『熔果』のクロウト読み指南

レビュー

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熔果

『熔果』

著者
黒川, 博行, 1949-
出版社
新潮社
ISBN
9784103174028
価格
2,090円(税込)

書籍情報:openBD

『熔果』のクロウト読み指南

[レビュアー] 江弘毅(編集者)

江弘毅・評「『熔果』のクロウト読み指南」

「最高傑作や。間違いない」。475ページの今度の大作『熔果』を読んで声に出してしまった。

 黒川作品は、疫病神シリーズにしても今回の堀内・伊達コンビの最新作にしても「一気読み」させられてしまう。金曜は夕食後から午前3時過ぎまで。土曜は昼2時過ぎから夕食を挟んで同じく3時過ぎで読了した。

 わたしはシリーズ2作目の『繚乱』の文庫の解説と『K氏の大阪弁ブンガク論』でも詳細に書いたが、「ヤクザとマル暴あがりの会話の台詞」が黒川作品の白眉である。それらは徹頭徹尾「極道の大阪弁とブンガク性」(という鼎談もやった)だったが、今回は加えて博多弁や小倉弁の半グレの「リアルな現場の言葉」が出てきて抜群なのであった。

 この作品に通底している半グレへの嫌悪感と容赦ない暴力は、コンビがいままで命懸けでよろしく対峙してきたヤクザ社会の終焉への哀歌なのか。そういう機微を感じさせながらも、どの場面の会話の台詞もやはり素晴らしすぎる。なのでスジを忘れてどんどんページを繰ってしまうのだ。

「なんいっとんかちゃ、おっさん」「きさん、くらすぞ」という小倉弁に、「やめとけ。わしらはおとなしいに話したいんや」「すまんのう。おっさんはそういうのに疎いんや」と大阪弁が噛む。

“NY”の黒キャップに鼻下とあごに髭、「なんだ、そのギャグは。つまらねえ」と吐き捨てる半グレのボス格には、「おもろないのう」と返し、「すかした東京弁や。小倉のワルは小倉弁を喋らんかい」とおちょくる。シバキまくって気を失いかけたところに、片手鍋に満たした水を顔にぶっかけて、ついでにその鍋をこめかみに叩きつけると、柄が折れて鍋が飛ぶ。そして売人のアドレス帳が入るスマホを「没収や」と取り上げ、パスワードを言わせようとする。

〈「そんなんないちゃ。指紋認証ちゃ」木元はわめく。

「そら不便やのう」

 伊達は木元の右手をつかんだ。「堀やん、こいつの指を切り落とそ」

「あほ。やめろちゃ」木元は拳を握りしめる。

 堀内は台所へ行った。流し台の扉を引く。菜切り包丁を抜いてリビングにもどった。

「どの指や、こら」

 伊達は木元の腕を捻じりあげた。木元は呻いて、

「分かった。パスワードや」

「いわんかい。それを」〉

 見事である。めちゃくちゃ怖い。

 コンビの移動がめまぐるしい。堀内が買ったBMW Z4が実にいい仕事をする。はじめに堺の泉北ニュータウンが出てきて、羽曳野や松原や河内国分やらの南河内のヤクザ、ミナミの桜川のホステスの家からまた南河内に戻って、いきなり淡路の洲本へ。ミナミの裏なんばへ戻って今度は速攻で九州・博多に小倉、由布院も出てくるわ。で、次は下関から名古屋かいな。常滑、揖斐高原……。あわわ、これで最後だとばかりにマレーシアへの逃避かと思たら、関空そばのワタリガニ専門店が出てくる。岸和田出身のわたしには、すぐそばの泉佐野の「これは松屋や」どきっとする。初っぱなの堺の「槙原台」も「近くやないか」。

「壮大かつ完全無欠なロードノベル」である。いいや、そう書いたらハリウッド映画みたいで黒川小説やない。

「ご当地言葉とうまいもんが相まってあまりある、おそろしくも味わい深い『熔果』の名所探訪をしてみたい、などと思う。よくある大谷崎の『細雪』の阪神間における名所・グルメ案内などより、ファンにとって切迫度が違う」

