点描される男たちの肖像が哀切で心を打つ

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点描される男たちの肖像が哀切で心を打つ

[レビュアー] 野崎歓(仏文学者・東京大学教授)

 書評子4人がテーマに沿った名著を紹介

 今回のテーマは「手帳」です

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 長谷川修は知られざる作家だろう。しかし忘れ去るには惜しい、独特な作風の持ち主だった。「舞踏会の手帖」は彼の個性をよく示す好短篇である。

 ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『舞踏会の手帖』は、かつて多くの日本人を魅了した名画だ。一人の寡婦が昔の手帖を頼りに、少女のころ舞踏会で踊った相手を順番に訪ね歩く。

 長谷川作品の「私」は、旧制高校の学生だった頃、この映画を観てすっかり夢中になり、劇場に通い詰めた。デュヴィヴィエを信奉してやまない親友・平賀こそは感動をともに語るべき相手だ。ところが平賀は喀血して休学し、郷里で療養している。

「私」は冬休み、映画の内容を語り聞かせるために彼の故郷まで旅をする。三日間にわたり「一齣ずつ、略図まで描いて」説明すると、平賀は恍惚として目を潤ませ、興奮のあまり発熱した。薄命に終わった平賀にとって、友から口伝えで聞かされたその映画は生涯最高の、そして最後の一本となった。

 そんな思い出から、「私」は「旧友たちの名が録され」た手帖を開き、青春の記憶を点描していく。暗がりから浮かび上がってはまた消えていくような男たちの肖像がそれぞれ何とも哀切さに満ち、心を打つ。

 北村薫、宮部みゆき・編の『教えたくなる名短篇』のお陰でこの佳作(初出一九七四年)は忘却の淵から蘇った。同時収録の「ささやかな平家物語」も奔放な連想を広げる長谷川の資質を窺わせて実に興味深い。

新潮社 週刊新潮
2022年1月13日迎春増大号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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