『女性の生きづらさとジェンダー』
- 著者
- 心理科学研究会 ジェンダー部会 [編集]/青野 篤子 [編集]/田口 久美子 [編集]/沼田 あや子 [編集]/五十嵐 元子 [編集]
- 出版社
- 有斐閣
- ジャンル
- 社会科学/社会
- ISBN
- 9784641174702
- 発売日
- 2021/11/06
- 価格
- 2,530円(税込)
書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます
あなたの生きづらさは私の生きづらさ
[レビュアー] 青野篤子(福山大学名誉教授)
根っこにあるジェンダー
アフガニスタンでは、アメリカ軍の撤退とともにタリバン政権が復活し、「民主化」の難しさを露呈している。テレビのニュースなどでは、新政権のメンバーに女性が一人も含まれていないことが、とんでもないひどいことだと喧伝された。しかし待てよ、この光景、どこかで見たことがあるような……。よく考えると、それは決して遠い世界の出来事ではなく、私たちの国も似たようなものではないか。内戦状態でもなく軍事政権でもない日本でも、政治の世界がまさにそういった状況を示しているのではないか(先だっての自民党総裁選で女性候補が「担ぎ出された」アリバイ女性だったとは言え、二人も立ったのは画期的だった)。
私はテレビを見ながら、「そう、あなたたちの生きづらさは私たちの生きづらさなのだ!」と気づかされたのだった。政治に女性が参画していないとどんなことになるか。昨日まで女性と男性が肩を並べて大学で学んでいたのに、男女共学は禁止だという。女性が一人で外出すること、集会に参加すること、女性が顔を覆わずに人に会うこと、男性がひげをそることなど、昨日まで許されていたことが一気に制限されるようになっている。
日本が先進諸国のなかでジェンダー平等がひときわ遅れているという場合に、ジェンダー・ギャップ指数がよく引き合いに出される。しかし、この指数の中身をみると、日本では、教育や健康面でジェンダー・ギャップが小さいにもかかわらず政治・経済分野でのギャップが大きく、それが全体としてのジェンダー平等を引き下げているのである。日本女性は世界でも一、二を争う長寿であり、高等教育を受ける人の割合が高い。しかし、女性の政治家の割合や管理職の割合が極端に低いといういびつなパターンを示している。かつて小倉千加子さんは、日本女性は社会的自己実現と性的自己実現をトレードオフしている(させられている)とどこかに書いていた。これは言い換えると、日本女性は、社会で活躍する代わりに妻や母親として家庭を切り盛りすることを高く評価され、それで自尊心や満足感を得ているということではないだろうか。
アフガニスタンの女性たちがあからさまな性差別にさらされているのに対して、日本女性は目に見えにくい母性・女性性=ジェンダーの呪縛を被っているのである。おかれた状況が違えど、どちらの女性も幸せとは言えない。ジェンダーの問題としては同じ根っこでつながっている。
心理学とジェンダー
社会的につくられた性差や性役割、女性と男性についてのステレオタイプ、女性と男性の関係など、ジェンダーに関連した問題は心理学の分野でも1970年代から研究されるようになった。しかし、既存の心理学はどれほどジェンダー平等の実現に貢献してきただろうか。やや疑問である。心理学は行動の科学であろうとして実証主義的なアプローチを重視してきた。その最たる特徴は、多くの人々からデータを集め、人々の行動の平均像や法則性を見つけるという量的分析を採用してきたことにある。数値で表現するといかにも科学的であるという印象を私たちは抱きがちである。また、近年の「エビデンス・ベースト」の要請が数量的アプローチに拍車をかけていると言えないだろうか。
もう一つの問題は、伝統的な心理学が男性を標準につくられてきたことである。ある種の心理検査で女性の得点が低いという場合、男性に有利な課題をもとに検査が作られていることがあったかもしれない。E・H・エリクソンは、アイデンティティが確立されたのちに親密性が獲得されると唱えたが、人との親密性を大事にしながら自己の確立をめざすという別のルートがありそうだということも、主にフェミニズムの視点から女性にフォーカスを当てた研究からわかってきたのである。
フェミニズムはすでに長い歴史をもつが、男性と同等の権利を獲得しようとする運動から、人種や社会的地位、文化歴史的背景や性的指向などが異なる多くの女性たちの経験や視点を考慮しようという新たな段階を迎えている。そうすると、女性たちのさまざまな声を聞きとることが、重要な方法論となってくるのではないだろうか。女性たちの生きづらさに耳を傾け、そこから根っこにあるジェンダーの正体を見破ることができるのではなかろうか。そして、心理学で定説となっていた理論や仮説を見直すことができる。
