『ソ連兵へ差し出された娘たち』
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「数え年で十八歳以上、未婚」。その慟哭は今も聞こえる
[レビュアー] 東えりか(書評家・HONZ副代表)
一九四五年八月九日、ソ連の対日参戦によって満州国に残された満州開拓団の日本人移民は祖国に捨てられた。日本に引き揚げるまでの悲惨な生活はさまざまな小説や手記によって明らかにされてきた。だが、女性たちの経験を語ることはタブーとされてきた。
著者は中国残留孤児の取材中、ソ連兵が日本人女性を襲うという蛮行の裏に、日本人集団内の支配関係によって強いられた犠牲があったことを知る。開拓団の人から頼まれてソ連兵のところへ行かされた、というのだ。調査を続けるうち岐阜県黒川村を中心に満州へ渡った黒川開拓団の女性からの協力を得た。
彼女への取材の数か月前に亡くなったという犠牲者のひとり、善子さんは「乙女の碑」という4ページの詩を残していた。その一節を引く。
《乙女の命と引き替えに 団の自決を止めるため 若き娘の人柱 捧げて守る開拓団》
残された日本人には集団自決か、死を覚悟して脱出するか、この場で生き残りに賭けるかしか選択肢はなかった。総勢六〇〇名あまりから成る黒川開拓団が入植したのは吉林省陶頼昭。その場にとどまることを決めた団幹部は押し寄せる暴徒からロシア将校に守ってもらう見返りに、団から女性を「接待」に出すことを決定する。選ばれたのは数え年で十八歳以上、未婚であることを条件とされた十五、六名。「乙女の碑」の作者、善子さんは年上であったため、年下の娘たちを守ろうとしていたという。
彼女たちが語る経験は筆舌に尽くしがたい。引き揚げ後、同じ境遇の者たちと話すことはあっても外部には決して洩らさなかったという。
人生の最晩年になって積年の恨みが破裂し、著者は静かに耳を傾ける。
最も弱い層を盾に使い「人間としてあってはならないこと」に巻き込まれ、犠牲を強いられた女性たちの慟哭が聞こえて胸が塞がる。