父のビスコ 平松洋子著
[レビュアー] 小松成美(ノンフィクション作家)
◆思慕と覚悟 家族史記す
岡山に生まれた和菓子屋の少女の生い立ちと、その娘、孫娘に受け継がれる愛情を描く朝ドラ「カムカムエヴリバディ」。三世代のヒロインたちに胸を熱くする朝の十五分が湧き起こすカタルシスに背中を押されるように、本書を読んだ。
岡山県倉敷市を舞台にした昭和、平成、令和に連なる三世代の真実の物語。それは、創作の悲喜劇と違い、淡々として、けれどズシンと胸に響く。古いモノクロ写真のような懐かしさと、二度とは戻らない日々への郷愁がちりばめられた文章に引き込まれ、気が付けば、著者の意のままに登場人物に心を寄せていた。
ページをめくりながら感じたのは、著者が百年の時を生きた一家の歴史を文字にしながら重ねたであろう、自身の心の深い層を書き留める「覚悟」だった。家族を書くということ、その死と、残された者の思いを詳(つまび)らかにすること、青春を振り返ること、それぞれの時代の食べ物に心を寄せた記憶をたどること。そうしたエッセーの連なりは、激情とは対極にある筆致でありながら、心の叫びだった。
力を尽くして生きる人たちをいきいきと浮かび上がらせると同時に、著者は残された時間、自分の最期にも思いをはせたのではないだろうか。限りのある人生を真に受け入れた文章は、鼓動のようにリズムを刻み、プリズムのような多面的な光を放ち、読み手の感情を見事にかき混ぜる。
表題の「父のビスコ」は、父親の死に際し思い起こされる病床の様子だが、老いて病んだ父との短い会話には深い思慕が浮かび上がる。大げさで華美な表現は一切ないのだが、その描写は心に染みる。
この一編と対ともなる「母の金平糖(こんぺいとう)」では、遠い過去への果てしのない思いが露(あら)わになる。岡山大空襲の朝の母たちの避難、射撃弾を浴びた父の幸運、そして、赤い金平糖にまつわる母の記憶。そうした事実の欠片(かけら)に、著者は今ある自分の人生を思う。
たおやかな、おかしみのある文章で生と死を確かに記した今作は、人気エッセイストの分水嶺(ぶんすいれい)になるに違いない。
(小学館・1870円)
1958年生まれ。エッセイスト。著書『買えない味』『野蛮な読書』など多数。
◆もう1冊
幸田文著『父・こんなこと』(新潮文庫)。父・露伴との日常を伝える記録文学。