主流の心理学には何か嘘があるような感じ、人間について半分のことしか教えてくれない隔靴掻痒の印象を持つ人は少なくないと思う。男性を基準にした人間像や一般法則ではなく、一人ひとりについて知りたいという人は、少し違う角度からアプローチしようとすることだろう。それは往々にして、統計を使わない質的分析や事例研究のような形をとらざるをえず、エビデンス・ベーストを重視する学会発表にはそぐわないものとなる。主流の心理学が(研究ベースに乗りにくいなどの理由で)とりこぼしてきた問題をていねいにすくいあげ、独自のリサーチ・クェスチョンを追求していく、その期待に応えてくれた場所が私にとっては心理科学研究会という研究集団であった。
心理科学研究会とジェンダー部会
心理科学研究会は、心理学が、日本社会の現実をみすえた真の科学になることを目指して1969年に設立された。設立の趣意書には、日本の心理学が西欧の心理学理論に追随し、科学的な装いをもって導き出された人間の能力や人格についての理論や解釈が反動的な政策と結びついてきたこと、個人主義や業績主義が横行する学会や大学の状況に鑑み、心理学の研究者は主体的かつ創造的な姿勢で、人類の幸福に資するような研究をめざす必要があることがうたわれている。それから50年たった今日、個人主義や業績主義はますます強くなっている。
2009年に、それまであった10部会に加わる形で「ジェンダー」部会が発足した。本書の編集委員の一人である田口久美子さんのご尽力のたまものと言える。「民主的」であることを標榜する団体においてさえ、ジェンダーは遅れてきた問題であった。それは、例にもれずこの団体も男性主導で運営されてきたからというのも一つの理由と言えるだろう。
部会ができてからはほぼ毎年のように、春と秋の集会においてジェンダー分科会を開催し、会員の発表をもとに議論してきた。ジェンダー部会で議論されたことは、すべてと言っていいほど「女性の生きづらさ」につながっている。ジェンダー部会発足10周年を記念して本を出そうという話が出たとき、そのタイトルが「女性の生きづらさとジェンダー」に決まったのは自然の成り行きであった。
女性の生きづらさ
本書が念頭においたのは、生きづらさが「ある人たちの問題」ではなく、「自分の問題」でもあること、そして生きづらさが個人の問題に起因するのではなく社会とのつながりで生じていることを読者に伝えることであった。本書の執筆中に、世界が新型コロナウイルスの猛威にさらされた。メディアが報道する感染者数の増減に私たちは一喜一憂しがちであったが、自殺者の数をみても、コロナ禍の影響は女性でひときわ大きかったことがわかる。
コロナ禍で顕著となったジェンダー問題は、実は平時のジェンダー問題につながっている。本書ではそういった女性の生きづらさをできるだけ多方面から取り上げようと考えた。第I部「子どもの生活とジェンダー」では、子どもが自立の途上で直面する困難には大人社会のジェンダー構造がつきまとっていることを、学童や未成年に日々関わる女性支援者の視点から論じている。不登校・いじめ・非行といった、主に数で報じられる子どもたちの実態の背後に何があるのか示唆を与えてくれる。
第II部「青年期をめぐるジェンダー」では、自分らしさの追求と女性性・男性性というジェンダー役割との葛藤やそれへの挑戦を取り上げた。女性が高等教育を受ける権利は女性のパイオニアによって獲得されたものであることを若い人たちには知ってほしい。恋愛は対等な人間関係であることが望ましいが、相手を支配することが愛情であるという錯覚にとらわれやすい。そこからデートDVが発生している。また今、女性・男性という性別の区分がはたして妥当なのかどうかという主張がなされている。マイノリティの人たちの声に耳を傾けることにより、逆にマジョリティであることの意味が問われてくるかもしれない。
第III部「家族・子育てをめぐるジェンダー」では、いまなお女性に大きな負担が強いられている子育ての現状と課題を扱っている。母親が自分自身の人生を生きられないことが生きづらさにつながっている。保育園は子どもを「預ける」側の都合と「預かる」側の都合がぶつかり合う場所だ。どちらにも都合があるが、どちらも女性たちの生きづらさにつながっている。早く迎えに行こうにも行けない事情があるかもしれない。保育士とて、子どもを他園に送迎をしなくてはいけない親の一人であるかもしれない。母親たちが母親業から解放されないことと保育士の専門職化・労働条件の改善が進まないことの根っこはつながっている。
第IV部「社会のなかでいきぬく女性たち」では、女性たちがキャリア(人生経路)を歩む中で遭遇する葛藤や困難を取り上げている。女性が女性を支援するという関係から、男性専門職モデルとは異なる支援のモデル(相互の共感のようなもの)が見出されたことは対人援助職の意味を問い直してくれる。また、昨今、女性活躍・働き方改革という掛け声のもとで女性労働への期待が強まっているが、派遣労働者に焦点を当てることで、雇用の調整弁としての女性労働者の根深い問題を論じている。本書では、生きづらい社会を少しでも変えようとして市民運動にかかわっている女性や、被爆体験を語り継ぐ高齢女性にも目を向けている。彼女たちの語りから、彼女たちの生きづらさは私たちの生きづらさと重なっていることがわかる。このように、本書が「あなた」と「わたし」をつなぐ橋渡しの役を果たすことができれば幸いである。