ショッキングな幕開けなのに描き出されるは輝かしき人生

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ひとりでカラカサさしてゆく

『ひとりでカラカサさしてゆく』

著者
江国, 香織, 1964-
出版社
新潮社
ISBN
9784103808114
価格
1,760円(税込)

書籍情報:openBD

ショッキングな幕開けなのに描き出されるは輝かしき人生

[レビュアー] 佐久間文子(文芸ジャーナリスト)

 八十歳を過ぎた男女三人が、大みそかの夜、東京駅に近いホテルの一室で猟銃自殺を遂げる。

 テレビや週刊誌で盛大に取り上げられそうな、ショッキングな事件で小説は始まる。

 彼らはなぜ、このような死を選んだのか? 視聴者や読者の関心はその点に集まり、ふつうならば遺書や人間関係からいくつかの情報が提示され、星座を描くように、謎を解く解釈が示されるだろう。

 だがこの小説はそういうミステリー的展開をとらない。亡くなった三人、宮下知佐子と篠田完爾の残された家族および、身寄りのない重森勉に後事を託された知人や教え子といった、三人にかかわりのあった人々の中で、彼らの死とその人生がどのように受け止められていったかを描く。

 三人は、かつて同じ美術系出版社で働いていた。知佐子が完爾に思いを寄せ、勉と知佐子が関係を持ったこともあったが、二十代から八十代まで続いたその後の長いつきあいの中に、恋愛は、ほとんど痕跡をとどめていないようにも見える。

 妻に先立たれた完爾はがんに冒されていた。秋田に移住した完爾のもとには猟銃があった。勉は事業に失敗、経済的に逼迫していた。いくつかの点と点をつなぐことはできるが、起きたことの謎をすべて解く鍵にはならない。

 残された家族や知人は、それぞれの日常の中で故人を思い、彼らが過ごしてきた時間に思いをはせる。思いとどまらせることができたのかと悩む人もいれば、終始、距離を崩さない人も。家族といっても一緒に過ごした時間は限られ、知らないことのほうが圧倒的に多いのだ。

 後に残った人たちの時間の流れに、三人の最後の時間が、何度か挿入される。その後に何が起きるかを知っていても、豊かな記憶を共有する三人の姿は最後まで優雅で、輝くばかりに幸福に映る。

新潮社 週刊新潮
2022年2月10日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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