小泉今日子×高崎卓馬・対談 私と彼らのあの頃

対談・鼎談

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黄色いマンション黒い猫

『黄色いマンション黒い猫』

著者
小泉, 今日子, 1966-
出版社
新潮社
ISBN
9784101034218
価格
572円(税込)

書籍情報:openBD

小泉今日子×高崎卓馬・対談 私と彼らのあの頃

[文] 新潮社


小泉今日子×高崎卓馬

アイドル全盛期といわれた1980年代にデビューした小泉今日子と、クリエイティブ・ディレクターで脚本・小説なども手掛ける高崎卓馬が、当時のアイドルとファンとの驚きの関係性について語り合った。

事務所に出入り、車で送迎、さらに護衛も……小泉今日子と高崎卓馬が語る、今では信じられない80年代のアイドルとファンとの関係性とは?

※本記事は小泉今日子さんのエッセイ集『黄色いマンション 黒い猫』の文庫化記念にクリエイティブ・ディレクターの高崎卓馬さんと対談した内容です。また、本対談は雑誌「SWITCH」(2022年1月号)の「原宿百景」との連動企画となっています。

小泉今日子×高崎卓馬・対談「私と彼らのあの頃」

高崎 雑誌「SWITCH」で連載していた小泉さんの「原宿百景」(二〇〇七~一六年)が大好きでした。そこに小泉さんが綴るエッセイをまとめた本『黄色いマンション 黒い猫』が文庫化されましたが、連載当時からいつも楽しみに読ませていただいていました。

小泉 わあ、うれしいです。ありがとう。高崎君は広告業界の人。でも、映画やドラマの制作に関わったり、執筆活動もしていて、アイドル時代の私、小泉今日子が登場する小説を書いているんだよね。

高崎 アイドル全盛期と言われた一九八〇年代を舞台に、『オートリバース』という本を書かせていただきました。デビュー間もない小泉さんを、ファンとして夢中で追いかけることで、自分たちの居場所を見つけながらも、様々なことに直面していく十代の少年二人の姿を描いた青春小説です。

小泉 私は『黄色いマンション 黒い猫』の中で、幼少期から現在までの自分の思い出を綴っているのだけれど、高崎君が小説に描いている、私がアイドルだった時期のことも書いています。私がエッセイに書く、自分にとって普通の日常の中にいる小泉今日子と、高崎君が小説に描く、アイドル・小泉今日子。一人の人間のことなのに、立場も視点も全く違うから、二冊を読むと不思議な感覚に陥るんだよね。まるで、小泉今日子という人の表と裏を見ているようで、すごく面白いの。

小説に描かれた小泉今日子の親衛隊

小泉 そもそも私のことを……というよりも、“小泉今日子”という実在するアイドルを題材にした小説を書こうと思ったのはどうしてだったの?

高崎 小泉さんから、直接、アイドル時代の話を聞いたことが大きなきっかけです。友人の吉田玲雄君が書いた『ホノカアボーイ』というエッセイがあるのですが、十年くらい前に、僕が脚本を書いてその本を原作とした映画を製作したんです。玲雄は昔から小泉さんと仲が良くて、映画が公開された後、みんなで食事会をしたんですよね。

小泉 原作には私も登場します(笑)。

高崎 僕が作詞をした映画の主題歌も小泉さんに唄っていただきました(笑)。その食事会の時、小泉さんの横に見知らぬ女性がいらした。ハーちゃんという方で、聞くと、小泉さんが一九八二年に歌手デビューした頃からのファンの一人とのことでした。お二人から当時のアイドルについていろいろと伺っているうちに、“親衛隊”というワードが出てきて、すごく興味をそそられたんです。

小泉 あの頃は、アイドル一人ひとりに親衛隊と呼ばれる熱心なファンがついていて、私たちを応援してくれたり、守ってくれたりしたの。それぞれのアイドルの名前がそのまま隊の呼び名になっていて、私の親衛隊は“小泉今日子隊”。親衛隊も一応組織化されていて、隊長や副隊長がいるのだけれど、ハーちゃんはいちばん上の総長の彼女で、ヒメと呼ばれてた。総長は、コンサートや歌番組の公開放送、地方での営業的なイベント、親衛隊とのお茶会、とにかくいろいろなところへ来てくれて、必ずハーちゃんも一緒だったの。だから私と彼女は十代半ばからの付き合いで、今でも仲が良いんだよね。

高崎 親衛隊のことを小泉さんから初めて聞いた時は驚きました。アイドルとファンの関係が、今では考えられない距離感ですよね。

小泉 そうだね、あの時代だから成立していたことだと思う。でもいわゆる追っかけみたいなことではなくて、私たちアイドルの活動をサポートしてくれる人たち、という感覚だった。歌手デビューする前後、原宿で歌のレッスンを受けていたのだけれど、その頃、私はまだ神奈川県に住んでいて東京から家が遠かったのね。それを知る親衛隊の子たちが原宿の道に車を停めて待っていてくれて、「お送りします!」といって厚木にある自宅の近くまで送ってくれることもあった。

高崎 怖くなかったんですか?

