美しい女学生と海軍軍医中尉の最後の逢瀬

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美しい女学生と海軍軍医中尉の最後の逢瀬

[レビュアー] 川本三郎(評論家)

 書評子4人がテーマに沿った名著を紹介

 今回のテーマは「接吻」です

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 どうも日本人に接吻は似合わない。丸谷才一は随筆「キスの研究」(『男もの女もの』文藝春秋)のなかで、日本にはキスの「伝統」がなく、日本で接吻(昔風にいうと「口吸い」)は閨房でのエロティックなものに限られてしまうと言っている。その通りだろう。

 キスの文化は明治以後、西洋から入ってきた。「接吻」に「キス」とルビを振った早い例に徳冨蘆花の『不如帰』(岩波文庫)がある。

 ヒロインの浪子が海外に出かけた夫の写真を見ながら「早く帰って頂戴」と言い写真に接吻をする。

 無論、これとて部屋のなかでのこと。

 大正時代にドイツに留学した斎藤茂吉は「接吻」という随筆で、ウィーンの町を歩いていて男女が木陰で接吻をしているのを見て驚いたと書いている。二人は一時間もキスしていた。

 日本では考えられない。それでも戦時中に若い恋人たちが夜の公園で接吻をかわす美しい姿を描いた小説がある。

 斎藤茂吉の子、北杜夫の斎藤一家をモデルに描いた『楡家の人びと』(新潮社、一九六四年)。

 楡家の美しい女学生、藍子は太平洋戦争が激しくなるなか、兄の友人で海軍軍医中尉、城木達紀を好きになる。明日が帰艦という夜、二人は神宮外苑で初めて接吻をする。

 そのあと達紀は戦死してしまうのだから、まさに今日を限りの最後の接吻。藍子が接吻をする前に「お死にになっちゃ、いや!」と低く叫ぶのがいじらしい。

新潮社 週刊新潮
2021年12月9日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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