『ひとりでカラカサさしてゆく』
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ひとりでカラカサさしてゆく 江國香織著
[レビュアー] 重里徹也(聖徳大特任教授・文芸評論家)
◆一人一人の日常と孤独
面白い長編小説だ。人生の深淵(しんえん)をのぞき込むような、かといって、決して深刻にならず、大仰な言葉を使わず、それでいて、この世のありようを垣間見て、人間について考えることを誘う作品だ。上質な文学的享楽に満ちた、とっておきの時間を味わえた。
小説は不可解な事件を提示して始まる。大みそかに東京駅近くのホテルに集まったのは八十歳代の三人の男女。この三人が客室で猟銃自殺をした。一体、彼らはなぜ、自ら死を選んだのだろう。緊張感のある謎が物語全体を引っ張っていく。
三人は六十年前に知り合った。いずれも美術系の小さな出版社の社員だった。気が合って、一緒に出かけたり、語り合ったりした。転職したり、会社がつぶれたりした後も、付き合いを続けた。
小説はこの三人の内面もたどるのだが、むしろ重心は残された人たちの戸惑いの日々を描くのに移っていく。娘や息子たち。その配偶者や恋人たち。孫たち。勤めていた頃の後輩。出版社にいた時に担当した美術評論家の家族。日本語学校の教師をしていた頃の中国人の教え子。三人に縁のあった人たちが、彼らはどうして自死したのかと疑問を抱きながら暮らしている。三人の死までは互いに知らなかったのに、言葉をかわすこともある。しかし、集団自殺の理由はわからない。
登場人物一人一人の日常が描かれていく。みんなが愛したり、別れたり、働いたり、食べたり、笑ったり、泣いたりする中で、そこはかとなく、それぞれの孤独が浮かび上がってくる。日々の生活に、新型コロナウイルスの感染拡大が影を落とす。みんな生まれる時も死ぬ時も一人なのだという当たり前のことが丁寧に描かれていく。
死んだ三人のうちの一人の孫が印象的だ。小説全体のアクセントになっている。彼女はアンデルセンを研究するためにデンマークに留学している。彼女が登場するたびに物語が活気づく。『人魚姫』や『スズの兵隊』など、アンデルセンの名作を思い出しながら、その言葉や行動を楽しめた。
(新潮社・1760円)
1964年生まれ。作家。著書『号泣する準備はできていた』『去年(こぞ)の雪』など。
◆もう1冊
江國香織著『犬とハモニカ』(新潮文庫)。小説巧者ぶりがよくわかる短編集。