『皆のあらばしり』
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企みを幾重にも織り込んだ風変わりな味わい
[レビュアー] 大竹昭子(作家)
舞台は栃木県にある皆川城址。高校の歴史研究部に所属する主人公の「ぼく」は、そこで見知らぬ中年男に話しかけられる。
男は大阪弁でお気楽にしゃべるわりには驚くほど博識で、しかも目が速い。「ぼく」のリュックの口からわずかに覗いていた資料を盗み見て好奇心を示す。
その資料とは地元の旧家・竹沢家の蔵書目録のコピーだった。映画監督・小津安二郎の縁戚に当たる小津久足という江戸期の人物の著書としてそこに挙がっている一冊に、男は鋭く反応する。久足の記録に存在しない著作だからだ。その本の名前が『皆のあらばしり』。ようやく本書の題の意味が腑に落ちる。
本当にそのような本が存在するのか。「ぼく」は男の指示に従って同じ歴史研究部に属する竹沢家の娘の手を借りて謎の解明に乗り出す……というふうに物語は進んでいくが、ミステリータッチでありながらコメディーふうなところもあり、最後の三ページには思わぬどんでん返しが待っているなど、一言で言い表せない風変わりな味わいがある。
うぶな高校生が怪しげな中年男と束の間の関わりを持つというやや突飛な設定も、題材が歴史ゆえに説得力がある。歴史オタクってこんな感じだろうなと思わせるのだ。
しかも男の話す言葉は大阪弁。彼の独特の人生観に裏打ちされた箴言めいた発言が随所にちりばめられ、磁力を放つ。もしこれが東京弁だったら物語は成立しないのではないかと思ってしまうほど、会話の妙が際立っている。
皆川城址は架空の場所かと思いきや実在する。久足と小津安二郎が同じ血筋というのも事実。熟練の詐欺師さながらに巧くはめ込まれた事実に、読者は心地よく騙されていく。
企みを幾重にも織り込んだ本作は第一六六回芥川賞候補作だ。この書評が出るころには結果が出ている。「受賞」に賭けておこう。