【聞きたい。】漢那朝子さん 『南米レストランの料理人 海を越えて沖縄へ 日系家族のかたいつながり』

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【聞きたい。】漢那朝子さん 『南米レストランの料理人 海を越えて沖縄へ 日系家族のかたいつながり』

[文] 寺田理恵(産経新聞社)


漢那朝子さん

■どんな所でも生きていける

沖縄には、なぜか南米料理のレストランが多い。その背景を解き明かした。

「建築家の息子が数年前に沖縄へ事務所を移して以来、南米料理の店を見つけては行っていました。息子はベネズエラ生まれで、中南米のお料理が好き。(経営者は)日系人という情報があり取材を始めました」

豆料理や餃子に似たエンパナーダなど、ボリューム満点の家庭料理は米軍関係者も好む。店を営むのは、かつて沖縄から南米アルゼンチン・ペルー・ブラジルへ移住した日系人の2世や3世だ。本書は彼らの家族の物語。8店9家族を取り上げた。料理より彼らの生き方に焦点を当てている。

かつての出稼ぎブームで日本に来た日系人の中には南米へ帰国した人もいる。本書に登場する家族は、なぜ沖縄社会に定着したのか。

「南米で成功し、家族で戻る資金があった。南米の政情が悪くなる一方、沖縄国際海洋博(昭和50年)の頃などに日本の景気が良くなり、沖縄の親戚が呼び寄せて応援しました」。ただ、開店までには「かなりの苦労があった」とみる。

政情悪化や1世の祖国への郷愁、子供の教育などの理由で沖縄へ戻ったが、日本語を話せない2世や3世は学校では年齢より下の学年に編入される。南米では高校生も化粧をするが、沖縄は制服や校則があり窮屈。住宅は狭い…。

本書で伝えたいのは彼らの生きる力だ。「南米では建築士でも日本の資格がないから工場に勤める。家族全員で働くのが当たり前。どんな所へ行こうと生きていける。負けず嫌いで、『いじめにあった』といいながら、立候補して生徒会長になった人もいます。生きる力と自己主張する力です」

自身は息子が8歳になるまでベネズエラに住み、スペイン語が話せる。取材ではスペイン語も駆使した。沖縄で暮らした経験はないが、両親が沖縄生まれ。不思議な縁を感じている。(ボーダーインク・2420円)

寺田理恵

   ◇

【プロフィル】漢那朝子

かんな・ともこ ライター・編集者。昭和23年、神奈川県生まれ。女子美術短大卒。ベネズエラ人現代彫刻家と結婚し、ベネズエラで州立美術学校講師に。58年に帰国後、離婚。広告制作会社などを経てフリー。

産経新聞
2022年1月23日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

産経新聞社

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