 そんなことを書いてこましたれ、と思いながら寝て、明くる日曜は堀内のように起きると昼前だ。また読み直す。

 堺で占有屋を「破れ提灯」にして、「そろそろ十二時や」と車で西天満のヒラヤマ総業に戻って信濃庵に入る。わたしの仕事場もある西天満の昼どきのシーンは、文句なしの名場面だ。「注文は板わさと卵焼きと小エビのかき揚げ。冷や奴と丸干しやったなあ」と、決して繁華街ではないが、がちゃっとした街場独特の空気感をも自分で再生しつつ、「近くで言うたらどこの店が信濃庵やろ」と思いながら昼ご飯に行く。ぶあついゲラをエコバッグに入れて。

 このような「地元大阪の街場の実生活」の延長線上に極上のワルが「確かに居る」のが黒川小説であり、今回は「他所の街」にほかならない小倉や博多、名古屋、洲本ほかが加わる。ターゲットは「半グレ組織に奪われた5億円の金塊」だ。いかにして黒川さんはこの新ネタを引っ張ってきて「絵を描いたのか」。激しい感想をひっさげてミナミの鰻谷(ここも今回登場している)でお会いしたのだ。

「半グレと金塊はワンセットですが、そろそろ終わりかけてたからね。今、書いとかんと、あかんのちゃうか」

 なるほど。実際の「小説新潮」の連載はどうでした?

「25回の連載で、1回30枚ですから750枚ぐらいですか。月のうち12~13日はかかってた。1日3枚は書くと決めてた。昔は6枚ぐらいは書いとったけど」

「そもそも書くのが遅いからあまり波がないんです。早ければ、調子の悪い日とか書くことに困ることは多分あると思う。俺はスランプというのは今までないんです。書くのに困ることが一切ない。なんだかんだ出てきますわ。次ここら辺で、もうちょっと飽きたから場所変えようかとか、アクションがこの辺で欲しいなと思ったら、考えつきますね、不思議に。車で逃げよるから、この車をどうして止めたらいいかな。よし、ほんならホイールに生木をかまそうか。いろいろ考える時間があるんです。書くのが遅いから」

 いきなり「黒川クロウト読者」にとっては、核心のエエことを聞いたな。そして今回はいつもの「極道との会話の台詞」に、「半グレとのそれ」が加わる。

「やっぱり台詞がどうしてもすごい時間がかかる。ここで、こういうことをしゃべらすのが的確かな、というものを探すんですね。絶対、説明になったらいかん。描写ですね。ほんで、自然に読めるように。難しい言葉はできるだけ使わないで、その人の符丁というか、その業界の人間であることをよくわからせるような台詞ですね。2~3人の上下関係、人間関係をわからせるようにとか、すっごい条件があるんです。そこに方言を入れて絡める。それを口でしゃべりながら書いていくと、時間がかかる」

 以前直木賞の記者会見のインタビューで、黒川作品の会話とその台詞を絶賛された。その際に黒川さんは「ことさら面白い会話をしようと考えるわけではなくて、日常しゃべってる言葉があんなんです」と仰った。「さすがミナミの黒川さんですやん」と大笑いして納得した。街場の大阪弁は学校の国語で習う制度化された日本語ではない。徹頭徹尾現場の言葉だ。北新地の割烹の板前が話す言葉と、北浜の証券マンのそれは全く違う。地域、社会的属性で特徴があるから、断然街場はおもろいのだ。さて今回の小倉や博多弁の半グレの言葉のリアルさはいかに?

