文芸の世界に息苦しさを感じていた……一度は絶筆した雀野日名子が、ジェンダーをテーマに執筆を始めた理由

エッセイ

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かぐや姫、物語を書きかえろ!

『かぐや姫、物語を書きかえろ!』

著者
雀野, 日名子
出版社
河出書房新社
ISBN
9784309030074
価格
1,837円(税込)

書籍情報:openBD

文芸の世界に息苦しさを感じていた……一度は絶筆した雀野日名子が、ジェンダーをテーマに執筆を始めた理由

[レビュアー] 雀野日名子(作家)


雀野日名子さん

2007年に福井県を舞台に地元に伝わる怪異伝承や都市伝説を盛り込んだ怪談小説「あちん」で、『幽』怪談文学賞短編部門大賞を受賞し、デビューした作家の雀野日名子さん。

2008年に発表した小説「トンコ」が、優れたホラー作品を選出する文学賞の一つ日本ホラー小説大賞短編賞を受賞するなど、ホラー・怪談作家として活動していたが、様々な事情から絶筆することに。

将来性ある作家として期待されていた雀野さんが、なぜ絶筆することになったのか? 今回、新刊『かぐや姫、物語を書きかえろ!』の刊行に際して、執筆活動を再開した経緯やジェンダーをテーマに小説を描き始めた理由を雀野本人が明かした。

 ***

「古典や昔話を男女逆転させたらどうなるか」

 そういう企画の打診をいただいたのは、文芸の世界に息苦しさを感じ、倦んでいた頃でした。

 私は「活字のラーメン屋」でありたく思います。お客様のお腹を満たし、ふとした時に無性に食べたくなる味をご提供できる店です。そのために食材を求め、寸胴鍋でじっくりとスープを仕込みます。けれども独りで厨房も経営も廻すとなると限界があり、経営のほうはコンサルタントに委託するようになります。コンサルタントは言います。「ラーメン通の好みに合う味に変えるよう融資先が求めている」「インスタ映えしないと集客が狙えない」「旨さよりも巧さを」。

 ラーメンを作るにはコンサルタントや融資先の顔色を伺わなくてはならなくなり、コンサルタントや融資先はグルメサイトでの評価やSNSの反応に査定基準を置き、いつしかラーメンを作る目的は「お客様のお腹を満たすこと」から「ラーメン通の絶賛を得て『行列ができる店』として全国展開すること」へと変えられていき……。もちろんお客様あっての商売ですからご要望は可能な範囲で反映していきますし、ご満足の声をいただければ大変励みになります。融資審査も通りやすくなります。けれどもこれでは本末転倒になっていくばかり。

 そのため数年前、一旦「雀野日名子」の暖簾を下ろしました。諸事情で「雀野」名の使用停止を迫られていたこともあり、適切なタイミングかと判断したのです。

 暖簾を下ろして気が抜けた反面、開放感もありました。まずは、出版社の表現規制基準に抵触してお蔵入りとなったダークな動物話を絵巻のような形で復活させたいと思い、Appleseed Agency Ltd.さんに相談してみました。メルマガ(現在は廃刊)や社長の開業記(?)を拝読して、既存の枠にとらわれない書籍づくりをしている印象がありましたし、同社の社員さんやライターの卵さんが集う飲み会に加えていただいた際、自分が「活字のラーメン屋」となった原点に立ち返ることができたように感じたからです。

 残念なことに、件の動物話の復活案はダメでした。そして「古典や昔話を男女逆転させたらどうなるか」という企画と、その提案者であるエージェント氏のご紹介を受けることとなりました。文芸企画は私の鬼門となっていましたが、氏は文芸専門の方ではなく、しかも異業種のご出身とのこと。興味を惹かれました。演技一筋の役者が畑違いの監督やプロデューサーと組むと、面白い映画が生まれたりするのです。映画通や評論家から酷評されるケースも多々ありますが、観客にとっては「忘れられない味」になったりします。私が「活字のラーメン屋」として作りたいのはそういう味のはずでした。

 まずはどの古典や昔話を男女逆転させるか決めることにしました。知名度のある古典・昔話であること。女性史の転換期のものであること。エージェント氏や編集者氏の見解を伺いながら選んだ古典と逆転設定は、次のようになりました。

●竹取物語(日本最初の物語)→貴公子たちが姫君に選抜されるのではなく、姫君たちが帝に選抜される。

●源氏物語(平安の雅な時代)→光源氏が女性になる。

●平家物語(雅な時代から戦の時代へ)→源義経が女子になる。

●仮名手本忠臣蔵(江戸時代)→討入りするのは四十七士の未亡人たち。

●舞姫(明治時代)→男子留学生と舞姫の恋ではなく、女子留学生と舞王子(?)の恋。

●蟹工船(戦前)→蟹工船の乗員は全員女性。

 企画名は通称『とりかへばや』。本来ならば女性人物を男性に逆転させるパターンも含めるべきではあるのですが、今回は女性の立場で絞ることにしました。ただ男女逆転モノは既に多数発表されていますし、私は古典やジェンダー問題に精通しているわけでもありませんし、一般的な女性とは少々ズレた生き方をしています。そういう人間がお客様にご提案できるものは何か。エージェント氏や編集者氏は上記の「コンサルタント」とは異なり、試食して違和感を覚えたときに指摘してこられるだけでしたが、ポップで口当たりが軽く、ちょっぴりスパイスの効いた味を待っておられるのだろうなと思いました。私もそういう味付けのほうがお客様のお口に合うだろうと考えました。

