集英社新書『シングルマザー、その後』黒川祥子「貧困という宿命を背負わされて」

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シングルマザー、その後

『シングルマザー、その後』

著者
黒川, 祥子, 1959-
出版社
集英社
ISBN
9784087211955
価格
1,012円(税込)

書籍情報:openBD

集英社新書『シングルマザー、その後』黒川祥子「貧困という宿命を背負わされて」

[レビュアー] 黒川祥子(ノンフィクション作家)

貧困という宿命を背負わされて

「黒川さん、女性の貧困元年って、いつだと思いますか? 」
 2017年夏、大阪・梅田の喫茶店。取材で対面していた社会学者、神原文子(かんばらふみこ)さんから発せられた突然の問いだった。そしてこの問いこそ、新刊『シングルマザー、その後』の出発点となったことを今、改めて思う。
 予想もしない問いに瞬間、虚をつかれた私は、ぽかんとした表情を浮かべたに違いない。女性の貧困はすでに可視化されていたし、私自身、大学生の息子を持つシングルマザーとして、「働けど働けど……」を実感する日々を生きていた。
 私の掌(てのひら)にある貧苦にまさか、「元年」という視点があったとは。不安定な収入下、教育ローンの支払いに追われる汲々(きゆうきゆう)とした日々には、もしかして、何か大きな仕掛けがあったとでもいうのだろうか? 急(せ)くように、神原さんに畳み掛けた。
「全くわかりません。女性の貧困に、“元年”があったなんて思いもしませんでした。一体、それはいつなのですか? 」
 神原さんは、きっぱりと答えた。
「1985年です」
 1985年――、男女雇用機会均等法が施行された年、そしてバブル前夜。咄嗟(とつさ)に思い浮かぶのは、この2つ。まさかこの年が、今に至る女性の貧困の始まりだったとは、俄(にわか)には信じられない。飲み込めないでいる私に、神原さんはここが分水嶺(ぶんすいれい)となった理由を、丁寧に説明してくれた。
 80年代に行われたカラクリを知った私は、静かに涙を流した。心をも蝕(むしば)む生活苦には、明確な理由があったのだ。決して、私が悪かったわけではない。これまで「自己責任」という言葉を投げつけられてきたが、責任はむしろ国にあったのだ。
 新たな視界が、くっきりと大きく開いて行く。この事実を、白日の下に暴きたい。今、この瞬間も、自分を責めている多くのシングルマザーに、あなたは悪くないと伝えたい。その思いが私に本書を書かせた、大きな動機だ。

女性が、「人」ではない社会
 1985年――、それは「男性に扶養されない女性」は貧困に至るという宿命が、社会構造として構築された年だった。
 中核となったのが、国民年金の「第3号被保険者制度」の創設だ。それまでは第1号(自営業者や学生)と、第2号(会社員や公務員)のみだった保険制度に、新たに第3号被保険者が作られた。それは、第2号保険者に扶養されている配偶者のためのものだった。これで多くの主婦たちは、保険料を納めなくても年金が受け取れるようになったのだ。
 一方、ひとり親に対する児童扶養手当に関して国はこの年、全額と一部支給という2段階制度を導入し、母子世帯への手当大幅削減に踏み切った。一方、夫と死別した母子世帯へは手厚い遺族年金制度を創設、充実した社会保障を完備したのも、1985年だった。
 こうした専業主婦優遇政策を進めた国の意図は、「自助」にある。一家の主婦である女性が、家事も育児も介護も担うことで、国は社会保障に最低限の金しか出さなくて済むという「日本型福祉社会」がこうして作られ、それを担う妻に、国はご褒美(ほうび)を用意したわけだ。
 ここで、はっきりと見えてくることがある。自民党政権にとって、女性は「人」ではなく、「役割」なのだ。女性は子を産み、家事や育児、介護などの役割を担う存在であって、夫という大黒柱に扶養されるのが前提だから、非正規の低賃金労働でいいとされ、これが今に至る、女性の貧困の最たる原因となっているのだ。2008年の年越し派遣村で、男性の非正規労働が「発見」されるずっと前から、圧倒的多数の女性は非正規でいいとされてきたのだ。
 国は1985年から40年近く、「男性に扶養されない女性」を想定することなく、政治を行ってきている。その結果、社会保障も何もない丸腰で、非正規の低賃金労働しか、選択肢のない社会を生かされているシングル女性やシングルマザーは多い。社会構造により、貧困に至る宿命を背負わされているのだ。
 一方、男女雇用機会均等法で男性並みに働くことが可能となった「総合職」の女性は、多くが男性並みに働く代償として、結婚や出産を諦めざるを得ない人生を強(し)いられてきた。
 なぜ、この国ではどんな女性でも自らの意志で働き、家庭を作り、生活に困窮することなく生きることができないのだろうか。
 日本のシングルマザーは世界一働いているにもかかわらず、その貧困率は世界で最も高い。これは明らかに、政策が間違っているとしか言いようがない。コロナ禍で生活苦に喘(あえ)ぐシングルマザーやシングル女性は、くれぐれも自分を責めないでほしい。「自己責任」ではなく、こんな捻(ねじ)れた環境しか、女性に用意していない国こそが、責を問われるべきなのだ。
 シングルマザーの問題を見つめることで、この国の欺瞞(ぎまん)がくっきりと見える。これは決して、シングルマザーだけの問題ではない。シングル女性も、既婚女性も、そして男性も共に、直視すべき問題であると私は強く思う。

黒川祥子
くろかわ・しょうこ●ノンフィクション作家。
福島県生まれ。東京女子大卒。著書に『誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち』(第11回開高健ノンフィクション賞)、『子宮頸がんワクチン、副反応と闘う少女とその母たち』『心の除染 原発推進派の実験都市・福島県伊達市』『8050問題 中高年ひきこもり、七つの家族の再生物語』等。

青春と読書
2022年1月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

集英社

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