暗い影が覆う世界でていねいに描かれる ささやかな夢、一瞬の光

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  • ある日 失わずにすむもの
  • 野口冨士男犯罪小説集  風のない日々/少女
  • 昭和の名短篇

書籍情報:openBD

暗い影が覆う世界でていねいに描かれる ささやかな夢、一瞬の光

[レビュアー] 佐久間文子(文芸ジャーナリスト)

 乙川優三郎『ある日 失わずにすむもの』のタイトルが意味するところは、英題(「twelve antiwar stories」)を読めばわかる。

 本書は、かけがえのない日常を戦争によって奪われる人々の姿をさまざまに描いた短篇集である。

 アメリカ、ヨーロッパ、アジア、日本と、舞台は幅広い地域にわたる。巻頭の「どこか涙のようにひんやりとして」は、ブロンクスで生まれた少年が音楽を道しるべに先の見えない貧しさからようやく抜け出そうとするが、弟ともども召集されて、つかみかけた未来をあきらめざるを得ない。

 戦争は世界中を覆っている。近未来もしくは並行世界のようにも思えるが、限りなく現代に近い設定だ。時代小説の名手としてまず読者に知られた作家は、現代を書くときも、市井の恵まれない状況に置かれた人々に光を当てる。

 ささやかな夢の成就がていねいに描かれるからこそ、平凡で幸せな時間が一瞬で終わるのがつらい。「antiwar」という文字に、みすみす平和を終わらせてはならない、という強い思いがこめられていると感じる。

「野口冨士男犯罪小説集」と副題のついた『風のない日々/少女』(中公文庫)は、どちらの作品も、実際の事件をもとに書かれている。

「風のない日々」は、冒頭に「しかしこのころは、一般にいわゆる暗い時代であった」という佐多稲子の言葉が掲げられている。金融機関に勤める薄給の男が、代わり映えのしない毎日を送り、ふとした気持ちの行き違いから妻を死なせてしまうのは、二・二六事件の少し前のことで、空気のよどみがみごとに描かれる。

「少女」のほうは復員兵による財閥令嬢の誘拐事件がモデルで、ここにも戦争は色濃く影を落とす。

 荒川洋治編の『昭和の名短篇』(中公文庫)に収められた小林勝「軍用露語教程」は、士官学校でロシア語を学ぶ青年が主人公。新しい世界へと導いたうえで唐突に突き放す教官の屈折した心情が妙にリアルで、戦争の無情が思いがけない角度でとらえられる。

新潮社 週刊新潮
2022年1月20日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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