学校で生きるということ――玉城ティナが『教育』(遠野遥)を読んで考えた

レビュー

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教育

『教育』

出版社
河出書房新社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784309030142
発売日
2022/01/07

書籍情報:openBD

せんせえ、せんせい、先生

[レビュアー] 玉城ティナ(女優)

 学校という場所が苦手だった。きっちりしているようで、認められる基準が曖昧なのだ。五段階評価、担任のコメント、委員会の活動。同じ年に生まれたというだけで寄せ集められたクラスメイト。カースト。愛嬌。起立、礼、拍手。めんどくさかった。あの中では、成績を保つ、というのが一番クリアしやすいものだったのかもしれない。公式もあり、答えもあるからだ。

 ねえ、プリントに、学校で生きやすくなるには、っていう攻略法みたいなのを書いて、配ったらいいと思わない? どの先生にはこう声をかければいいとか、朝花壇に水をあげたら、何ポイントとか。先輩との付き合い方とかさ、わかりやすくなるよね。と、友達に話した事がある。全ての教科書を持ち帰る事、という意味があるのかないのかわからない規律を守ってぱんぱんになったランドセルを背負いながら。

 え? と、その子は意味がわからない様子で、もっとやる事が増えたら私はもう学校に行きたくなくなるよ、疲れるし、と答えた。

 そっか、と相槌を打ったけれど、いまいち納得がいかなかった。どうせなら、上手くやりたい。それなら、学校側にも協力してもらいたい、自主性を育てる、と言いながら影で隠された基準があるなら教えて欲しい。その気持ちは理解されないのか、と小さいながら思った記憶がある。また拒絶されてしまうのがなんとなく怖くて、二度とその話題を出す事はなかった。それからはその欲求と戦いながら、自分なりに課題と解決法を見つけつつ、どうにか馴染んでいこうとした気がする。

 今ならわかる。社会で生きるには、という本があったら皆買うだろう。付箋を付けて、読み込んでから面接に行くだろう。ただ、そこに書いてある事を全て実行しても、もう五段階評価はない。そしてそういう人間は、予想通りの動きをするだろうから、ある所でしか重宝されないだろう。日本での学校、それは私達に与えられた最初の訓練のようなものである。卒業すると、その後の人生は急に自分の物とされ、更に枝分かれしていく。評価する側に回ろうが、全ての一番になろうが、その証明をするのは難しい。タイミングとか、運とかの話も入ってきたらうんざりするくらい、上手く生きる為の公式などないのだ。

 佐藤くんは自分が楽でいる為に今の性格になったんだろうな、と思った。素直な子だな、と。学校の基準に従っていれば、セックスをして、一日三回のオーガズムに達して、学校の考えに沿った毎日を送っていれば、評価が付いてくる。疑問を持たない。調和していく。学校と自分の自我が混ざり合って、ひとつになる事に怖さを感じない。教育を受ける事にとても向いている人なのだろう。

 この小説を読みながら、どういう教育を受けるかではなく、与えられた教育に対してどういう姿勢でいるか、という事がどれだけ重要かという事を考えていた。やっぱりあの時、プリントが無くてよかったのだ。

河出書房新社 文藝
2022年春季号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

河出書房新社

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