『ぼくはテクノロジーを使わずに生きることにした』
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ここまでやれば満たされるだろう その孤絶に畏敬と羨望しかない
[レビュアー] 角幡唯介(探検家・ノンフィクション作家)
若い頃、生きている実感を手にするためには死に近づくしかないと思っていた。ヒリヒリした冒険を求めたのは、そのためだ。だが経験をかさねるうちに、その考えの六割ぐらいは間違いだったと、思うようになった。生の実感を獲得するには、結局のところ衣食住という生活の根幹を自分の手で作り出すしかない。
その点、テクノロジーは外部に依存するので、使えば使うほど生の実感から遠ざかるという構造的欠陥をもっている。だから著者のテクノロジー拒否は徹底している。パソコン、スマホ、ネットはもちろん、電気、水道、化石燃料にいたるまで現代の産業社会に必須とされる、ほぼすべてを拒絶する。農園で野菜をそだて、二十キロ離れた川に自転車でカワカマスを釣りに行き、鹿の肉で蛋白質を補給する。自給自足のひと言で片づけるのは簡単だが、夜に灯す蝋燭の芯までその辺のイグサで作るのだから半端ではない。
テクノロジーの便利さを突きつめると、そこには虚無しかない。便利すぎてやることが無くなるからだ。それを拒否した彼の生活にあるのは重々しい実質である。つまり日々、重労働の連続だ。生活をつくりあげる仕事が山となり終わることがない。だがそれだけに倦むこともなく、心は満ち足りる。メールもSNSもなし。孤絶した環境だけに生活は周囲の風景と直結したものとなる。木々や鳥や虫のざわめき、隣人との何気ない会話といった日々の移ろいをつむぐ短い文章がつづくのは、そこにこそ彼の生の基盤があるからだ。
人生の脈動を手にしたい、自然の猛威を感じとりたいという思いではじめた生活だが、ここまでやれば満たされるだろう。畏敬と羨望。自分も早くこっちの世界に生活の軸足を移したい、と思ったので、個人的にはちょっと困った本だった。ボディブローのようにじわじわ時間をかけて腹の底にきいてくるタイプの本かもしれない。