いま、なぜ親鸞なのか? 近代仏教研究者の碧海寿広が国民的高僧の魅力を語る

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碧海寿広・評「いま、なぜ親鸞なのか――。」

[レビュアー] 碧海寿広(近代仏教研究/武蔵野大学准教授)

碧海寿広・評「いま、なぜ親鸞なのか――。」

親鸞聖人をテーマにした2冊の本が新潮選書から刊行。注目の近代仏教研究者・碧海氏が両書を比較しながら、今もなお多くの日本人に必要とされる国民的高僧の魅力に迫る。

暴力の歴史と「許されざる者」

 先ごろ、新潮選書から親鸞に関する本が二冊同時に刊行された。それぞれ趣向は異なるが、いずれの本も、現代の日本が親鸞を呼び起こすべき時代に直面していることを示唆する。

 一冊は、作家の五木寛之氏による『私の親鸞 孤独に寄りそうひと』だ。氏がこれまでも親鸞について旺盛に語ってきたことは、よく知られているだろう。たとえば、これ以上になく軽快な語り口の入門書『はじめての親鸞』(新潮新書)や、『歎異抄』の鮮明な現代語訳『私訳 歎異抄』(PHP文庫)などが、よく読まれている。何より、親鸞小説の現状での最高傑作と言えるだろう、『親鸞』(講談社文庫)がある。

 そんな親鸞語りのエキスパートである五木氏が、これまでの人生のなかでどう親鸞と共に歩んできたのかを述懐したのが、今回の新著である。御年およそ九十歳。鎌倉時代の人間としては著しく長生きした親鸞と、どこか重なるような感じのする円熟の国民的作家が、自らの心に映じる親鸞の姿を、唯一無二の魅力的な語り口で浮かび上がらせる。

 本を読み始めていくと、すぐに意表を突かれる。五木氏が見聞してきた暴力の記憶が語られ、血や死の臭いが漂ってくるからだ。親鸞に関する「ありがたい」話がなされるのかと思いきや、提示されるのは、むしろ人類による痛ましい暴力の歴史の一端なのである。

 語られるのは、七十数年前の日本の敗戦後、少年時代の五木氏が北朝鮮の平壌から引き揚げてきたときの体験だ。それは「語りたくない記憶」だと氏は述べるが、その話の端々から、当人や周囲の人々の経験した被害や加害の甚だしさが伝わってくる。

 収容所で栄養失調になり次々と死んでいく子どもら、国境線を越えるためのトラックに乗ろうとして蹴落とされる人々、あるいは、彼らを蹴落とす人々(芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を想起する)、ソ連兵の慰み者として、日本人の選択で「いけにえ」のように差し出された女性たち――。そうした光景を胸に秘め帰国した五木氏は、自分は「許されざる者」だという暗い自意識を抱えるようになった。

 これに続けて、五木氏が十数年前に九州の隠れ念仏の里を訪問した際の見聞が語られる。江戸時代、いわゆる隠れキリシタンのように宗教弾圧を被ったその念仏の信徒たちが、悲惨な拷問を受けながら「転教」を迫られた様子が、迫真の描写で解説される。「十数人の念仏者が女も子どももみな体を縛り合って淵に身を投げて死んだ」場所も残っているという。

 こうした壮絶な暴力の記憶を踏まえた上で、五木氏は自らが出会った親鸞の話をする。若い頃からぬぐえぬ罪悪感と共に生きてきた氏が、三十代以降、徐々に傾倒するようになった、親鸞。その出会いにより「とりあえず、自分も生きていくことが許される」という思いが湧き起こってから後、親鸞に学び、親鸞を語り続ける氏の人生が始まった。

「まぼろしの親鸞」「もうひとりの親鸞」

 こうして、半世紀以上の長きにわたって親鸞を考え、一時は京都の龍谷大学に通うなどして親鸞を学んできた五木氏だが、「学ぶほどに親鸞が遠ざかる」感じも持っているという。学者や知識人による親鸞に関する本を読んでいると、多くの見識が得られる。他方で、ありありとした肉感や情念を伴う親鸞の実像は上手くつかめず、また、民衆が親鸞に求めたものは何であったのかを、取り逃がしてしまうような気がするのだと。

 学問的・知的に理解された親鸞は、「まぼろしの親鸞」だ。五木氏はそう指摘する。「観念として、あるいは一つの思想としてのシンボルのように感じられてしまう」、親鸞。大衆作家である氏は、学問や知識の多寡を超えて人々の共感や信頼を集める親鸞を求める。それゆえ、インテリ的な親鸞像には違和感を持つのだ。

 五木氏にとって、親鸞は「お遍路さんの「同行二人」のように、自分のそばで支えてくれて、後ろから肩を抱いてくれるような存在」である。たとえば、配偶者を喪い嘆き悲しむ信徒に対し、憂いを忘れるための酒を勧める親鸞。「人は死んだら浄土に行くのだから安心せよ」と杓子定規に説くのではなく、意気消沈した仲間と一緒に盃を酌み交わし、最後には故人の思い出話で大笑いするまで付き添ってくれる親鸞だ。

