『初心 時代を生き抜くための調整術』井上康生著

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

『初心 時代を生き抜くための調整術』井上康生著

[レビュアー] 田中充(産経新聞運動部記者)

■金ラッシュの組織づくり

東京五輪で史上最多9個の金メダルラッシュに沸いた日本柔道。このうち5個を男子代表が獲得した。その舞台裏を、男子代表監督を務めた井上康生氏が明かした一冊。

本書にも登場する全日本柔道連盟(全柔連)科学研究部の石井孝法氏は「ここまで日本柔道ナショナルチームの情報が出たことってないんじゃないか」との感想を、自身のフェイスブックに投稿している。まさにその通りである。

井上氏は2012年11月、歴代最年少の34歳で監督に就任した。直前のロンドン五輪は男子史上初の金ゼロ。どん底からのスタートだったが、苦境を嘆くことなく、2期9年(東京五輪延期で1年延長)にわたり「畳の内と外」で変革に取り組んだ。

歴史本やビジネス本にヒントを得たという改革だけに、男子代表を一つの会社に置き換えて読むと分かりやすい。選手はいわば社員で、井上氏ら指導陣が管理職、代表決定を担う強化委員会などを設置する全柔連が経営陣といったところか。

現場トップを担った井上氏は「マネジメントの権威」と称されるドラッカーが提唱した「価値」「使命」「ビジョン」を代表チームの強化方針に当てはめ、計画・実行・評価・改善のサイクルで向上を目指す。そして16年リオデジャネイロ五輪では、現在の7階級制となって以降初の全階級メダルに導いた。

そのリオに向けての強化方針は、海外勢に負けないパワーを培う「筋量アップ」がキーワード。東京五輪では、海外勢らの膨大な情報を集積した「緻密なデータ」が鍵を握ったと本書で明かしている。東京五輪をめぐっては、科学研究部が過去の傾向から「審判が指導を出すタイミングが遅くなる」との予測を見事に的中。選手は攻め急ぐことなく勝利を呼び込んだというエピソードもつづった。

井上氏は、芯がぶれない日本柔道界の太い幹でありながら、ときに涙もろいあやうさをみせる。そんな指揮官が選手らと対話を重ね、選手の家族も招いたバーベキュー大会を催すなど、チームの一体感を醸成する様も盛り込んでいる。トップの資質や統率がとれた組織づくりは、ビジネスマンが読んでも十分に身になるはずである。(ベースボール・マガジン社・1870円)

評・田中充(運動部)

産経新聞
2022年2月20日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

産経新聞社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク