【対談】波津彬子×山内麻衣子 『幻妖能楽集』発売記念 謡が降る街、金沢で

対談・鼎談

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幻妖能楽集

『幻妖能楽集』

著者
波津, 彬子, 1959-山内, 麻衣子
出版社
KADOKAWA
ISBN
9784041117330
価格
1,100円(税込)

書籍情報:openBD

【対談】波津彬子×山内麻衣子 『幻妖能楽集』発売記念 謡が降る街、金沢で

[文] カドブン

■【対談】漫画家・波津彬子×金沢能楽美術館 学芸員・山内麻衣子

2021年11月末に刊行された、小誌ほかの連載をまとめたコミック『幻妖能楽集』。巻末には、著者の波津彬子さんと、監修を務めた金沢能楽美術館の山内麻衣子さんによる対談を収録している。このたび同書発売を記念して、書籍では収めきれなかった対談内容をアナザーバージョンとして特別公開! 金沢の地で以前から交流のある二人が語る、創作秘話と能の魅力をお楽しみください。

『幻妖能楽集』 波津彬子/著 山内麻衣子/監修・コラム 定価1,10...
『幻妖能楽集』 波津彬子/著 山内麻衣子/監修・コラム 定価1,10…

波津:連載中はお能の作品選びをはじめとして、細かいところまで色々と相談いたしました。

山内:はい。作品を選ぶ際は、曲趣がなるべく続かないように気を遣いました。

波津:候補になっても、掲載媒体を考えたらNGになることも多かったですね。たとえば「草紙洗小町」は、ストーリー自体はおもしろいけれど、「幽」「怪と幽」的ではないから駄目とか。

山内:これは怪談ではなくミステリーだね、という話になったんですよね。

波津:やっぱり幽霊をはじめとした不思議なモノが出てこないといけませんよね、「幽」としては。一方、神様ものはその面からみるとありですけれど、ストーリーがないので難しかったです。出てきて舞を舞うだけでは物語にならないんですよね。漫画として楽しめるかどうかがやはり重要なポイントですし、私は少女漫画畑の人間なので、話がおもしろくても視覚的に地味なのはあんまり……となって却下しちゃったものもあります。すみません。「綾鼓」や「恋重荷」などはおじいさんが恋をして死んで恨みごとを言いにくる話なのでちょっと地味かな、と。あ、イケじいは好きですが、ページも短いしもう少し華のある画面が描ける話を、と思って選びました。

山内:いろんなところに気を配りました。ヴィジュアルの話をすると、私にとって印象的だったのは、先生が登場人物の衣装を能装束にこだわらず、話に合わせてベストな選択をされる点でした。

波津:一応、物語の時代設定に合った衣装を着せているのですが、最後までそれでいく場合もあれば、最終的には能装束にする場合もありで、あまり法則性はありませんでした。絵面を映えさせるために感覚的にやっていましたね。

山内:そのアレンジが絶妙でした。

波津:そうですか? ありがとうございます。「羽衣」の最後では、一般的な天女像に従って中国風の衣装にしました。やっぱりあの格好の方がわかりやすい。一方、「海人」のお母さんは能装束にしたり。

山内:背景ということだと、月宮殿の描写なんかはイメージそのものでした。

波津:あれは苦労しました、アシスタントが(笑)。このシリーズはページが短いわりに描くのが大変なんです。漫画の利点ってヴィジュアルで見せることなので、建物や背景、場所の設定はしっかり絵で見せないと駄目だろうな、と。でも、実際の能舞台は舞台装置もほとんどないし、本当に舞だけで見せる世界なんですよね。

山内:そうなんです。決して観客に親切な作りではありません。詞章も古歌や古詩が引用され、縁語や掛詞、枕詞、序詞といった修辞技法を駆使しているので、現代人にはその世界観をぱっと想像するのが難しい。よって今回波津先生がヴィジュアル化してくださったことで、作品内容をくわしく知らない方でも、初見でイメージをつかみ易くなるかと思います。

波津:セットがない分、装束や仕草の決まりごとで表現する部分が大きいですよね。装束の模様や色にも重要な意味がある。鬘の色や形にも。

山内:その辺りは事細かに決まっています。これをつけていたら、こういうタイプのキャラクターだとひと目でわかるように設定されているんです。たとえば赤頭という真っ赤な蓬髪の鬘だと荒ぶる鬼神を示す、というように。

波津:登場人物の身分によっても細かく分かれますよね。この装束では必ずこの冠をかぶるとか。とにかく決まりごとがたくさんあるのですが、漫画化するにあたってあらためて教えていただいて知ることも多くおもしろかったです。

山内:出立の法則をあらかた知っていると、舞台を見るときもより楽しめるのではないかと思います。

波津:前知識があった方が楽しめるのは間違いないです。ないと鑑賞中、本当に意識を失います(笑)。

「羽衣」より
「羽衣」より

■金沢と能楽の深い関係

波津:金沢では能楽の流派のうち宝生流が盛んで、加賀宝生という特別な呼び方があるほどです。「謡が空から降ってくる」と言われるぐらい、上は殿様から下は庶民まで幅広く能楽を嗜んでいたんですよね。

山内:そうなったのは、江戸時代において加賀藩前田家の庇護がすごく大きかったからです。加賀藩には「御細工人の本役兼芸」というユニークな制度がありました。藩の公的な工芸工房であった御細工所の職人たちに、本業にプラスしてお能のシテ(主役)以外のなんらかの役を身につけさせる制度です。芸が身についていると、お給料がよかったり、家が代々取り立てられるなど優遇されました。これがとてもよくできていて、細工職人は基本的に根気があるのでこの芸能に向いていますし、細工物に文様をデザインする際の知識の源になった。昔の工芸品はただ美しければいいというものではなく、文様には必ずなにかしらの意味や背景を求められました。先ほどの装束の話とも関連しますが、このモチーフはこれを表していると理解するための文化的素養が必須でした。だから、職人がお能を通して古典知識を得ることは大きなメリットになっていたと思います。

波津:なるほど、お稽古ごとが仕事に直結していたわけですね。

山内:お殿様にとっても、お稽古相手を確保できるし(こちらが本来の目的)、お城で上演する際は職人たちを共演者にできる。双方に有益な制度です。

波津:じゃあ、御細工人経由で庶民にまでお能や謡が広まったんですか?

山内:それもあったかと思います。当然、家に帰ってからも口ずさんだりするでしょうし、それを周りの人も見聞きするわけですから。

波津:武家階級にとどまらず、城下にまで広まったのは、そんな理由があったわけですか。なるほど。

「清経」より
「清経」より

山内:金沢には三種類の能楽者がいて、まず専業の能楽師である御手役者、御細工人の役者、さらに町役者もいました。有名な狂言師・野村萬斎さんの家筋も、もとを辿れば加賀藩の町役者です。町役者は町衆の兼業役者で、野村家は酒造業を生業としていた家でした。町役者もお城の大きな催しで演じたり、神事能、つまり神社に奉納する能に出演するなど、活躍の場がたくさんあり、特権も与えられました。そういう人たちがいたことで、加賀宝生は歴史的に永らえてこられて庶民にも広まったといえます。御手役者は一番格上で、江戸と国元、そして京都の三箇所にいました。ただし、京都のお抱え役者だけは金春流なんです。

波津:違う流派なんですか。

山内:はい。初代前田利家は、盟友の豊臣秀吉が金春流を愛好した影響を受け、自身も金春流を嗜んでいました。京都に金春別家の竹田権兵衛安信を正式に召し抱えたのは三代利常の時代ですが、五代綱紀が将軍綱吉のお好みに合わせて宝生流を採用するまでは、その時々の権力者の趣味に応じて、藩が贔屓にする流儀も何度か変わっています。当時の大名家にとって、上司である将軍家の趣味に付き合うことはとても重要でしたから。今で言うと上司がゴルフをするから部下もしなきゃみたいな感じでしょうか(笑)。喜んでもらえるよう、お成り際は客人のお気に入りの役者に舞わせたり。政略としての能ですね。

波津:お殿様自身も演じたりしたんですよね?

