失われたピースを「創り出す」見事な小説

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ハムネット

『ハムネット』

著者
マギー・オファーレル [著]/小竹 由美子 [訳]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/外国文学小説
ISBN
9784105901769
発売日
2021/11/30
価格
2,750円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

失われたピースを「創り出す」見事な小説

[レビュアー] 豊崎由美(書評家・ライター)

 四百年を超えて、今もその戯曲が上演され続けているシェイクスピア。「劇聖」とも称されるこの偉人の生涯には、しかし、いくつかの謎が残されている。十八歳の若い身空で八歳も年上の女性と結婚した事情。家族と暮らすストラトフォードを単身出て、ロンドンで劇作家として活躍するまでの数年間の足取り。この二つの「?」に想像の光を当て、戯曲『ハムレット』に新解釈を与えた素晴らしい小説が、マギー・オファーレルの『ハムネット』なのである。

 一五九六年の夏、十一歳のハムネットが、具合が悪くなった双子の妹ジュディスの身を案じて母親のアグネスを探す場面から物語の幕は開く。ペストに罹患し、悪くなる一方のジュディスの症状。看護に手を尽くすアグネス。ジュディスは助かるものの、代わりにハムネットが逝ってしまい、悲嘆に暮れるアグネスの様子を微に入り細を穿つ筆致で描く現在進行形のストーリー。その合間には、彼女の生い立ちや、作中では名前を記されず〈ラテン語教師〉とか〈彼女の夫〉とその時々の立場で呼ばれるシェイクスピアといかに出会い、どんな風に愛し合うようになったかの経緯がはさまれ、最後、この二筋の物語が、最愛の息子を失った男が書いた『ハムレット』の上演舞台をアグネスが観ている場面で合流する。

 独自の価値観を持ち、相手の親指と人差し指の間をぎゅっとつまめば、その人物の内面や未来がわかってしまうアグネス。そんな彼女を〈比類ない人〉と愛するようになる十八歳の若者。それぞれの理由で生家から逃げ出したいと願っている二つの魂が出会い、それこそ比類なき愛を培っていくラブストーリーとして、子を失った母親の哀しみを描いた悲劇として、シェイクスピアというジグソーパズルの失われたピースを創り出す試みとして、これは見事な成果を上げている小説なのだ。今後『ハムレット』を観劇する目を新たにしてくれる極上のテキストなのだ。

新潮社 週刊新潮
2022年2月24日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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