「小倉出身の新潮社の編集者に教えてもろたんです。博多の子もおったんです。はじめは標準語で書いて、いや大阪弁かな……、ちゃんと直してもらった。小倉弁と博多弁と一緒にするとエラいことになる」

 ちなみに最後に名古屋の極道と観覧車に乗る場面が出てくるが、名古屋出身の担当編集者が「僭越ながら、名古屋弁だとこんな感じ」と入れたが、それは全ボツになったとのこと。「そらそやろ」。なんだか分かりすぎる。

 今回は半グレのシノギの一つ「ディーラーさん」が登場する。黒川さんは「いまどきの半グレというやつは知恵がまわる。ガラパゴスのヤクザとは発想の原点がちがうわな」とだけ伊達に言わせて――半グレどもの新手のシノギだ。開帳博打や裏カジノに代わる形で勃興してきた「ワンナイトカジノ」は胴元がいない。そこが決定的に違う――などと、解説を「地の文」で2ページを使って書く。このような半グレについての解説は、わたしら黒川ファンの「極道もん読み」にとっては行き届いた気遣いだ。

「そうです。さっきも言いましたが、台詞で説明したらイモくさい。ほんとに説明しないかんところは、地の文で書いてます。その『ディーラーさん』ですが、たぶん、いませんよ。いません(笑)。あれ、自分で作ったんです。ほか090金融からオレオレ詐欺に至る詳しい説明は、全て本当の話ですが、取材と資料を読んだのもあります」

 次のポイントは場所を示す「地名」である。「オール讀物」の直木賞発表号で東野圭吾さんは「黒川小説については、大阪出身者の方がよく読める」と遠慮なしの発言をしていたが、わたしら地元民は、その都度「うわ、近所が出てきた」「ははん。あっこら辺やな」などと、膝を打ったりニンマリしたりするのだが、実際は実在/架空が混じっている。冒頭の「槙原台」は架空で、同じ泉北ニュータウンには「槙塚台」がある。中ほどに登場する、当銘(半グレ)、江藤(元刑事)、寺本(組員)の3人がつながる菱屋南中学も架空だ。警察署名はほとんどが架空。これはあまりにも現場的でリアル過ぎることの地元への配慮なのか。

「思いやりとかとは違います。ややこしいのは全て仮名です。後で揉めたら嫌だからです。固有名詞を出すときは、必ず調べます。実在するかどうかということを。小倉の旦過市場の焼きうどんとか泉佐野のワタリガニとか、土地の食べものは『あそこで食べたなあ』とか『1~2回行ったことがあるなあ』とか、クアラルンプールのブキッ・ビンタンも前に行ったから、書くたびに思い出すんです」

 出版界随一で知られる新潮社の校閲は、当然「ある」「ない」を全部チェックしてるから、付録で「一覧表」をつけたら、コアな読者は「黒川さんはワシとこらの土地柄をようわかっとる」と歓喜するはず。

 その現場、「あっちで喧嘩して、こっちで喧嘩してと、今回はアクションシーンがシリーズ中、一番多い」この4作目は、若い20代の半グレに対して容赦ない暴力を振るうが、「うっとうしいんや、かっこだけのチンピラは」などとど突き回しながらも、「早くやめろ」「盃もろてへんやったら足を洗え」などと再三、忠告する。これは変遷するアウトローへの時代に関しての思いからなのか。

「今どきのヤクザの平均年齢は、50は確実に超えてます。どうすんのやろう。シノギがないから、職業として成り立たへん。金儲けする技術は半グレのほうが、圧倒的に高い。ただ、コンビにとっては『足洗え』というよりは、むしろ『うまいこと逃げろ』なんですよ。こいつが捕まったら自分らに累が及ぶから。そういうような悪だくみで、『逃げろ、逃げろ』と、善人のように言わせてるんですけど」

「犯罪は犯さないように。捕まるのがいやだからね。そやからカネを取り戻すために金塊を盗るというのは、先に下関の金主のところに行って、契約書みたいなことを喋らせてスマホに録ってます。段取りをやってるんです。こいつにカネ返さんことにはただの強盗や。読者にこのコンビが嫌われんようにね」

 うーん。やられた。流石は黒川さんだ。唸ってしまう。

「伊達と堀内が刑事だった時代は大阪から離れられない。でも今は、何したって、どこ行ったっていい。ケツだけヒラヤマ総業に持っていったら済むから。なかなか、小説的に良い環境にあります」と黒川さんは不敵に笑うのだった。

新潮社 波
2021年12月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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