山内:はい、なさっていました。とりわけ幕末の加賀藩主、十三代前田斉泰は生涯で五百回ぐらい演能しています。

波津:それだけ好きだったんですね。

山内:それに加え、心身鍛錬の意味もあったようです。江戸時代はごく初期と幕末以外は戦がなかったので、武家の本分である武道を実践する場がありません。そうした中、武士の亡霊が主人公である修羅能などをお稽古すると、太刀や薙刀を振り回すことができる。舞の型が武道の型に共通しているので、鍛錬になるんですね。

波津:だから武将を主人公にした作品が多いのかしら。

山内:能楽が武家に人気になったのはそれも大きいと思います。また、実戦を経験したことがない武士たちが、能を通じて戦を迎える武将の心持ちや敗北武将の心境などを追体験するのは、とても意味のあることだったのでしょう。さらに、藩主クラスの身分の高い方になると気軽に外出もできません。自分が動くと周りも動くし、領民も大変ですから。よって身近な家臣たちを相手に能を舞うのは、いいストレス解消になったのだと思います。

「小鍛冶」より
「小鍛冶」より

波津:そういえば前田家には、健康のためにお能をやった藩主もいましたよね。

山内:それが十三代斉泰公です。三十代で脚気に罹り、京都から脚気の専門医を呼んだところ、リハビリには謡と舞が良いとのアドバイスを受けます。斉泰は大の能好き。しかし当時は国事多難の折、お殿様が能にうつつを抜かすのはいかがなものかと家臣から止められていたんですね。それがリハビリという大義名分を得たことで、これ幸いとますます能に打ち込んだわけです。

波津:脚気というのが時代的にリアルですね。お能がリハビリというのも面白いです。これでお話が一本書けますよ。

山内:実際、摺り足で足を動かしたり、左右バランスをとって舞うと体幹が鍛えられますし、お腹から力を出して謡うとすっきりします。頭も身体も無にして、浄化される感じがするんです。

波津:ストレスの多い現代人にも推奨?

山内:そうですそうです、本当に。

波津:思わぬ効能があるんですね。見るだけでなく、自分でやってみるのもいいかもしれませんね。

山内:はい! ぜひとも。まずはお教室探しというハードルがありますが。

波津:地域によってはお稽古できる場所がなかったりしますものね。その点、金沢は恵まれているんだけれども。ほかの地域の方にも能楽にもっと親しんでいただきたいですね。

山内:まったくの初心者は、まず本作を読んでお能の世界を覗き見てもらえれば。先生の作品によって幻想的な世界に誘われるというのも、能楽との幸せな出会いになると思うので。

波津:私としてもそうなると嬉しいです。苦労も多かった作品なので(笑)、ぜひたくさんの方々に読んでほしいですね。

(本記事は「怪と幽」vol.009に掲載されたものを転載しました)

*「怪と幽 vol.009 2022年1月号」では、カラーグラビア記事「『幻妖能楽集』×金沢能楽美術館 美しき幽幻の能世界」も掲載しています。ぜひあわせてご覧ください。

■作品紹介

【対談】波津彬子×山内麻衣子 『幻妖能楽集』発売記念 謡が降る街、金沢で
【対談】波津彬子×山内麻衣子 『幻妖能楽集』発売記念 謡が降る街、金沢で

『幻妖能楽集』
波津彬子/著
山内麻衣子/監修・コラム
定価1,100円(10%税込)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322104000677/

「怪と幽」vol.009
https://www.kadokawa.co.jp/product/322003000370/

取材・文:門賀美央子 

KADOKAWA カドブン
2022年01月12日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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