『湯殿山麓呪い村』
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ある密室殺人が、隠された過去を暴き出す。角川小説賞受賞の名作ミステリ――山村正夫『湯殿山麓呪い村』文庫巻末解説
[レビュアー] 中島河太郎
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■山村正夫『湯殿山麓呪い村』文庫巻末解説
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解説
中島 河太郎
昭和五十六年十二月、横溝正史氏は七十九年の生涯を閉じられた。少年時代からの探偵小説愛好が嵩じて、江戸川乱歩登場以前から創作、翻訳を手がけ、昭和年代には「新青年」編集長として、独自の風格をもった雑誌を造りあげ、さらに耽美的な作風を樹立し、捕物帳でも屈指の存在であった。
それらの業績にもまして、氏の名を不滅にしたのは、戦後、いち早く本格長編をひっ提げて、推理小説復興の原動力となったからである。昭和三十年代の社会派推理小説の擡頭で、逼塞を余儀なくされたかと見えたが、五十年代になると再起して新作長編をつぎつぎに刊行、空前の横溝ブームを現出し、最高発行部数の記録を樹立した。
横溝氏の逝去は日本推理小説界の大損失というばかりでなく、晩年、親炙していた著者や私などにとっては、なお一層の衝撃を覚えたのである。殊に作家としての氏に心酔していた著者にとって、これほど痛恨のことはなかったにちがいない。
著者山村氏の作家としての出発は実に早かった。角田喜久雄氏が中学三年、横溝氏が中学を了えた翌年にデビューして、それぞれ早熟児であったが、山村氏も専門学校一年のとき、弱冠十七歳のとき、当時の探偵小説専門誌「宝石」で初舞台を踏んだのだから、読者を瞠目させたのは当然であった。
その後、少年物、謎解き本格小説、怪奇小説、アクション物と幅広い活動を続けながら、日本探偵作家クラブの書記長に引き続き、日本推理作家協会の常任理事となり、現在は理事長に就任して、斯界の振興に尽力している。
著者は昭和二十四年のデビュー以来、推理小説界の推移を身をもって体験してきた。その見聞にもとづいた「推理文壇戦後史」が、交友の広さと話題の豊かさによって愛読され、昭和五十年には「我が懐旧的探偵作家論」が日本推理作家協会賞の栄誉に輝いた。
この長い道程にあって、推理小説界の展開と起伏のなかに、身を置き続けてきた著者は、その折り折りに深い感慨があったにちがいない。殊に社会派旋風の到来は、従来の作家たちに大きな衝撃を与えた。リアリティー、日常性を重視しようとする視点は、虚構と論理を支軸にしていた旧探偵小説観をゆさぶったのだが、必ずしもリアリティー万能で推理小説のおもしろ味を律しきれるものではなかった。
「推理小説はすべて、日常性に立脚したリアルなものでなければならないという狭量な推理小説観には、首をひねらざるを得ない」という著者は、現実性を第一義に考える推理小説があってもいいし、虚構性に徹した探偵小説があってもいいという立脚点から、新たな方向を目ざしはじめた。
「ここ数年来、私が内心ひそかに野心を燃やしていたのは、伝奇本格探偵小説であった。この分野の第一人者は言うまでもなく横溝正史先生だが、その作風の継承者となると現代作家の中には見当たらない。そのことが、私の創作意欲をかきたてたのである。戦後まもなく十代で処女作を発表した私は、探偵小説の洗礼を受けて作家になった。それだけに、伝奇本格探偵小説の持つロマンの世界には、人一倍郷愁を感じるのだ。私以外にはそうした作風の作品は、書き得ないのではないか、といういささかの自負も抱いている」
推理小説界の現況にあきたらなく思っていた著者が、真情を吐露し、期するところを率直に述べている。その目ざすものはなにか、著者はつぎのような意図を明らかにした。
「ただ、そうはいっても、昭和三十二、三年以降の推理小説の影響をも受けている私は、むろん逆コースを辿る気はない。横溝先生の作品を単に模倣しただけのリバイバル作品では、意味がないのである。そこには何らかの現代性が加味されていなければならないし、例え人工的ではあっても、作中のリアリティーは絶対に必要だ。書下し長編として本書を執筆するに当たり、私が一番苦労したのはその点であった。横溝先生を超えることはできないにせよ、一味違った作品にはしたい。そうした意図のもとに本書に取り組んだのである」
