日本のコロナ対策が遅かった理由 岡田晴恵さんが手記で明かす

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

秘闘 : 私の「コロナ戦争」全記録

『秘闘 : 私の「コロナ戦争」全記録』

著者
岡田, 晴恵, 1963-
出版社
新潮社
ISBN
9784103543619
価格
1,760円(税込)

書籍情報:openBD

臨床医の私が知りたかった答え

[レビュアー] 倉持仁(医師)

“コロナの女王”と呼ばれた白鷗大学教授で感染症専門家の岡田晴恵の告白手記『秘闘―私の「コロナ戦争」全記録―』が刊行。この国の矛盾と歪みに直面した岡田が、覚悟を決めて書き残した本作の読みどころを、インターパーク倉持呼吸器内科の院長・倉持仁さんが語る。

倉持仁・評「臨床医の私が知りたかった答え」

 2021年始めの第3波の時のこと。コロナによる肺炎で呼吸不全をきたして私の病院に運ばれてきた複数の患者さんを、「明日死ぬかもしれない」と案じながらも、コロナ患者を受け入れる体制にはなっていなかったため、自宅に帰さざるを得なかった。患者さんの命を放棄したと自分を責め、トラウマにもなった。だから、私はただの開業医でありながら、その後、コロナ病床を作った。

 なぜ患者の行き先がないという事態になってしまったのか? そんな疑問が、この本を読んで氷解した。本書には、日本のコロナ対策がどのようになされてきたのか、どこに問題があったのか、記録として残すべき内容が詳細に書かれている。

 専門家たちの閉鎖的な世界は“感染症ムラ”と本書で呼ばれている。かつてはその「ムラ」に住んでいた著者は、コロナ禍初期からの問題点について鋭く指摘している。それは、コロナの医療現場にいる私からも見えない点だ。

 第2波の時、こんなこともあった。ある保育園で感染者が出て、お母さんが1歳と3歳の子供を連れて来院した。濃厚接触者ではないため自費でしか検査が受けられず、5万円もかけて検査を受けて頂かなければならなかった。とても理不尽で、患者さんのことを思うとこちらも申し訳なく、いやな経験でしかなかった。なぜすぐPCR検査ができないのか、実効性のあるコロナ対策が進まないのか、臨床現場にいる私は本来、現場でやらなければいけないことができずに、ずっと忸怩たる思いでいた。

 その答えが、本書にはあった。日本でPCR検査を抑制した理由として専門家らの発言を検証しながら、「厚労省と専門家会議の確固たる意志」があったとし、早期発見・早期治療を早い段階で放棄していたことを指摘している。また、「検査拡大に反対する」ために厚労省が内部文書を作成し、「官僚や国会議員などにネガティブ・キャンペーンを行って」いたことも明かされており、目を疑うほどだった。

 同時に私は、批判的な意見をここまで言ってしまっていいものなのか、とちょっと驚いた。政府の感染症専門家たちが科学的視点からではなく、「政治的」に動いてきたことは、特に厳しく追及している。尾身氏や時の厚労大臣との生々しいやり取りでは度々核心に触れており、東京五輪開幕前の“尾身の乱”の舞台裏のシーンでは、世間が抱いた印象とはだいぶ離れた事実があったのだと知った。変異株の恐怖の中で五輪を止める気がない尾身氏に対し、「尾身先生、もう、遅いじゃないですか……」と岡田さんは心の叫びを漏らす。そこには深い絶望や悲しみが表れていた。

 自らへの批判をかえりみず、このような“秘闘”の内容を岡田さんが明かす目的は何なのか? この方は何のために闘っているのだろう、とすら思った。岡田さんは、コロナ問題の初期よりテレビで感染対策の不足を訴え、リスクの過小評価に対して終始、警鐘をならし続けてきた。時には騒ぎすぎだと疎まれ、誹謗中傷に晒されもしたが、なお引かない強さを感じていた。とはいえ、あるテレビの番組でお会いした岡田さんは憔悴し、痩せ細っていた。心配したものの、どうしてそこまでがんばるのか、とまではお聞きすることはできなかった。

 だが、この本を最後まで読むと、そこには明確な理由があることがわかった。単純な理由だった。彼女は人知れず巨大な敵と闘っていたのだ。

 政治的な視点からは、コロナ対策はあたかも日常の生活(経済活動、社会生活)を送ることに対する大きな障壁のようにみなされがちだが、そうではない。それは決してぶれてはいけない、崩れてはいけない壁だ。国民を、国を、感染症という巨大な災害から守る大切な壁なのだ。この壁を守ることが、結局、経済も社会も守ることになる。それが彼女の信念なのだ。

 彼女が直接見たコロナ対策に奔走する政治家や専門家らの人間模様が、各人の人生観を織りまぜながら、舞台裏も含めて描かれていく。彼女は、田村前厚生労働大臣とともに、本意ではない状況の中で目標を持ち、様々な障壁の中で思うようにならずにもがきながらも、あるべきコロナ対策の実現に向けて、強く信念を貫く姿が描かれている。それは“サイエンス”という判断基準に従い、国民のために感染者をいかに減らすかという明確な目標だ。一方、立場の異なる感染症専門家の人々も描かれている。彼らの目標は、政治的であったり、保身であったりするのだろう。おのおの掲げた“目標”と“得たいもの”の、言わば人生観の違いからくる行動の違いが明確に描かれていて、考えさせられる人も多いはず。

「私は医師でも医療者でもないので、こんなことを言うのは不遜と思われるかもしれない」と日頃から言う岡田さんが、今は大学教員であり、メディアでの解説者という立場から真摯にコロナと向き合い、どうしても書き残したかったのだという覚悟と決意が、文章の端々から伝わってくる。

 私たちは今までの失敗を教訓に、今後どうすべきか。これは単なる批判の書ではなく、広く日本人に向けられた強烈なメッセージである。

新潮社 波
2022年1月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク