『哲学の蠅』
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哲学の蠅(はえ) 吉村萬壱著
[レビュアー] 若松英輔(批評家)
◆内なる愚かさと向き合う
この作品は、外見上は哲学をめぐる自伝的エッセイだが、その本質は哲学的小説以外の何ものでもない。これまでは小説で、直接自分を語ることがほとんどなかった作家が、私の奥にある「わたし」を語ろうとしたとき、小説家の奥にいた眠れる哲学者が目を覚ましたのである。
「内なる哲学者」が、新しい私小説を書いた。比喩ではない。そうでなければ「私は今でも、小説の書き方がよく分からない。どんな短い掌編小説でも、毎回ゼロから考えなければならない。一からではなくゼロからなのだ」という告白も記されることはなかったはずだ。のちの時代の人は、本作を機にこの作家が、変貌したと論じることになるだろう。
作家の「内なる哲学者」は、ローマ時代の哲学者プロティノスに魅せられ、井筒俊彦を愛読する。そのほかどんな書物を読み、どんな人物に出会ったかも語るのだが、最も熱意を込めて語るのは、哲学とは何かという根本問題だ。
彼にとって哲学は、大学などで学者によって研究されるものに留(とど)まらない。むしろ、生身の人間によって生きられることからのみ、生起する名状し難い何ものかだった。
そして彼は、いつの間にかできあがった「哲学」という枠からそれを「解放」しようとする。同質の営みをピカソに見てこう語った。「絵というものは、ふざけた漫画みたいな線描画でも幼児の殴り描きみたいなものでも全然構わないのだという『許可』を、その生涯をかけて全人類に与えた点がピカソの最大の功績だったと私は勝手に思っている。即(すなわ)ちピカソは我々に絵そのものを解放したのである」
哲学の原語はギリシア語の「叡知(えいち)を愛すること」に由来する。人は生の随処(ずいしょ)で叡知に出会う。それは、あきれるほどの自分の愚かさと向き合うときも例外ではないのである。
本書の冒頭と最後に「蛆(うじ)虫」「抜殻(ぬけがら)」と題する小品が置かれている。形を変えた「まえがき」「あとがき」でもあるのだろうが、読み手がそこに見出(みいだ)すのは、哲学的散文詩にほかならないのである。
(創元社・2200円)
1961年生まれ。作家。2003年、「ハリガネムシ」で芥川賞。著書『臣女(おみおんな)』など。
◆もう1冊
吉村萬壱著『生きていくうえで、かけがえのないこと』(亜紀書房)。初のエッセー集。