小泉 怖くないよ。何かあったら勝てると思ってたもん(笑)。それに彼らにはきちんとしたルールがあって、変なことは絶対にしてこないの。車の中で、当時既に人気だった松田聖子さんの曲を聴きながら、「今日子もこういう曲、作ってもらいなよ」「そうだよねえ、私の曲ってなんか暗いよね」なんて話したりして、楽しかった。

高崎 あはははは!

小泉 事務所を訪ねてくることもあるんだよ。「今日子隊でーす! スケジュール拝見します!」って、ホワイトボードに書かれた予定表を見て歌番組とかの入り時間を確認してるの。すると、そこにいる社長が「君たち~、応援よろしくね」「はい!」みたいな。応援してくれるし、現場で私を守ってくれるから、事務所側も助かっていたんだよね。時々、社長が「おい、今日子。彼らとお茶会してやれ」って(笑)。

高崎 すごい世界ですよね(笑)。アイドルとファンによるお茶会という存在を初めて聞いた時も衝撃でした。

小泉 コンサートで全国を回る時は、移動する新幹線のホームまで護衛に来てくれた。例えば、新大阪駅から私が乗ると「こちら新大阪です。今日子、××時××分発に乗りました。名古屋に××時に着きます」「了解しました!」と、大阪の子から名古屋の子に連絡がいく。で、名古屋駅に着くと、ホームで現地の親衛隊が待っていてくれるの。駅まで追いかけてくる他のファンたちから、私の身を守ってくれていたんだよね。歌番組に出演する時には必ず観覧に来てくれて、私の歌に合わせてコールと言われる声援を送ってくれた。

高崎 「スマイルガール ウ~レッツゴ~ 今日子 L・O・V・E キョウコオオオッー!」って(笑)。

小泉 そうそう(笑)。新曲ごとにいつも面白い掛け声を考えてくれて、ステージで歌いながら思わず吹き出しそうになることもあった。コールのことは、高崎君も小説に書いているよね。

高崎 コールは当時の親衛隊の活動を伝える上で重要な事柄です。けれど残念なことに、ほとんど音源が残されていないんです。それだけでなく、親衛隊についての記録は非常に少ない。小泉さんも、そのことが残念でさみしい、と話していましたよね。それなら、僕が書いてみたいと思ったんです。

小泉 きちんとした形では何も残ってないんだよね。親衛隊のことを記した書籍も見たことがない。

高崎 当時は携帯電話もインターネットもなかったので、今のように簡単に記録を残せなかったんですよね。資料どころか、写真もほとんど残っていない。だから僕は、実際に親衛隊だった人や関係者に会い、直接話を聞いて小説を書き進めました。取材で聞きだしたのは、個人的な思い出や感情ではなく、当時の服装、頭に巻いていたハチマキの色、乗っていたバイクの車種などといった、事実だけです。それを骨格として、主人公の二人に十代の頃の自分の想いを入れ混ぜながら、肉付けして物語を作っていきました。

小泉 嘘は書けないけれど、小説としての面白さも必要。だからきっとすごく大変な作業だっただろうと思う。

高崎 時間はかかりましたね(笑)。原稿に行き詰まると、当時、小泉さんや他のアイドルがよくコンサートをしていた場所であり、親衛隊が集まっていた、NHKホール、渋谷公会堂、日本青年館という、原宿の街を囲むように建つその三ヶ所をまわってウロウロしていました。実際に歩いて同じ景色を見ることで、小説の主人公二人の気持ちに近づけるような気がしたんです。ここからあの木が見えるのか、この坂道はこれくらいの傾斜なんだな、とか。自分の中に、リアリティがほしかったんですよね。

小泉 小説とはいえ、地名も場所の名前も実際のものだし、架空の誰かではなく、私を実名で出しているから、いろいろなことがリアルに感じられた。

高崎 小泉今日子、とそのままの名で登場させるのはすごく勇気が要りました。物語とはいえ、勝手なことは書けませんから(笑)。

小泉 本当にあったことを、事実とは少し話を変えて書いてくれた部分もあるよね。主人公のひとり、高階良彦君のこともそう。名前や設定は実際とは違うけれど、彼は実在した子で、親衛隊として熱心に私を応援してくれていたから当時よく顔を合わせてた。でも小説と同じように、病気のために若くして亡くなってしまった。私は彼のお見舞いにもお葬式にも行けなかったことをずっと後悔していたの。けれど高崎君が、小説の中の小泉今日子に、彼の入院する病院へ会いに行かせてくれた。実際の私ができなかったことを、小説の中の私はしてあげられたんだよね。すごくうれしかった。彼もきっと喜んでくれていると思う。

新潮社 波
2022年1月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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