 ところが困ったことにこれらの古典の奥底には、それぞれの時代の女性の生きづらさが沈殿しているのです。男女逆転してもどうにも濾過できないのです。

「女でも男同等のことができるものならやってみろ」

 社会のそういう挑発(あるいは見せかけの応援)を女性が返り討ちにしてみせた時、その挑発が強ければ強いほど、「男同等」の壁が高ければ高いほど、私たちは快哉を叫びます。とはいえ現実社会でそういう痛快感を得ることは難しく、フィクションの世界にそれを求めます。

 男同等のことをやってのけるヒロインは多くの場合、男まさりに設定されます。今回の『とりかへばや』企画にもこういうヒロインを登場させれば、「女性の生きづらさ」も女性を軽んじる男性たちのことも痛快無比に蹴散らしてくれましょう。ただ私としましては、男性をやっつけることが女性の勝利だとも、男女が同じになる必要もあるとは思わないのです。一般的に女性にはホモ・サピエンスのメスとしての特性がありますし、男性にはオスとしての特性がある。だから女性が「男同等のやりかた」なんてしなくてよいのですし、男同等のことをやってのけるのが女性活躍の証というわけでもないですし、そういう活躍を目指さない(目指せない)女性が陰に追いやられるのもおかしい。

 考えた結果、上記の「沈殿物」は二人の女の子に濾過してもらうことにしました。書物オタクで気弱な少女「さよ」と、彼女の盟友である勝気な少女「ごう」です。ペルソナとシャドウと申しましょうか、王道設定です。

 二人は女傑タイプではありません。「英雄」を「女傑」に設定して古典を翻案しても、それを逆翻案したら元の話とさほど変わらない形に収まってしまうのでは、男女逆転の企画を試みる意義がありません。

 女性の生きづらさが沈殿する古典物語を生きることとなった二人は、社会に定義された「女性のストーリー」には抗いつつも、ホモ・サピエンスのメスとしての特性は普通に受け入れ、楽しみさえし、「母」でも「妻」でもない少女期の特権ともいえる自由さで、自分たちを閉じこめる「枠」を破っていきます。男同等のやりかたではなく女性ならではの、自分たちならではのやりかたで(いや、勝気な少女ごうは一度だけ「男同等のやりかた」をしました。だからああいう結果になりました)。

「枠」を壊しながら転生を続ける二人と、二人を阻止しようとする「物語の神」との睨み合いは、最終話『蟹工船』で一応の決着を迎えますが、本当の結末は私自身、いまだに見つけられずにいます。そのかわり装幀デザイナーさんやイラストレーターさんが遊び心を混ぜた演出で、答えのヒントを提案してくださいました。「?」という方はぜひ探してみてくださいね(図書館の本ですとコーティングフィルムで包まれてしまうので、ヒントが見えなくなってしまうのですが)。

 様々な事情が重なり、企画から刊行までに何年も要してしまいました。こうなると普通、刊行時には「時代遅れなネタ」になってしまいます。にもかかわらず、「女性の生きづらさ」というテーマは現在も進行形のまま。おそらくは第一話『竹取物語』から、根幹部分が変わることなく、ずっと。

 実は刊行の際、筆名をどうするかが問題となりました。先に述べましたように「雀野」名の使用停止を迫られる事情もありましたし、いっそのこと、性別不詳な筆名に変えてみようと思ったのです。ジェンダーフリーが謳われるご時世ですし、出版業界は時代の空気に敏感に反応する世界ですし。

 新筆名の使用は承諾していただけそうでしたが、性別不詳にするのはNGなようでした。たしかに実店舗でもオンライン書店でも多くの場合、棚(カテゴリー)は著者の男女別に分けられていますものね。この本を手に取ってくださったお客様から「嫌味なフェミ臭がする」とのお叱りを受けたのですが、性別不詳(あるいは男性の)筆名で発表しても同じお叱りを受けたのだろうか、と考えたりします。私にとっては地方人として地方の生きづらさを描くことも、女性として女性の生きづらさを書くことも同じなのです。不思議なことに「嫌味な地方臭がする」というお叱りは受けたことがありません。

 最もこの本を届けたかった旧知の仲間――様々な背景で「生きづらさ」に縛られている女性たち――からは、「女は生きづらいなんて悩んでいたのは、もう過去の話よ。旦那のモラハラだろうが職場のセクハラだろうが、どんと来い!」と笑われてしまいました。彼女たちには、歯医者さんの言葉を送りたいと思います。「蝕まれていく歯を放置していると、ある日、突然の激痛に襲われます。我慢しているうちに痛みを感じなくなります。治ったからではなく、神経が死んだからなのです」

 自分たちを生きづらくさせている「枠」をぶち破ろうと孤軍奮闘する、小市民な二人の女の子の物語。この本での「枠」は「男性主導主義な社会」ですが、「枠」の定義はお客様それぞれで異なりましょう。「フェミ礼讃小説かッ?」「ミソジニー批判かッ?」などと小難しいことを考えずに、「女の子コンビの千年間の冒険物語」というラーメンでお腹を満たしていただけましたら幸いでございます。

アップルシード・エージェンシー
2022年1月31日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

アップルシード・エージェンシー

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