平穏ではないが静謐に満たされた四つの物語

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アスベストス

『アスベストス』

著者
佐伯 一麦 [著]
出版社
文藝春秋
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784163914794
発売日
2021/12/10
価格
1,980円(税込)

書籍情報:openBD

平穏ではないが静謐に満たされた四つの物語

[レビュアー] 伊藤氏貴(明治大学文学部准教授、文芸評論家)

「自然食品」「天然素材」という謳い文句は「安全」を売っているのだろうが、「自然」や「天然」にはもちろん人間の味方をするつもりなどない。地震だってウィルスだって自然の一部なのだ。「食品」や「素材」などと言って人間の管理下に収めたかのように思うのは錯覚でしかない。

 アスベストも、人工物ではなく、「火山の力でできる自然の鉱物で」あり、「頑丈で、熱にも薬品にも強く」、「奇跡の鉱物」として重宝されたが、それが人体にもたらす被害も今では広く知られるようになった。

 いや、ほんとうに知っているのだろうか。なんとなく怖いものとは思っても、どこか遠い、あるいは既に終わったことと考えてはいないか。

 自身がアスベスト後遺症に苦しむ作者は、その経験を『石の肺』というノンフィクションで綴ったが、今度は同じ主題で四つの連作小説を書いた。第三作から第四作までに十年以上の間があるのは、そこに東日本大震災が起きたから。東北に住む作者にとって、書かねばならないことがもう一つ増えてしまった。

 だが、震災を挟んでも、アスベストに対する姿勢は変わっていない。震災もアスベスト禍も不条理という点では同様だからだ。

 吸い込む量にかかわらず、いつ発症するかわからない「静かな時限爆弾」を抱えながら、ひっそりと生きている人々を描く。彼らは大声で自分の不幸を訴えることはしない。たとえば、とある工場の隣に住んでいたからというだけで、何十年もあとに発症して未来の夢を突然断たれる。

 神も前世も信じられない者たちが、「なぜ自分だけが」という思いに囚われながらも、なんとかこの運命を受け入れようとする四つの物語。平穏ではないが静謐に満たされた生きざまは、読者の足の下の大地も決して不変不動のものでないことを暴くが、しかし叫びたてることなく静かに沁み込むようにそれを伝えるのは、小説なればこそだろう。

新潮社 週刊新潮
2022年1月27日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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