圧倒的な緊迫感で描いたスパイたちの東西冷戦

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圧倒的な緊迫感で描いたスパイたちの東西冷戦

[レビュアー] 吉川美代子(アナウンサー・京都産業大学客員教授)

 壁がベルリンを東西に分断していた時代、自由を求めて壁を越えようとして東ドイツ警備兵に射殺された犠牲者は136人にのぼる。

 本書はこの東西冷戦時代が舞台。英国情報部ベルリン支局のリーマスは、東ドイツ内の情報提供者のほとんどが殺されてしまうという失態の責任を取らされ情報部を去る。ロンドンで酒浸りの日々を送る彼は、多額の報酬と引き換えに英国側の情報を東ドイツへ売ることに。実は、東ドイツ情報部高官ムントの失脚を図る英国側の作戦だった……。

 一昨年6月に、全てのスパイ小説の金字塔とも言えるジョン・ル・カレ作品『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』(映画は『裏切りのサーカス』)を取り上げたが、本書はこれより11年前の’63 年に書かれたジョン・ル・カレの出世作。登場人物が少なく、過去や現在が複雑に絡んだりしないので読みやすい。発表するやいなや、これまでのスパイ物とは一線を画するリアリスティックでシリアスな内容が絶賛され、数々のミステリー賞を独占。世界的ベストセラーになった。

 その後、リチャード・バートン主演で映画化され(タイトルは『寒い国から帰ったスパイ』)、’66 年度の英国アカデミー賞の作品賞、主演男優賞、撮影賞などを受賞。物語の流れや会話を核心的な部分のみに絞って映像化したので、謀略の骨格がくっきりと分かりやすくなり、かなりテンポよく物語が進む。その分、徐々に緊迫感が増し息苦しくなってくるような原作の雰囲気が薄まってしまい、やや残念。あれっ?と思ったのは、リーマスと愛し合うようになる女性の名前。原作ではエリザベスだが、映画ではナンシーに変更されている。バートンの新婚の妻が、W不倫の末に結ばれたエリザベス・テイラーだったので、彼への忖度で変えたに違いない、きっと。

 作戦の最後に待ち構える驚愕のどんでん返し。小説の結末は言葉を失うほど衝撃的だ。映画の寒々とした白黒画面でより印象的になった。ベルリンの壁をよじ登る男の姿。サーチライトに照らされた男が見たものは非情な世界の深淵だったのか。銃声が響く――。

新潮社 週刊新潮
2022年2月17日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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