 ただし、五木氏は親鸞を、単に人情に富んだ親しみやすい僧侶とは捉えない。むしろ、日本には稀な、論理性の鋭い孤独な思索の人として理解する。「情」と「理」、この双方を兼ね備えた人、というわけではない。あくまでも「理」に生きた僧侶だ。一方で、親鸞は「理」をあまりにも徹底した結果、逆説的にも、そこから独特の「情」がにじみ出ていた。この「理」の一貫性から図らずも発生する「情」に生きた親鸞を、氏は「もうひとりの親鸞」と評する。そこに親鸞の、日本人を魅了して止まない何かがあるのではないか、と。実に魅力的な親鸞像の提示であり、筆者はこのくだりを読んでいて、思わずうなってしまった。

近現代思想のなかの親鸞

 五木氏の新著では、氏が北陸の地で再発見した近代の真宗僧侶、暁烏敏の事績や、その師匠であり近代の仏教思想に多大な影響を及ぼした清沢満之に関する見解なども述べられる。先述の通り、氏は学問的・知的な親鸞理解からは一定の距離をとっている。とはいえ、清沢のように、自らの身命を賭して親鸞を知的に解そうとした人々の歴史には、大きな関心を抱いていることが読み取れる。

 そうした、近現代の知識人や思想家たちによる親鸞受容の系譜を解き明かしたのが、拙著『考える親鸞 「私は間違っている」から始まる思想』である。

 本書では、五木氏も高く評価する仏教者の清沢満之を筆頭に、哲学者の田辺元、三木清、梅原猛、歴史家の家永三郎や阿部謹也、文学畑から小説家の吉川英治や評論家の亀井勝一郎らを取り上げ、それぞれの親鸞論や、親鸞に触発された彼らの思想や活動について考察している。広く近現代の日本思想史のなかで、親鸞はどう受け入れられ、考えられてきたのか、その実情を本書のように広範な事例を基に解読した本は、従来になかったと自負する。

 副題(「私は間違っている」から始まる思想)は、哲学者の鶴見俊輔の言葉を受けて付けられている。鶴見は、ある種の独善的な宗教教団や政治団体のように、自分たちの正しさを疑わず、他者の言動を非難――「あなたは間違っている」――してばかりいる人々に、大きな疑問を抱いた。それに対して、鶴見は、自分は気づかずに悪を犯しているのではないかという思いを抱え続けながら、自前の哲学を構築し、よりよき社会のために行動した。そのような鶴見の思想や生き方には、親鸞に通じる部分が明確にある。

 近代以降の日本で、親鸞を深く考えた人々に通底するのは、こうした「私は間違っている」の思想である。これが拙著に一貫して流れるコンセプトだ。

 たとえば、戦後日本の代表的な思想家である吉本隆明は、親鸞を、『教行信証』のような高レベルの仏教書を著わした第一級の知識人から、「愚」を体現した凡夫へと自覚的に変容していく、きわめて屈折した意識を持つ宗教家として捉えた。親鸞は、浄土仏教の極意を知的に確かめる作業に没頭する一方、そんな知識人じみた私は間違っているのではないかという疑念に後押しされて、ひたすら「愚」に徹しようともしたのだ。

 吉本は、そうした「知」と「愚」の往還を生きた親鸞に学びながら、自身も親鸞のような癖の強い思想を、死ぬ直前に至るまで繰り広げた。戦後の日本人を大いに感化した(反感も含め)吉本の思想を正確に評価するためには、彼の親鸞理解を必ず考慮する必要がある。その際、拙著による近現代の親鸞受容の展開に関する検証が、大いに役立つと思う。

 ちなみに、拙著はもっぱら故人を論述の対象としたため、五木氏の親鸞論は扱っていない。だが、氏の親鸞に関する語り、とりわけ小説『親鸞』が鮮明に描いた、社会の周辺を生きる「いし・かわら・つぶて」の如き人々と共にある親鸞の姿は、歴史的にきちんと評価し位置づける必要性を感じている。おそらく、これはキリスト教社会主義者の木下尚江らのイメージしてきた、左派的な親鸞像の系譜に属すると思うが、また別の機会に論じたい。

親鸞が要る時代

 最後に、現在は親鸞を呼び起こすべき時代だという、冒頭に述べた私見について、少しだけ付言をしておこう。

 いま、なぜ親鸞か――一つには、現代が生きやすい時代であると同時に、生きにくい時代でもあるからだと思う。

 およそ現代ほど、多くの人間の生存と長寿の可能性が約束された時代はない。科学技術や医療の発達のお蔭で、ほとんど誰もが、衛生的で健康な暮らしを長く送れるようになった。確かに、格差や貧困は依然として存在する。

大勢の生命を奪う災害や疫病も繰り返しやって来る。だが、昔に比べれば、日本人が平均的に享受できる豊かさや安全性のレベルは著しく高い。何とも生きやすい世の中だ。

 と同時に、現代は生きにくい。ひたすら長い人生が続く状況で、人生のままならなさは、相変わらずついてまわるのだ。たとえば、家族や友人、恋人との関係や、関係の作れなさに、苦しむ人間が後を絶たない。地獄を信じる人間は昔と比べて激減したが、地獄のような生きづらさを抱える人間は、今日もなお日本中に存在する。

 この生きやすくも生きにくい時代に、周囲の人間関係からは自由に、自分の心を支えてくれるものがありえないか――そこで親鸞が浮上する。俗っぽい悩みの多かった、長寿の高僧である親鸞が。生きにくい現代人の「孤独に寄りそうひと」として、また、その生きにくさを成り立たせている根本の「私は間違っている」のではないかという問いの向かう先として、親鸞が現代に要る。

新潮社 波
2021年12月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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