80代の男女3人がホテルの一室で猟銃自殺……江國香織の長編小説『ひとりでカラカサさしてゆく』の読みどころ

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ひとりでカラカサさしてゆく

『ひとりでカラカサさしてゆく』

著者
江国, 香織, 1964-
出版社
新潮社
ISBN
9784103808114
価格
1,760円(税込)

書籍情報:openBD

寂しさも悲しみも、ゆくあてのない思いも

[レビュアー] 大島真寿美(作家)

作家・江國香織さんによる長編小説『ひとりでカラカサさしてゆく』が刊行。大晦日の夜に猟銃自殺を遂げた80代の男女3人と、唐突な死をきっかけに絡み合う、残された者たちの日常を描いた本作の読みどころを作家の大島真寿美さんが紹介する。

大島真寿美・評「寂しさも悲しみも、ゆくあてのない思いも」

 八十代の男女三人が大晦日の夜、ホテルの一室で猟銃自殺を遂げる。

 と書くと、まずその激しさに驚かされるだろう。なにしろ猟銃だ。年齢もさることながら、なぜ、三人で? なぜホテルで? と困惑せざるをえない。いうにいわれぬ、なにか特別な事情があったのだろうか、彼らはそれほど追い詰められていたのだろうか。どれほど苦しかっただろうか。そんなことを、おそらく思ってしまうだろう。

 遠い昔、彼らは、同僚として知り合い、その後、仕事が別になろうとも、六十年以上の長きに亘って、折々に会っては、語らい、遊び、かけがえのない時間を共にしてきた。そうして、この世を去るとき、去ると決めた、その最後の瞬間を、共にすることになる。

『ひとりでカラカサさしてゆく』というこの小説は、この三人の老人の大晦日の一夜(刻々とその瞬間が近づいていくまで)と、三人の死後、影響が及んでいく遺族や友人、知人たち、数多くの人々の生活が交互に描かれる。あからさまな影響もあるし、ささやかな影響もある。意外な影響も、順当な悲しみ、喪失感、悔い、そんなものもたくさん描かれる。

 わたしたちのいる世界は、こんなふうにきちきちと絡み合い、ことごとく影響しあっている、と小説を読みながらわたしはうなずく。目に見えないつながりがいたるところにはりめぐらされていて、わたしたちはその網の目のような中に生きている。そこから逃れることはできない。

 この小説が素晴らしいなあ、と思うのは、それが神の視点から語られていないところだ。どうだ、と高いところから俯瞰したものを見せられるのではなく、一人一人の、かけがえのない視点からそれが語られることだ。地面に近いところからそれを見せられて、なんともいえず愛おしいような、せつないような気持ちになる。わたしもその世界にいる一員であるから、ああ、わたしもこんなふうに生きているのだ、としみじみする。江國香織さんはそのために、とても慎重に丁寧に語る。小説を書いている江國さんと、書かれている人の距離がいつもきちんとしている。三人称で語られる人物と一人称で語られる人物がいて、それでも自在に語ってしまえるのは、その距離をいつもいつも自覚しているからではないかな、と思う。そういうことを疎かにしていないからこそ、この繊細な物語世界がみごとに立ち上がってくるのだと思う。ミステリーのジャンルで信頼できない語り手、というのがあるけれど、この小説を読んでいると、信頼できる書き手、という言葉がよぎる。

 そうして、少しずつ読みつづけていくうちに、やがて、わたしの前に大きく立ち現れてきたもの、それは、猟銃自殺した三人の老人たちの人生のきらめきなのだった。もうこれで人生を終わりにしようとしている人たちが(それも猟銃自殺で!)、でもとても、輝いてみえたのだった。長い時間生きてきた、その、生きてきたという、その事実そのものこそが、まさしく光り輝いていて、寂しさも悲しみも、ゆくあてのない思いも、みんなひっくるめて、わたしはここにいたのよー! って叫んでるみたいに思えた。叫んで、といっても悲痛な叫びではなくて、含み笑いのようなものがまじった、静かでやわらかな、輝く声。このおじいさんもこのおばあさんも、もちろん長い年月を生きてきたからこその重さがあるのだけれども、その年月を経たからこそ、また、たどり着けた軽やかさもあって、それぞれがそれぞれの人生をしっかりと抱えたまま、でもそれを超越して死んでいこうとしている。そう、彼らは、三人で死ぬことにしたのだけれども、でも、やはり、ひとりでカラカサさしてゆくのだ。

 生きることと死ぬことは、ひとりでカラカサをさしていくことなのだと、そして、それは彼らのことだけではなくて、遺された者たちも、むろん、わたしもそうなのだと噛みしめずにはいられない。

 人生の渦中にいると、いったいここはどういうところなのだろうと、よくわからなくなることは多々ある。ここにたしかにいるということを、見失いそうになる。

 わたしはここにいたのよー、という、あの輝く声に照射されて、ここという場所がみえる気がする。死ぬということと生きるということが分かち難く絡み合ったこの場所について語られた小説だとわたしは思う。

新潮社 波
2022年1月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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