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メタヴァース=仮想現実 30年の時を経て訪れた「未来」は楽園か?
[レビュアー] 大森望(翻訳家・評論家)
ニール・スティーヴンスン『スノウ・クラッシュ』が20年ぶりにめでたく復活した。1992年に出た本(初邦訳は98年、01年に文庫化)が30年も経った今なぜ脚光を浴びているかといえば、アヴァターを使った仮想空間を指す“メタヴァース”という言葉を作中で発明したから。それがIT業界を中心に広く支持された結果、昨年、フェイスブックは社名を“メタ”に変更、今後はメタヴァース事業に注力すると宣言した。
おかげで本書はメタヴァースのバイブルとか元祖とか言われがちだが、当時その発想が特に斬新だったわけではない。著者のすごさは、“仮想現実”という言葉がかっこ悪いからと新語(メタヴァース)を発明したワードセンスにある(こういうセンスがいかに重要かは、ウィリアム・ギブスンのサイバースペース三部作がつとに証明している)。
じゃあ小説はつまらないかというとそんなことはない。「時間内にピザを配達できるか」というだけの話をスーパーかっこいいノリノリのSFサスペンスに仕立てた冒頭60ページを読むだけで、本書がどんなにごきげんな快作なのかはたちどころに了解できる。
この小説が発表された当時、“仮想現実”というアイデアは、少なくともエンターテインメントの文脈では、いつか実現するかもしれない、本物の現実と区別のつかない人工現実として描かれることが多かった(99年の映画『マトリックス』がその代表)。
たとえば岡嶋二人の89年の長編『クラインの壷』(新潮文庫)は、超リアルな仮想空間技術が開発され、作中の事件が現実の出来事なのかゲーム内の出来事なのか決定できない。P・K・ディックがしばしば描いた“現実崩壊感覚”をリアルに発生させる装置として機能している。一方、『星を継ぐもの』でおなじみのジェイムズ・P・ホーガンが95年に発表した『仮想空間計画』(創元SF文庫)は、ミステリっぽい導入から、その技術を可能にする方法をハードSF的に検討する。徹底した合理主義者であるホーガンの面目躍如みたいなVRサスペンスだ。