『あんの夢 お勝手のあん』
書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます
柴田よしきの世界
[文] 角川春樹事務所
幕末を舞台にして、料理人を目指して働く少女を描く「お勝手のあん」シリーズ。
一見、繋がりが見えなそうな少女小説と時代小説の結びつきは、どのような発想で生まれたのか。
著者・柴田よしき氏と書評家・東えりか氏との対談で、その発想の原点と今後の展開について語っていただいた。
***
少女の成長を描く「お勝手のあん」の発想の原点とは?
東えりか(以下、東) 「お勝手のあん」シリーズ第五巻『あんの夢』発売、おめでとうございます。まずは、このシリーズを始めようと思った経緯をお聞かせください。
柴田よしき(以下、柴田) グルメミステリー的なものをというのが最初のお話でした。ところが打ち合わせをしていたら、突然、角川春樹社長から「時代小説を書いてくれ」って言われて。驚いて編集者と顔を見合わせました。それは春樹さんの閃きだったと思いますが、「これまでの時代小説は気にしなくていい」と言われても私は歴史の素養がないし、書いたこともないと躊躇っていたんです。それでも時代考証などは編集者がやるから好きなように書いてくれと口説かれました。しばらく悩みましたが、時代は変わっても女の子は女の子、そんな女の子としての痛みや悩み、苦しみや喜びを描いてみたいと、開き直って書き始めたというのが実際のところです。
東 幕末を選ばれたのはなぜですか。
柴田 イメージがこの時代しか浮かばなかったのです。幕末という時代は、普通に暮らしている庶民を取り巻く環境が渦を巻いて変わった時期です。そして時代の流れに逆らったり乗ったりしながら、庶民の多くはうまく生き延びるんですよね。そういう意味で現代に似ていると思います。
東 確かに。日々の生活がすぐに変わるわけでもないけど少しずつ変化を余儀なくされる。勘の鋭い子供たちはそれに気付き生き残って成長していくのでしょう。私は柴田よしきが初めて時代小説を書く、というのに興味を持って一巻目が出てすぐ読みました。柴田さんらしい勘の鋭い物語だなという印象を受けました。今のところ少し進みが遅い気がしますけど(笑)。
柴田 「赤毛のアン」シリーズのように少女というものが女性へと変化していく痛みのようなものをゆっくり書きたいのです。書いていてすごく楽しいので少し長くなってしまいました(笑)。
東 嘉永から安政にかけて黒船来航やら天変地異やらが何年か続きます。それにやすが巻き込まれる状況が実にリアルです。舞台として品川を選ばれたのはなぜですか?
柴田 品川は距離的には江戸の中心部から私たちでも歩ける距離ですが、すごく御府内への対抗心が強かったようです。江戸ではないからこそ江戸には負けたくない。遊郭なんかもすごく華やかで、江戸からわざわざ遊びに行く人も多かったんですよね。
幕末の品川、その独特の気風とは?
東 当時の旅人は品川で履物と着物を替えて江戸に入ったとか。
柴田 文献にもありますね。「これから江戸でひと勝負してくるぜ!」みたいな人たちを応援している街だったのかもしれません。ところが、それほど人通りの多い所なのにお上はわざわざすぐそばに鈴ヶ森刑場を作って見せしめにしました。どんちゃん騒ぎをしたり美味しいものを食べたり衣装を整えたりする隣に刑場ですからね、そのコントラストはすごいです。
東 品川という独特の土地を舞台に幕末の風に晒される人間関係の物語というわけですね。これから不穏な時代になりますが庶民は地震と大風の被害から復興することに必死です。
柴田 そうです。攘夷だなんだというのはほとんどの庶民には、関係ないことに思われていたでしょう。大事なのは食べること、寝ること、生きること。ですが品川にはお台場が出来て物騒は物騒でしたし、この先、伏見の戦いの後、品川も江戸も戦々恐々としていたでしょうけれども。
東 そういえば品川には、新撰組の宿がありましたね。
柴田 品川には新撰組だけじゃなく薩摩の侍のための旅籠もあったでしょう。このあたりを描くのは本当に面白いです。
東 今後注目すべき人を教えてもらえますか?
柴田 天文方を目指す山路一郎(山路彰善。歴史家・山路愛山の父)ですね。この後幕府方で戦争に参加する人なんですが、この頃のことはあまり知られていません。私はこのシリーズに歴史的な登場人物を絡めようと試みていますが、そうした人々が目立って活動していない時期、よくわからない期間、そこが小説家のものだと思っています。
例えば進之介(川路利良)が歴史上に浮上するのは明治に入って大警視になってからですが、私は若い頃に興味があります。第一巻に出したなべ先生(河鍋暁斎)もそうで、このシリーズでは「百足屋」に逗留していたことになっている期間のことは、実はよくわかっていません。有名になったのは地震の後のナマズの絵からです。
東 柴田作品の特長である「バックグラウンドが面白い」という部分が、本作でも完全に踏襲されていますね。
柴田 はい、今までの書き方と基本的には変えていません。大きく違うのは「大変さ」のウエイトの置き方かな。資料読みに時間をかけて、得た知識を「どうやったら面白く書けるか」と考えることに一番時間を使います。
東 品川の旅籠からの視点というのも非常に面白いです。
柴田 旅もひとつのテーマです。やすは旅籠で育ったけれど、自分で旅したことがない。旅がわからないのに旅人の世話をしてきました。今回の小さな旅でやすの気持ちや仕事内容が変わってくると思います。やすはお土産一つで人は笑顔になると気付いたわけです。
東 料理には何か資料があるのでしょうか。
柴田 江戸時代の料理書などは読んでいますが、直接その中の料理を出してはいません。江戸時代の人がこんなものを食べたら面白そう、という発想です。
東 「豆腐の海苔巻き」は作ってみようと思いました。あれも創作なんですね。
柴田 実際に作ると海苔がかなり硬くなります。揚げてから出汁で煮た方がやっぱり美味しい。江戸時代も海苔は高かったみたいですよ。油はあの時代だいぶ値段が下がっています。当時の料理本を読んでいると、素材をすごく大事に使うのでどれもすごく美味しそう。やすがイヤだと言ってもけものの肉という食材にもだんだん馴染んでいくでしょうし。調べれば調べるほど、江戸は食文化が豊かだったことがわかります。
東 やすが頭を悩ます清兵衛さんの料理には驚きました。
柴田 清兵衛さんもこの後、幕末の嵐に投げ込まれます。先は言えないですが、非常につらい立場になります。そんなときにやすの料理が力になってくれるはずです。
迫る激怒の時代。主人公の今後のは?
東 今まではやすの修業時代ですよね。彼女の「鼻が利く」という才能は今後物語とどう関わってくるのでしょうか。
柴田 今は料理に夢中で、自分の才能の本当の価値に気付いていません。この能力をどう使うのか、どうか楽しみにしていてください。多分もっと人の役に立てることに使っていくと思います。
東 結婚するのか、子供を持つのかというのも楽しみです。
柴田 地獄絵のような体験ののち、明治という時代をどう受け入れるのか。それを私はこの小説のクライマックスにしたいと思っています。最後は幸せにしてあげたい。歴史上の人物もやすも丁寧に書きたいのです。
東 柴田さんはやすをどういう風に育てていきたいですか。
柴田 彼女は今、色々なことを吸収している途中で、全部をまだ消化しきれていない状態です。いつかはドッシリと人の話を聞いてあげられるような女性になってほしい。旅籠は身体を休めに泊まるところで、出される料理はその邪魔をしちゃいけない。やすはそんな旅籠の料理のような女性に育ってくれたらいいと思います。