「別れた」という結末よりも、「出会えた」こと、 「近付けた」という過去を思うこと。吉田修一『ミス・サンシャイン』

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ミス・サンシャイン

『ミス・サンシャイン』

著者
吉田, 修一, 1968-
出版社
文藝春秋
ISBN
9784163914879
価格
1,760円(税込)

書籍情報:openBD

「別れた」という結末よりも、「出会えた」こと、 「近付けた」という過去を思うこと。吉田修一『ミス・サンシャイン』

[レビュアー] 吉田大助(ライター)

■物語は。

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物語を愛するすべての読者へ
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熱烈応援レビュー!

■『ミス・サンシャイン』吉田修一(文藝春秋)

「別れた」という結末よりも、「出会えた」こと、 「近付けた」という過去を思...
「別れた」という結末よりも、「出会えた」こと、 「近付けた」という過去を思…

 人間の暗部にイヤというほど目を向けた犯罪小説に定評がある吉田修一は、柴田錬三郎賞を受賞した『横道世之介』、および続編の『続 横道世之介』などで、主人公の明るい人間性に触れることで、読み手をエンパワーメントする(=力付ける)作品を折に触れて発表してきた。題名からも光の成分を感じる『ミス・サンシャイン』は、その最新形であり究極形とも言える作品だ。
 語り手である大学院生の岡田一心は、指導教授の紹介で、昭和の大女優・和楽京子の家で荷物整理のアルバイトを始める。八〇代となった彼女は、本名の石田鈴から「鈴さん」と周囲に呼ばれ愛されている。それは彼女が先に、愛を周囲に分け与えているからだ。皇居周辺の散歩コースでよく顔を合わせる女性警備員に孫が生まれたと聞くと、「遠慮せずにもらってよ」とお祝いのプレゼントを差し出す。恋人から裏切られてしまったことを吐露する一心に対して、「時間がかかるのよ。人の心ってね、大人になってもよちよち歩きなの」と優しく諭す……。鈴さんの人間性に触れ興味を抱いた一心は、一〇代でデビューし七〇代で引退した和楽京子のキャリアの変遷を探り始める。和楽京子の出演作について、その内容よりも映像や演技のディテールに焦点を当て、読み手の脳内スクリーンにイメージを直接照射する描写が圧巻だ。女優としての美や才能を目の当たりにすることで鈴さんに対する一心の思いが、恋心に発展したことへの説得力も生んでいる。
 和楽京子は終戦直後の日本映画界において「肉体派女優」、あるいは「アプレ女優」(アプレは「戦後派」の意)と呼ばれていた。〈栄養が悪く、やせっぽちで小柄な日本人女性という当時のステレオタイプからは程遠い、男たちをも圧倒するような鈴さんの肉体にきっと新しい時代の匂いを嗅いだはずである〉。あらゆる国家の歴史が証明しているように、ほとんどの戦争は男たちが起こす。女性の主人公が、主体的に人生を選択していく姿をスクリーンで目撃することは、戦間期からの時代の切断を感じ、価値観の更新を言祝ぐ経験となったに違いない。つまり、和楽京子という女優は、パワーレスな状態にあった戦後の日本人をエンパワーメントした。その存在を主軸に据えたからこそ、本作にはかつてないほど光のエネルギーが宿ったのだ。
 芸名や「アプレ女優」という呼び名から、著者は実在の大女優・京マチ子をモデルの一人としたことが察せられるが、物語が三分の一を過ぎたあたりで、人生は大きく分岐する。京マチ子は大阪出身だが、鈴さんは長崎出身である。鈴さんは一九四五年八月九日、長崎で被爆した。
 本作は、長崎出身の著者が初めて真正面から、被爆者の痛みや悔しさを綴った小説である。が、このモチーフが露出した後も、小説のトーンは決して暗くならない。なぜなら物語を通して繰り返し指摘されているのは、人生の一時期や一事象のみを見て、人生全体の幸不幸をジャッジする乱暴さだからだ。例えば人は、大切な人と「別れた」──その究極は「死」──という結末に引っ張られ、その人との思い出を悲しみで塗り潰してしまうことがある。しかし、その人と「出会えた」こと、はるか遠くにいると思えた相手の心に「近付けた」という過去を思えば、喜びが湧き出るはずだ。たとえ「別れた」という結末は変わらずとも、考え方次第で、幸不幸の印象は大きく変わる。
 そのような思考回路を読み手にもたらしてくれるから、本作はエンパワーメントの究極形とも言える作品となったのだ。

■あわせて読みたい

■『横道世之介』吉田修一(文春文庫)

大学進学のために長崎から上京した横道世之介の一年間の物語。他者との垣根が極端に低く、愛することも愛されることもどんと来い(でも時折ダメダメ)な世之介を前に、日常を慈しむ感情が自然と湧いてくる。「別れた」ことよりも「出会えた」ことを尊ぶ、人生のスタンスも物語の中に刻印されている。

KADOKAWA カドブン
2022年02月10日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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