『ひかりごけ』
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太平洋戦争中の人肉食を扱った文学作品
[レビュアー] 梯久美子(ノンフィクション作家)
書評子4人がテーマに沿った名著を紹介
今回のテーマは「禁忌」です
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太平洋戦争末期に小笠原の父島で起きた人肉食事件について調べたことがある。捕虜の米兵を殺害し、複数の軍人がその肝臓と肉を食したというもので、関わった者たちは戦後、BC級戦犯として裁かれた。
日本だけでなくアメリカでもこの事件は長く伏せられてきた。人肉食は禁忌の最たるもので、公表すれば被害者の米兵の尊厳を傷つけると判断されたのだ。
話題にすることさえ忌避される人肉食を、正面から扱った文学作品が、武田泰淳の「ひかりごけ」である。
舞台は太平洋戦争末期の北海道、知床。厳冬期に遭難した徴用船の船長が、衰弱死した船員の遺体を食し、救助されたのちに裁判にかけられる。
「ひかりごけ」というタイトルは、人肉を食した者は首の後ろに緑色の光の輪が見えるという、作中人物の言葉からきている。その光が、暗所で光る性質をもつヒカリゴケに似ているというのだ。
この小説は実話をもとにしている。徴用船の難破も船長による人肉食も現実にあったことで、裁判も行われた。首の後ろが光るというのはもちろん虚構だが、知床にはヒカリゴケが群生する洞窟がある。武田泰淳は実際にここを訪ねて着想を得ている。
裁判の結果、船長が有罪になったのか無罪になったのか、有罪ならどのような罪に問われたのか、小説では明らかにされない。実際の事件の裁判では、死体損壊の罪で懲役1年の実刑判決が下されたという。