文芸評論家・細谷正充が紹介する「今もっとも面白い本」とは?

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  • コージーボーイズ、あるいは消えた居酒屋の謎
  • 法月綸太郎ミステリー塾 怒濤編 フェアプレイの向こう側
  • 断罪のネバーモア
  • 霊獣紀 獲麟の書(上)
  • あなたのための時空のはざま

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エンタメ書評

[レビュアー] 細谷正充(文芸評論家)

 二〇二二年になったと思ったら、早くも一月が過ぎた。とはいえ締め切りの関係で、取り上げる本の多くは、昨年刊行された本だ。まず最初は、新人・笛吹太郎の連作『コージーボーイズ、あるいは消えた居酒屋の謎』(東京創元社)にしよう。

 コージーボーイズの集い。それは、東京の荻窪にあるカフェ〈アンブル〉に、コージーミステリー好きが集まり、推理小説(作中でこう表記されているのに従う)の話に花を咲かせる会である。メンバーは、作家・古書店主兼評論家・同人誌の主幹・編集者の四人。メンバーやゲストが持ち込む謎に頭を捻るが、真相を解き明かすのは、カフェのマスターの茶畑であった。

 という設定を見れば分かるように、本書はアイザック・アシモフの「黒後家蜘蛛の会」シリーズを強く意識している。そちらと同じように各話が終わった後、物語の打ち明け話を添えているのだから徹底している。その他、メンバーの会話がいかにもミステリー・ファンらしく、読んでいて楽しくなってしまった。

 とはいえ肝心なのはストーリーだ。表題作である第一話は作家が、ベロベロに酔って入店し、素面になったらどこだか分からなくなった、三軒目の居酒屋を捜そうとする。殺人事件の容疑者になり、アリバイを証明する必要が生じたためだ。ところが、目星をつけた範囲の居酒屋をしらみつぶしに当たっても見つからない。消えた居酒屋の謎は盲点を突いており、なかなか気が利いている。だがそれ以上に感心したのが、伏線の妙だ。メンバー同士の笑えるやり取りが、これほど鮮やかな伏線になっているとは思わなかった。話によっては、すぐに真相を看破できるものもあったが、伏線の妙は変わらない。期待のできる新人だ。

 優れた本格ミステリーの書き手である法月綸太郎は、一方でミステリーに関する評論を積極的に執筆している。『法月綸太郎ミステリー塾 怒濤編 フェアプレイの向こう側』(講談社)は、その作者の五冊目の評論集だ。実に刺激的な内容であり、本格ミステリー・ファンは必読だろう。個人的には、ジェイムズ・ヤッフェを論じた「ママの名前を誰も知らない」と、ロス・マクドナルドを論じた「フェアプレイの向こう側」に、大いに触発された。

 さらに評論集の冒頭にある「警察小説化するポスト新本格」は、警察小説ファンも熟読すべき評論になっている。その中にある「警察小説=社会派リアリズム、というかつての常識は通用しない」という言葉を具体化したかのような印象を受けるのが、市川憂人の『断罪のネバーモア』(KADOKAWA)だ。舞台は、犯罪捜査が民間にアウトソーシングされるようになった現代日本。ブラックIT企業からIISCと呼ばれる民間警察に転職した藪内唯歩は、茨城県つくば支部の刑事課で、いい加減な先輩刑事の仲城流次と組んで事件に当たる。

 物語は全四話で構成されている。第一話「宴の後」では、つくば市内のアパートで暮らす女子大生が殺される。なかなか捜査が進展しないが、唯歩のある気づきにより、犯人に肉薄していく。この「気づき」の設定が巧み。警察小説の魅力が、存分に味わえるようになっているのだ。続く第二話「真夜中の略奪者」も同様である。

 こうした唯歩の物語と並行して、七年前に連続殺人事件解決の立役者になり、今はIISCの顔である烏丸真珠巳警視の話が点描される。そして第三話「ストーム・クロウ」で、事件の聞き込みでホテルに行った唯歩が、烏丸警視と遭遇。以後、物語が予想外の方向にすすむのだが、詳しく書くのは控えよう。かなりの荒技を使って、とんでもない真相に到達するとだけいっておく。いや、これは凄い。

 篠原悠希の『霊獣紀』上下巻(講談社文庫)は、中華ファンタジーだが、扱っている時代に驚く。なんと五胡十六国時代なのだ。先行する作品がないわけではないが、きわめて稀である。中国歴史小説の巨匠・陳舜臣が、「北方では、さまざまな民族が、数多くの短命政権をつくり、それが五民族十六国に及びました」といっているが、日本人に馴染みがなく、史実を理解するだけで苦労する複雑な時代なのだ。しかし作者は果敢に挑んだ。まず、そのチャレンジ精神を称揚したい。

 幼き霊獣の一角麒は、天命を果たして「神獣」になるため、戦乱の世を彷徨う。やがて、河北に住む少数民族の若者・ベイラは、洛陽の都で一角麒と出会った。その後、乱れた世に翻弄され、奴隷から盗賊になり、さらに挙兵する。その傍らには、白い光輝を発するベイラを、中原の天子とすることを天命とする一角麒がいた。

