私たちが聞きたいのは、本音という文脈さえも突き刺して穴を開けるような言葉なのだ。
 インドで普通の人々と普通の会話ができるようになるには確かに時間がかかる。現地語の習得に何年も費(つい)やさざるを得ないし、ミドルクラスのインド人たちは英語が得意なので、英語だけで容易に会話が成立してしまう。だが現地語を現地の人々と同じように完璧に話せなければフィールドワークはできないかというと、そうでもないと思う。ほどほどで十分だ。いや、むしろほどほどぐらいがちょうどいいのかもしれない。
 人類学では「参与観察」と呼ばれる方法論がある。それは現地の人々と同じようにお祭りや農作業など様々な活動に参加して、それらをいわば内側から観察しましょう、というやり方だ。これはちょっとスパイが行う潜伏調査に近いかもしれない。仲間になったフリをして行動してみる。だから、優秀なスパイのように仲間であることを疑われないくらいのフリができた方がいいのかもしれない。現地の人のような風貌で、現地の人のように言葉を操ることができれば、もしかしたら、本当の「参与観察」が可能なのかもしれない。
 でも、と私は思う。正体がバレてしまったらスパイはおそらく袋叩きにあうだろうから必死かもしれないけれど、人類学者がそこまで頑張る必要はないだろう。いや、頑張らない方がいい。言葉もたどたどしく、子供でも知っているようなことすら知らない外国人でいいではないか。そうすれば、よしコイツに色々教えてやろうと思ってもらえるかもしれない。とにかく私はそれでなんとかやってきた。弱くてダメなことも戦術としては有効だ。馬鹿にされたり笑われたりすることを恐れるなど、もってのほかである。
 さて、そんな風にダメさを武器にして集めてきた言葉たちをどう現代の日本社会に住む人たちに伝えるか。インドの市井(しせい)の人々の生活の哲学が日本語で読む人々の心と共振するにはどんな方法が有効だろうか。研究論文のような形式ではないことは明らかだ。思いついたのは、私がよく知っている人のことを書くことだ。だがそれでもどんな文体で書くべきか悩み、インド滞在時にいつも車の運転をお願いしているスレーシュに「今度書く本はあなたのことだよ」と伝えてから随分(ずいぶん)と時間が経ってしまった。
 その本、『インド残酷物語 世界一たくましい民』で綴ったのは、あくまで個別的でパーソナルな物語である。だからこそ、その社会で生きることの手触りを伝えられるのではないか。逆に言えば、パーソナルなレベルにまで降りていくことによってはじめて、彼らと私たちの間にあるように見える「文化の壁」なる虚構を乗り越えることができるのではないか。そしてその地平にたってはじめて、その場所の意味を理解できるのではないだろうか。いくつかのパーソナルな物語がその手助けとなることを望みながら。

池亀 彩
いけがめ・あや●京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科准教授。
1969年東京都生まれ。専門は社会人類学、南アジア研究。南インド・カルナータカ州を主なフィールドにし、文化・社会人類学的研究を行ってきた。

青春と読書
2021年12月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

集英社

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