戦後の本格長編全盛時代の土壌に育ち、社会派の洗礼を受けた著者は、謎解き小説と現実性の融合を心がけ、さらに伝奇の彩りで絢爛たる絵巻に仕立てた。
著者がその伝奇世界の舞台を、出羽三山に求めたのは、たしかに所を得ていた。ここは権現信仰のメッカであり、羽黒修験道の本山、真言密教の行場であった。しかも戦後の調査によって、〝日本のミイラ〟として脚光を浴びた即身仏信仰が明らかにされ、一段と神秘の色を濃くして世人を驚愕させたのである。著者は本書のプロローグで、ミイラ作りの鬼気迫る作業から筆を起こして、その怨念が百八十年後に甦るまがまがしい悲劇を予告している。
この凄惨な陰謀に携わったのは、湯殿山麓の大師村に権力を振るっていた庄屋と寺と旅籠の御三家であったが、その子孫が三十数年前、またもや人道に悖る悪業を働いたらしい。まず庄屋の子孫で今ではレトルト食品により大企業にのしあがった淡路家に、白羽の矢が立った。
白衣の遍路姿の男がミイラ状の指を投げ込んで、路上で消失したばかりか、いまなお土中に埋められたままの即身仏のなりそこないの幽魂が、誅罰を宣言する。当事者が過去の罪業に口をつぐんでいるため調査が捗らず、そのうち連続殺人の幕が切って落とされたのだ。
調査の出馬を要請されたのが、大学の史学科の助手の滝連太郎。大飯ぐらいのクイズ狂で、見るからに冴えないのだが、玄人はだしの推理力は、親友の警視庁警部も一目置いて、彼の協力を仰ぐほどである。陰惨な事件を対象にすればするほど、彼の明るい、闊達な人柄と行動が、事件のおぞましい空気を和らげている。しかも歴史に強いのだから、この探偵役の起用は、伝奇ミステリーにはうってつけの人材である。
先の人間消失の謎に引き続き、不可解な密室殺人が提示される一方、三十年の秘密のヴェールが次第に剝がれていく。しかも古い封建制下の閉鎖的な村落での人間関係は、乱脈を極めていて、かれらの口を開かせることが容易でない。
輻湊した縺れをいちいち解きほぐしていくうちに、曙光はほの見えるのだが、肝腎の人間消失や密室を解明しない限りは、容易に真犯人の実像には迫れないのである。
そういういらだたしさを孕みながら、ミイラ発掘調査の段どりが進行し、思いがけない陥穽が待ちうけている。著者は複雑に仕組まれた謎を巧みに解きほぐして、最後のクライマックスへと導き、いわゆる天衣無縫の殺人の全貌を解き明かす。
本書の執筆中、横溝氏はまだ健在で、『悪霊島』の稿を継いでおられた。著者の伝奇本格推理への着手を聞かれて、わがことのように喜ばれた。「過去と現代をつなぐ呪いの交錯。この妖かしに私は年甲斐もなくシビれてしまった。ここにまた一人、魅力ある探偵が登場した。これから先が楽しみである」というのが、横溝氏の贈られたことばである。
本書は昭和五十五年に刊行され、翌年、角川小説賞を授賞された。滝連太郎の活躍する第二長編は『赤い呪いの鎮魂花』で、沖縄の戦争を背景に、辣腕専務の殺人事件を扱い、『陸奥こけし殺人事件』では女流棋士を探偵役に、鶴岡の冤罪事件の真相に肉薄している。また一面ではドジで間抜けな刑事が、一転してオールマイティの秘密捜査官に変身するという、アクションとSFを融合した「変身刑事」のシリーズには意欲を見せている。
私はかつて「ミイラ信仰に根ざす怨念が、伝奇推理に結晶した著者畢生の戦慄長編」と評したが、著者は本書を転機として、新しい作風を樹立した。読者とともにさらに今後の収穫を刮目したい。
■作品紹介
湯殿山麓呪い村
著者 山村 正夫
定価: 990円(本体900円+税)
発売日:2021年12月21日
ある密室殺人が、隠された過去を暴き出す。角川小説賞受賞の名作ミステリ。
「語らざるべし、聞かざるべし」。大手レトルト食品メーカーの社長、淡路剛造が自宅の浴室で何者かに殺害された。殺害前、彼の自宅前では怪しげな遍路の姿が目撃されており、剛造の娘の婚約者の元には、幽海上人の生まれ変わりを名乗る謎の男から剛造が過去に起こした罪を裁くという怪電話がかかってきていた。彼が犯した罪とは何なのか。事件を追ううち、彼の故郷の村で起きたある母娘の失踪事件、更には湯殿山麓の寺の奇妙な戒律が浮かび上がる――。角川小説賞受賞の本格推理小説。
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