 主人公のベイラは実在人物なのか、それとも作者の創作かと思いながら読んでいたら、世龍と名を変え、さらに石勒と名乗るようになる。ああ、後趙を建国した石勒であったか。この人物を題材にした日本人の作品は、初めてではなかろうか。面白いのは、ベイラが世龍になった頃から、どんどんストーリーが歴史小説になっていき、一角麒の扱いが小さくなること。たまたま作者から話を聞く機会があったが、石勒という人間の魅力に引っ張られ、書いているうちに歴史小説寄りになったそうだ。だから本書は、中国歴史小説の好きな人にもお薦めしたい。五胡十六国時代を雄々しく生きた石勒の生涯を、じっくりと楽しんでほしいのである。

 ユニークな現代ファンタジー「ぶたぶた」シリーズで知られる矢崎存美の短篇集『あなたのための時空のはざま』(ハルキ文庫)は、タイムトラベル・ファンタジーだ。「あなたのための時空の狭間が、ここにあるかもしれません」という文章と、年月日と時刻の羅列が掲載されたネットのサイト。それが自分の過去の大切な時を意味していると感じた五人の男女が、数字をクリックして過去の時間に紛れ込む。

 第一話「誕生日をプレゼント」は、母親からサイトのことを知らされた結婚間近の娘が、病院で自分が生まれる時にタイムスリップする。いかにも作者らしい、ハートウォーミング・ストーリーだ。しかし続く「あなたのため」から、ストレートなハッピーエンドといえない話になる。息子の結婚をコントロールしたことを悔いる母親。祖母の悔いの真相を知ろうとする孫。死んだ父親の人生の転機を見届ける息子。二度目の過去行きを決意する女性。彼らの過去の行動により、現在が変わることもあれば、変わらないこともある。作者はさまざまなケースを通じて、過去を踏まえて今をどう生きるかが、大切なことだといっているのだ。

 山本幸久の『人形姫』(PHP研究所)は、鐘撞市にある創業百八十年の老舗人形店「森岡人形」を舞台にした、お仕事小説だ。亡き父の後を受け、八代目当主となった若社長の森岡恭平。しかし、人形の売り上げの低迷に、職人たちの高齢化と、問題は山積みだ。おまけに恭平の婚活も上手くいっていない。そんなとき、元同級生で、フィギュアの原型師をしている溝口寿々花が、離婚して鐘撞市に戻ってくる。また、フィリピンパブで働くクリシアが、人形職人になりたいとやって来た。善良で真面目な恭平の周囲は、少しだけ騒がしくなっていく。

 伝統を守ることと、時流に合わせること。伝統のある仕事は、このふたつの間でバランスをとればいいのだが、現実がそんなに上手くいくわけがない。それでも恭平は、小さな騒動と誠実に向き合いながら、少しだけ店と人々を変えていく。恭平がコーチをしている高校のボート部の話も絡め、大勢の人物のキャラクターを立てながら、ストーリーはテンポよく進行。現実を見つめながら、温かな明日を予感させてくれる、気持ちのいい作品なのだ。

『楽園とは探偵の不在なり』(早川書房)『廃遊園地の殺人』(実業之日本社)により、ミステリー作家として注目されるようになった斜線堂有紀だが、ひとつのジャンルに収まるような作家ではない。最新刊となる『愛じゃないならこれは何』(集英社)は、短篇五作を収録した恋愛小説集だ。ただし、その愛はすべて歪んでいる。

 冒頭の「ミニカーだって一生推してろ」は、自分のファンをストーカーする地下アイドルの物語。俗に「犬が人を噛んでもニュースにはならないが、人が犬を噛めばニュースになる」という。それを想起させる逆転の発想が素晴らしい。しかも、自分を肯定してくれる言葉に縋る地下アイドルが、ファンに執着を深める過程が、説得力を持って描かれているのだ。以後の話も、一目惚れした後輩社員の趣味に合わせるため、本来の自分を捨てていく女性を主人公にした「健康で文化的な最低限度の恋愛」など、インパクトは絶大。それでありながら、実際にあってもおかしくないリアリティがある。作者の恐るべき才気が伝わってくる一冊だ。

 最後は、吉田親司の『作家で億は稼げません』(エムディエヌコーポレーション)にしよう。タイトルは松岡圭祐の『小説家になって億を稼ごう』(新潮新書)を意識したものだ。といっても挑発しているわけではない。松岡の本そのものは高く評価している。ただ、ベストセラー作家とは違う、「凡人ならではのサバイバル方法」を伝授しようとしているのである。その方法──たとえば、あちこちに献本をする、パーティーで名刺を配るなどは、泥臭く見えるかもしれない。だが出版業界で生き残っている人なら、納得できることばかりだ。本書は、本を出版したはいいが、これからどうすれば業界で生きていけるのか悩んでいる新人作家に、一番効果があるのではなかろうか。約二十年間、専業作家をしている作者の教えは伊達じゃない。

 なお、作者のメイン・ジャンルである架空戦記物の歴史が、自身の体験と共に語られている。これも嬉しい。架空戦記物の記録としても本書は、高い価値を持っているのだ。

協力:角川春樹事務所

角川春樹事務所 ランティエ
2022年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

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