本格推理小説の異色傑作―― 横溝正史『びっくり箱殺人事件』文庫巻末解説【解説:中島河太郎】

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びっくり箱殺人事件

『びっくり箱殺人事件』

著者
横溝 正史 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041123522
発売日
2022/01/21
価格
836円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

本格推理小説の異色傑作―― 横溝正史『びっくり箱殺人事件』文庫巻末解説【解説:中島河太郎】

[レビュアー] 中島河太郎

■角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開! 
本選びにお役立てください。

■ 横溝正史『びっくり箱殺人事件』

本格推理小説の異色傑作―― 横溝正史『びっくり箱殺人事件』文庫巻末解説【解...
本格推理小説の異色傑作―― 横溝正史『びっくり箱殺人事件』文庫巻末解説【解…

■ 横溝正史『びっくり箱殺人事件』文庫巻末解説

解説
中島河太郎  

「びっくり箱殺人事件」は著者のおびただしい作品群のなかでも、もっとも異彩を放っている。著者の作風に馴染んで来た読者は、この一風変わった作品に著者の新たな側面を発見されるに違いない。
 本編は昭和二十三年一月から九月まで、読売新聞社発行の雑誌「月刊読売」に連載された。戦争中雌伏を余儀なくされた著者が、戦後いち早く探偵小説復興の先頭に立ったことは、くり返し述べているから、ほとんどの読者は承知しておられるだろう。
 二十一年には「本陣殺人事件」と「蝶々殺人事件」の本格長編を並行して執筆し、他に十数編の短編と数編の捕物があった。二十二年には「獄門島」の連載の他に、十の中短編、十数編の捕物がある。長年蓄えられていたものが、一時に堰を切ったように迸った感じだが、その頃の著者の心構えを伝える文章がある。それは「一九四八年度の課題」と題して、まず江戸川乱歩が創作の筆を執ること、大下宇陀児・角田喜久雄・木々高太郎の仕事ぶりがまだ本領を発揮するに至らぬから一段の飛躍を望んでいること、坂口安吾の「不連続殺人事件」に期待していることなどを述べて、既成作家と新人の成果に楽しい予想を寄せている。
 同僚作家に十分に満足の意を表していないのは、当然自戒の意が含まれていた。「自分はまだまだ本格探偵小説に魅力があり、読むのも書くのも、一番それに興味をかんじているが、しかし、探偵小説はそれでなければならぬなどと、偏狭なことはいわないつもりである。各人おのれの好むところを掘り下げていってこそ、探偵小説壇は豊富となり、やがて百花リョーランと花咲くだろう。自分はそれをこそ期待している。」(昭和二十三年一月、探偵作家クラブ会報)といって、

