芥川賞候補の筋トレ小説『我が友、スミス』の魅力は「何かを極めようとする人だけが見ることのできる世界」

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我が友、スミス

『我が友、スミス』

著者
石田 夏穂 [著]
出版社
集英社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784087717884
発売日
2022/01/19
価格
1,540円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

ミトンとふびん

『ミトンとふびん』

著者
吉本 ばなな [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103834120
発売日
2021/12/22
価格
1,870円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

[本の森 恋愛・青春]『我が友、スミス』石田夏穂/『ミトンとふびん』吉本ばなな

[レビュアー] 高頭佐和子(書店員。本屋大賞実行委員)

 インパクトのあるデビュー作だ。石田夏穂『我が友、スミス』(集英社)は友情小説ではない。「スミス」は人間ではなく、バーベルを比較的安全に扱うことのできるトレーニング・マシンの名称である。筋トレには興味がなかったが、読み終えるとバーベルを持ち上げてみたくなっていた。

 三十歳手前の会社員・U野は仕事帰りに日々自己流の筋トレに励んでいる。ある日元ボディ・ビル選手のO島から声をかけられ、彼女が立ち上げる新しいジムに来ないかと誘われる。今通っている施設には一台しかないスミス・マシンがそのジムには三台もあることと、「うちで鍛えたら、別の生き物になるよ」というO島の言葉に惹かれたU野は、彼女のもとでボディ・ビルの大会に出場することを決意する。

 何かに夢中になるという経験がなかったU野だが、目標に向けて凄まじい努力を始める。厳しい指導を受け、日々マシンと格闘し、慢性的な筋肉痛に耐え、ストイックな食生活を送り……。しかし、彼女の前には意外な壁が立ちはだかっていた。審査基準には、肌の美しさや所作、人格までもが含まれ、女性らしさが重要とされるのだ。

 なぜ筋肉を鍛えることに女性らしさを求められるのか? 化粧をしたり身なりを飾ることに抵抗を感じてきたU野は、疑問に思いながらも元ミス・ユニバース日本代表だというスペシャル・コーチE藤の指導を受け、髪を伸ばし、ピアスを開け、脱毛サロンに通う。そんなU野を見た職場の人々には「彼氏できた」と噂され、母親からは「ムキムキにならないでよ?」という言葉をかけられる。周囲の声に反発を覚えながらも、目標に向かって突っ走るが……。

 違和感のあることでも受け入れてみようとする柔軟性がある一方で、自分の考えを曲げない頑固さを持つ。感情を撒き散らさず、黙って行動で表現するところは武士のように潔い。そんなU野の奮闘と葛藤が、辛口のユーモアを効かせた爽快な文体で描かれていく。何かを極めようとする人だけが見ることのできる世界が、あるのだと思う。その一部を、覗き見させてもらったような気がしている。

 吉本ばなな氏の『ミトンとふびん』(新潮社)は、ごく普通の女性たちを主人公にした短篇小説集である。大切な人を失うこと。深く傷つくこと。偶然出会った人からもらった優しさ。かけがえのない思い出。誰もが経験するようなことだけれど、その人にとっては特別な出来事が描かれる。

 主人公が隣に座って、語りかけてくるような気がするのは、ひとつひとつの言葉に生きている人間の体温のようなものを感じるからだ。彼女たちの物語に私自身の記憶が重なり、心の奥にある氷のようなものがじわじわと溶けてくるような気がした。小説を読むというより、体験したような、温もりのある読後感である。

新潮社 小説新潮
2022年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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