若き歴史小説家として、各方面から熱い視線を向けられる谷津矢車。新境地を予感させる新刊『北斗の邦へ翔べ』を刊行!

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北斗の邦へ翔べ

『北斗の邦へ翔べ』

著者
谷津 矢車 [著]
出版社
角川春樹事務所
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784758413893
発売日
2021/11/15
価格
1,870円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

谷津矢車の世界

[文] 角川春樹事務所


谷津矢車

若き歴史小説の書き手として、常に注目を浴びてきた谷津矢車氏。
滝廉太郎などの芸術の担い手を主人公にしてきた著者が次に選んだ舞台は、幕末の箱館戦争。

戦雲が近づく箱館で、やがて最期を迎える土方歳三と、松前藩士の少年との意外な交流を描き、あらたな境地を予感させた新作『北斗の邦へ翔べ』について、文芸評論家の末國善己さんによるインタビューで、その創作秘話をうかがう。

◆土方を出すからには、剣戟は書きたかった。

――最近は、『廉太郎ノオト』『絵ことば又兵衛』など芸術家小説が中心だったので、箱館戦争を題材にした『北斗の邦へ翔べ』は久々の乱世ものとなりますね。

谷津矢車(以下、谷津) 芸術家を主人公にしたり、身近な小さな世界を題材にしたりした最近の作品は、自分の内側の世界を書いたのですが、角川春樹社長に「なぜ地味なものばかり書くんだ」と叱られてしまいました(笑)。それで派手な題材とは何かを自分なりに突き詰めた結果、まず有名人を出そうと考えて土方歳三で箱館戦争を書くといったら、ようやく社長に「分かってきたじゃないか」といっていただけ、そこを軸に物語に肉付けしていきました。

――谷津さんは『某には策があり申す 島左近の野望』などで戦国の合戦を描かれていますが、幕末維新期の戦争は今回が初めてではないですか。幕末維新の戦争は近代戦なので戦国の合戦とは違っていたと思いますが、その難しさと面白さについてお聞かせください。

谷津 幕末の近代戦は、まだ十分に成熟していませんでした。例えばガトリング銃を輸入したものの、どのように使えばいいか分からなかった時代です。その中で大鳥圭介が独創的な戦術を編み出したように、決まり切った戦術をアウトプットするのではなく、皆が試行錯誤しながら戦ったのを想像して書くのは楽しかったです。

――土方歳三が主人公の一人なので、戦争だけでなく、チャンバラも連続しますね。

谷津 土方を出すからには、剣戟は書きたかったです。戦国は槍で、明治以降は銃になりますから、幕末は日本の歴史の中で数少ない剣の時代です。だから剣客としての土方の活躍を多くしてみました。

――もう一人の主人公が、出世をした松前藩士の父が政変で失脚し、家禄を復活させるため榎本軍と戦うも敗れた少年・伸輔です。土方が、反榎本軍の活動に走った伸輔を追う前半は、新撰組もののような面白さでした。

谷津 土方は多くの作家が取り上げていますが、箱館時代は軍人だったとされています。だからこそ、土方が箱館で新撰組時代のような活動をしたら面白いと考えました。

――『菜の花の沖』の主人公・高田屋嘉兵衛が重要な役割を果たす一方、土方が活躍し、伸輔が好意を寄せるヒロインがお雪なのは『燃えよ剣』を思わせます。これらは司馬遼太郎作品へのオマージュなのでしょうか。

谷津 好きな作品からは逃れられないので、気が付けば司馬さんのエッセンスが入っていました(笑)。やはり司馬さんは避けていても顔をのぞかせてしまう巨人なので、今回もところどころに出てきた感じです。

◆この小説は、自分を縛る枷から自由になる物語です。


末國善己

――物語は、榎本軍の土方と、反榎本軍の伸輔を対比させながら進みます。この二人が興味深いのは、戊辰戦争に負け続けた三十代の土方が時代の変化を柔軟に受け入れて前向きなのに対し、若い伸輔が藩の再興、お家の再興という古い価値観に囚われていることでした。

谷津 僕は今、土方が死んだのと同じ三十五歳です。この年齢になると、年を取った方が自由になれると実感できます。社会には決められたレールがあり、そこから外れて失敗しても誰も責任を取らないと大人は十代、二十代に語るので、その言葉に縛られている若者は不自由です。反対にやることをやって箱館政府陸軍のナンバー2になった土方は、自由な発想ができたはずです。

――伸輔は土方と交流したり、戦争に巻き込まれたりしながら成長するので、青春小説にもなっていました。

谷津 この作品は、自分を縛る枷から自由になる物語です。それこそが成長ですし、大人になることです。今にして思うと、伸輔が適切な力を得て自分の力で立つまでを描きたかったのだと思います。やはり直球の青春小説は好きですね。ただ『廉太郎ノオト』を書いた後に、もう青春小説は書かないと啖呵を切っちゃったので、どのように撤回するか考えなければなりません(笑)。

――夢を語る土方の影響を受け、現実主義者だった伸輔が夢を持つようになる終盤は、現代小説で描くのが難しい夢の大切さが描かれていましたね。

谷津 現代は夢を持つのが難しくなっていますが、人間は夢を持っていないと生きられないというのが僕の実感です。青春小説と同じで、夢を持つ大切さを臆面もなく表現できるのが歴史小説の良さなので(笑)、夢を持って欲しいという願いを込めて書きました。

――北の貿易拠点だった箱館が舞台で、土方が商人になりたいと考えていることもあって、作中には、商売は身分に関係なく参加できる、搾取をせず取り引きする人たち全員が利益を受けられる方が商売は巧くいくといったビジネス論が展開されていました。作中にビジネス論を出すのは意識していたのですか。

谷津 この本は当初、箱館の乗っ取りを目論む大資本の外国商人と、心正しき日本の小資本が戦う図式だったのですが諸事情で変更したので、その名残りがあるのだと思います。箱館戦争の頃の土方は死場所を探していたとされがちですが、そんな土方は書きたくありませんでした。商いがしたいと語る土方は、負け続けたとはいえ三十五歳の土方が、すべてを諦めて死に急いでいたとは思えないという僕の実感から生まれました。

――物語が進むと、榎本軍からも、薩長軍からも、外国人からも酷い目にあった人たちが集まる場所として鼠町が出てきて、この鼠町の一派が榎本軍とも、薩長軍とも異なる第三の勢力として動き始めます。虐げられた人たちが逆襲する展開は、胸が熱くなりました。

谷津 幕末の庶民のパワーは凄いですよね。いま他社でええじゃないかをテーマにした作品を書いていますが、あの運動も何だったのかいまだによく分かりません。意味の分からないエネルギーは面白くて、鼠町の戦いはわけが分からないだけに物語が破綻する危険はあったのですが、楽しみながら書いていました。

――伸輔が活躍し、鼠町の動向が描かれる後半は、人の弱さが肯定的に描かれているように思えたのですが。

谷津 肯定するかは別にして、僕自身が吹けば飛ぶような個人なので、権力者よりは弱者の側に立ちたい気持ちはあります。この作品では弱者が立ち上がり、こうした方がいいという注文を付けました。それは現代にも繋がっていて、自分の生活を守るためには何が必要かを考えて行動して欲しいという気持ちがありました。

――現代は薩長が作った明治の延長にありますが、本書では榎本軍が勝った可能性、鼠町の一派が勝った可能性も示されています。これは近代初期の日本には別の選択肢があったとすることで、現代の日本のあり方を問い直す意図があったようにも思えたのですが。

谷津 そこまで明確な意図はありませんでした。ただ薩長の延長線上にある現代が出来たのは、必然ではなく単なる偶然です。色々な人たちが様々な思惑を持って歴史にかかわっているうち、たまたま薩長に収斂していったに過ぎないということは書きたかったです。

――榎本軍の軍艦・開陽が沈没した裏に陰謀劇があったとの謎は、良質なミステリーになっていましたね。

谷津 開陽の沈没は謎ですし、開陽があれば榎本軍が制海権を確保し全体の戦局もどうなっていたか分かりませんので、何かあったと思うのは人情です(笑)。知られていない歴史の闇の中に嘘を持ち込めるのは作家の特権ですから、あれこれ推理するのは楽しかったです。

――これから、どんな作品を書いてみたいですか。

谷津 作家仲間とZOOM飲み会で小説にできないネタの話をした時に、ムンクを出しました。ムンクはアルコール依存症だった若い頃に世紀末芸術家として脚光を浴び有名な『叫び』を描きますが、依存症を克服した後半生の仕事は評価されていません。ムンクは前半生と後半生のどちらが幸福だったのかは、書いてみたいですね。

聞き手:末國善己

角川春樹事務所 ランティエ
2022年1月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

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