  それぞれの花ありてこそ野は愉し

 の句が添えてある。著者は本格物への執着を語ってはいるが、それは決して融通のきかぬものではなかった。「獄門島」の傍ら本編に着手したのも、本格の幹に多種多様の花を咲かせようという試みからであった。
 著者はこの年の八月に岡山県から東京に還ってきた。二十年の大空襲以後、すぐれた本格長編の舞台となった中国地方に移ってから、上京したことはなかったのに、本編では丸の内の劇場梟座での奇々怪々の連続殺人事件を扱っている。
 時代が時代だけに、パンパンガール、裏口営業、カストリ、ジコーソンなどの昔を偲ばせることばがあるが、ジコーソンは璽光尊という新興宗教の教祖がよく話題にのぼっていたから、借用したのだろう。
 とにかく著者は混沌とした状勢のなかで、再建の機運が至るところに漲っていた東京の、荒っぽさに包まれた逞しい生の悲喜劇を選んだ。登場人物には工夫がこらされていて、元活弁、現在芸能人並びに作家を看板にしている深山幽谷をはじめ、蘆原小群以下の怪人物をとり揃えている。
 個性を発揮して譲らぬ芸能人たちが、大入りの成果をあげたにもかかわらず、とうとう余計な殺人劇の幕まであげてしまったのだから、あるいは起るべきものが起ったといえるかもしれない。
 すべてカリカチュアライズされた言動のうわべだけを見ると、ドタバタ活劇らしく思われるが、きちんと筋が通って、伏線、小道具にも抜かりがなく、真犯人暴露まで本格的構成をとっている。ユーモラスな色調を基盤にしたため、金田一耕助はさすがに遠慮しているが、東京の事件ではお馴染の等々力警部の名が出てくるが、別に同名異人かどうかを詮索するまでもなかろう。
 昭和二十四年十二月三十日の夜、歳忘れ文士劇の名目で、鎌倉ペンクラブと探偵作家クラブ(日本推理作家協会の前身)との対抗放送劇が、JOAKで試みられた。探偵作家クラブでは本編を原作として脚本化し、新旧探偵作家が出演した。
 会長江戸川乱歩が深山幽谷を、木々高太郎が蘆原小群、城昌幸が顎十郎、副会長大下宇陀児が細木原、書記長高木彬光が野崎六助を受持った。あいにく女流作家払底の時代だから、宮野叢子が紅花子の役に当り、柳ミドリには当時「二十の扉」で親しまれていた柴田早苗の援助を頼む始末であった。
 なにしろ二十分のドラマに十五名の出演者だから、たった一言しかしゃべらない人がいたり、楠田匡介のように「うーむ!」と唸り声を出しただけという役まで出来てしまった。水谷準・香山滋・島田一男・山田風太郎らも参加しているが、この頃はまだこんなお遊びにも皆熱中していた。現在のせわしさからは想像もつかぬ、のんびりした時代であった。肝腎の著者が顔を見せなかったのは、宿痾を再発して安静療養中で、帰京後の執筆過労のため、「八つ墓村」など休載している。
 著者が帰京すると、九月の探偵作家クラブの例会では、初めてお会いする会員が多いので、講話を頼んだが具合が悪くて駄目、十月はわざわざ著者の住居の成城に会場を移すことにしたが、それも実現しなかった。私がはじめてお会いしたのは、二十四年六月の海野十三の追悼会の席上だった。
 地方住まいの不利と、本復しない病気と闘いながら、絶えず戦後の探偵文壇をリードする重量級の作品を、つぎつぎに発表された不退転の意志は、本格探偵小説のわが国への基礎造りに集注していた。しかも手練れた作法に安住せず、本編のような新しい試みに、敢然と取り組んだ幅広い情熱に敬意を表せずにはおれぬものがある。

「蜃気楼島の情熱」は昭和二十九年九月の「オール讀物」に発表された。
「本陣殺人事件」ですでに紹介されたパトロン久保銀造を、久しぶりに訪ねた金田一は、久保の知人で同じくアメリカ帰りの男の住む島に、案内して貰うことになった。
 その島には摩訶不思議な建造物が聳え立っているので、話題になっているというが、耕三寺のある島から思いつかれたものであろう。その建造主の度を越した愛妻家ぶりと、かつて先妻を殺されたことがあり、その殺害者が現在この家に厄介になっているのを見聞した金田一は、早くも胸騒ぎを覚える。
 その予感は見事に的中して、この不幸な男はまたもや愛妻を殺されたため、はからずも派遣されたお馴染の磯川警部と再会する。
 手のこんだ状況設定により、誰もが一つの解釈しかできぬように仕組まれているのだが、例によって金田一のこまかい観察と分析は、通り一遍の解釈では納得できない。いろんな材料が集まれば集まるほど、彼の頭脳はそれらを矛盾のないよう配置するために有効に働く。
 著者は単行本収録に際して筆を加えて、ランチを運転する白小袖に袴をはいた少年に、佐川春雄の名前を与えて自転車の証言をさせたり、犯行動機の説明などを詳しくしている。
 常軌を逸した妻への愛情が二度も悲運を招いた男への同情を禁じ得ないが、その愛情を見抜いて、陰湿な罠が巧みに仕掛けられたのだ。犯人と手のこんだ犯行手段に工夫がこらされて、貪欲の犯罪のすさまじさをまざまざと見せつけられるのだ。

■作品紹介・あらすじ

本格推理小説の異色傑作―― 横溝正史『びっくり箱殺人事件』文庫巻末解説【解...
本格推理小説の異色傑作―― 横溝正史『びっくり箱殺人事件』文庫巻末解説【解…

びっくり箱殺人事件
著者 横溝 正史
定価: 836円(本体760円+税)
発売日:2022年01月21日

横溝正史生誕120年記念復刊! 横溝正史の異色傑作!
箱の蓋をはね上げ、バネ仕掛けの人形のように男が飛び出した。だが瞬間、まえのめりに倒れこむと激しく痙攣し始めた。男の胸には、箱の中に強いスプリングでとめられた鋭い短剣が突きささって……。スリラーふう軽演劇『パンドーラの匣』の舞台で起った、恐怖の殺人事件! 名推理で犯人を追いつめる等々力警部の活躍は? 本格推理小説の異色傑作。ほか「蜃気楼島の情熱」を収録。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322111000519/

KADOKAWA カドブン
2022年02月23日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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