第34回 柴田錬三郎賞受賞記念エッセイ 受賞作『類(るい)』(集英社刊)その後の類

対談・鼎談

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類

『類』

著者
朝井 まかて [著]
出版社
集英社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784087717211
発売日
2020/08/26
価格
2,090円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

第34回 柴田錬三郎賞受賞記念エッセイ 受賞作『類(るい)』(集英社刊)その後の類

[文] 朝井まかて(作家)

その後の類

朝井まかて
撮影=冨永智子

 小説『類』を刊行してから一年と少しが経つ。
 連載時から数えれば三年ほどになるだろうか。けれど今も、草の匂いを感じれば鷗外(おうがい)が丹精していた草花の庭を、木々が落とす青い影を見れば森家の書斎の窓を思い出す。“思い出す”とは正しい表現ではなく、観潮楼(かんちようろう)は借家人が起こした爆発事故で焼け、類が暮らした屋敷も東京大空襲で灰燼(かいじん)に帰している。
 けれど私はやはり、森家のさまざまを今も思い出すのである。観潮楼に飾られたクリスマスの樅(もみ)、茶の間の火鉢や蜜柑を食べた炬燵(こたつ)、類の母・志(し)げの嫁入り道具であった黒漆の溜塗(ためぬ)りの洗面桶、夏はシトロンが冷やしてある台所。類のために建てられたアトリエの前の薔薇、池の金魚、鳥籠。犬たちの声、蟬の声、庭の落葉焚きから立ち昇る一筋の煙。
 森鷗外の末子、類は明治四十四年(一九一一)に生まれ、大正から昭和、平成と、四つの時代を生きた人だ。文豪の子、いや、当時の社会通念でいえば陸軍軍医総監の子として通っていただろう。幼少期に貴族的な生活を送った類は、「ボンチコ」であった。ボンチコとは鷗外が使った愛称で、関西弁で言う「ぼんち(ぼんぼん)」に由来するらしい。姉の杏奴(あんぬ)は「アンヌコ」と呼ばれた。鷗外は我が子を愛してやまぬ人だった。

 そんな生まれ育ちに恵まれながら、類は何者にもなれなかった人である。
 子供の頃から学業が振るわなかったため兄の於菟(おと)のような医学者になり得ず、画家を志して巴里に留学するも才を開花させること能あたわず、やがて運命に導かれるようにして文筆の道に入った。だが現代に残るのは二人の姉たち、茉莉(まり)と杏奴の著書ばかりだ。森茉莉は知っていても、森類を知る人は少ない。
 ――エンターテインメント小説の主人公としては、描きにくい人物。
 刊行後、そんな感想をいただいたことがある。べつだん、大きなドラマは起きない小説ですね、とも。私には自覚がなかったので、ああ、そうなのか、と胸に手を置いたものだ。そういえば執筆中、小説としての骨格や物語の起伏に心を砕いた覚えがない。むしろ、類の人生を小説にするにはストーリーよりも文体だと感じていた。そう、文体が支える小説を書けないだろうか、と。その他の欲は抱かなかった。類の手紙や詩、小説、随筆をひたすら読み、両親や兄姉の書いたものを読み、先達(せんだつ)の評伝を読み、それらを時系列に置き換え、また類自身の書いたものに戻る。
 類の文章、言葉には独特の香気があって、戦後の生活の苦しさや世に認められぬ現実を綴ったものにも詩のような韻律やユーモアが息づいている。そして常にどこかで己を客体化している。彼は笑いながら泣き、泣きながらスウェーターの袖口のほつれに気づく。
 私は彼らしい言葉に出合えば嬉々として、小説の一行、一句に編み込んだ。色や匂い、歓びや悲しみ、吐息を。
 類の随筆集出版を巡る姉たちとの相克については、書き手としての覚悟も必要であった。時代が近いだけに、まだ“歴史”になり切っていない。当事者のご家族にとっては、わざわざ蒸し返されたくない出来事もある。それでも小説は、立ち入る。書くことの業のようなものを自らに見ながら、私は類の業を書いた。
 茉莉は類の随筆に対する逆襲のようにして小説『クレオの顔』を書き、こう表現している。“つねに一人の弱者”“つねに一人の敗北者”、そして“神のやうに弱い”弟。
 けれど後年、テレビに釘付けであった茉莉は人気の刑事ドラマの俳優に「ルヰ、ルヰ」と呼びかけていたらしい。「若い頃のあなたによく似た俳優が出てるわよ。とくに目のあたり」(私の推測では、ショーケンこと萩原健一だ)。類は晩年の姉に寄り添い、『硝子の水槽の中の茉莉』という優れた随筆を残した。
『類』の刊行後、読者から多くのお手紙をいただいた。中には、類が生活のために開いた書店「千朶(せんだ)書房」を憶えていて、幼い頃の想い出を綴ってくださった方があった。嬉しくて目頭が熱くなった。類が小説家として立つことを夢見て参加した同人誌が「小説と詩と評論」だが、お父上がその同人であったと当時の写真を送ってくださった方もいる。このたび『類』が第三十四回柴田錬三郎賞をいただき、望外の歓びをかみしめている。奇しくも柴田錬三郎氏も同人の一人であった。
 類のお子さんたちにお目にかかったのは連載終了後で、ご両親のさまざまを生き生きと語ってくださった。類が晩年を送った日在(ひあり)の海鳴りを聞きながら、私は幸福だった。父親としての類はハンサムで洒落ていて、あたたかい。そして子供たちに深く愛された。ささやかな幸福を家庭に結んだ人生は、今も続いている。

朝井まかて
あさい・まかて
1959年大阪府生まれ。2008年『実さえ花さえ』(文庫では『花競べ 向嶋なずな屋繁盛記』と改題)で第3回小説現代長編新人賞奨励賞を受賞しデビュー。14年『恋歌』で第150回直木三十五賞、『阿蘭陀西鶴』で第31回織田作之助賞、16年『眩』で第22回中山義秀文学賞、17年『福袋』で第11回舟橋聖一文学賞、18年『雲上雲下』で第13回中央公論文芸賞、『悪玉伝』で第22回司馬遼太郎賞、21年に『類』で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。他の著書に『輪舞曲』『白光』など多数。

青春と読書
2022年1月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

集英社

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