『談志の日記1953 17歳の青春』
書籍情報:openBD
師の若き日の日記を弟子としてどう読むか
[レビュアー] 立川談四楼(落語家)
談志は高校に入学したものの1年で中退し、五代目柳家小さんの弟子になった。本書は前座2年目、柳家小よし17歳の元日からの日記である。
私は高校2年時に入門を請うたが、談志は「卒業してこい」と言った。適性がなかった場合、その方が潰しがきくと受け取り、以降もその解釈は変わらなかったが、本書を読み、「高校生活を満喫してこい」と言ったのだと考えが変わった。日記に後悔との文字はないが、学業を捨てたことへの未練が滲み、女学生への憧れが頻出するからだ。
よく稽古に通い、高座にかけ、セコいとか上手くいった等、自ら採点をしている。小ゑんと改名した二つ目以降、『蜘蛛駕籠』と『源平(盛衰記)』で売り出すが、その一つ『源平』をすでに手がけている。17歳にしてだ。
マメに映画を観ている。ビラ下という招待券や伝手を頼り、邦画や洋画を観、もちろん感想を記す。後年、弟子に思い出に残る映画として『まごころ』と『禁じられた遊び』を挙げたが、何と昭和28年の17歳時に観ていて、晩年までそれを鮮やかに語り続けたのだと知る。
前座の常で懐がさみしく、カネが入ると浮かれ、家族や友人に振る舞い、買い物をしてはまた懐のさみしさを悔やむ。この辺は共感するところだが、毒舌は早くも芽生える。かの桂文楽や三遊亭圓生をこきおろし、「吉田第五次内閣成立!」の次の行に「貞山の怪談のセコな事!」などと記すのだ。ビックリするじゃありませんか。
談志が75歳で没して10年、その若き日の日記を弟子としてどう読むか。複雑かつ不思議な感覚だった。「分かる分かる」と同業者としての共感があり、「そんなに無理するなよ」との師弟逆転の感覚に戸惑った。まだ私はその時、2歳だったというのに。ひと言で言うと、僭越だが、この17歳の少年が無闇と「いとおしい」のだった。