呆然とするほど滅茶苦茶で笑える 死ぬまで忘れられないインパクト

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

呆然とするほど滅茶苦茶で笑える 死ぬまで忘れられないインパクト

[レビュアー] 豊崎由美(書評家・ライター)

 ロシア文学というと、ドストエフスキーのようなかつての文豪の名前しか浮かばず、現代作家についてはよくわからないという方は多いはず。その一人であるわたしが瞠目したのが、ロシア文学界最良の水先案内人である沼野充義&恭子夫妻が編んだ『ヌマヌマ はまったら抜けだせない現代ロシア小説傑作選』だ。

 学校では全能の校長だったのに、息子の自分には無力だった母親の思い出を叙情的に描くシーシキンの「バックベルトの付いたコート」。大都市を混乱の渦に巻き込んだコンピュータ・ウィルスをめぐる数奇な復讐譚を、スピーディかつコミカルな筆致で駆け抜けるペレーヴィンの「聖夜のサイバーパンク、あるいは『クリスマスの夜-117.DIR』」。亡命ロシア人である主人公のダメ男っぷりを描き、発表当時〈ロシア文学史上もっとも汚い言葉で書かれた小説〉と騒がれたリモーノフの「ロザンナ」。伝説の作家が語る宿命の女にまつわる奇想天外な話が、鏡の乱反射がもたらす目眩のような効果を生むビートフの「トロヤの空の眺め」。

 などなど多様な読み心地をもたらす個性的な12篇が収録されているのだけれど、わたしがとりわけ気に入ったのはサドゥールの「空のかなたの坊や」とエロフェーエフの「馬鹿と暮らして」だ。英雄ガガーリンの母を自認する老女が、啓示によって〈地球の心臓部〉を目指す過程を描いてクレイジーな前者。刑罰によって馬鹿と暮らさなくてはならなくなった主人公が、馬鹿の収容所から「えい!」としか言わない男レーニンを連れ帰り、やがて主従が逆転したばかりか愛し合うようになってしまう展開が、呆然とするほど滅茶苦茶で笑いを連れてくる後者。いずれも、読んでしまったら死ぬまで決して忘れられないインパクトを備えていて、「現代ロシア文学、恐ろしい子っ」の思いは日を追って募るばかりだ。まさに「はまったら抜けだせない」世界なのである。

新潮社 週刊新潮
2021年12月2日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク